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道徳感情史論

まえがき:神学的な善悪の終焉と道徳の正体 私たち人間は神の手によって創られた。それ故にわれわれ人間は神の教えに背くことは許されない。「人を殺す」ということは神の教えに背くことであり道徳に反する。かつて、人々はそのようにして「道徳」を捉えていました。神様が「○○すべきだ」「△△すべきでない」と教えを説いているのだからその教えには従うべきだ、と。その神の教え(正確には宗教上の掟)が善悪の基準を作っていたのです。思想家の内田樹は神の時代の道徳を次のように言い表しています。  しか

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    • 「不便の利便性」という話

      第Ⅰ章:ポスト・ヒューマンと技術 人間にとって「技術」とは何なのかと考えるとき、真っ先に思い浮かべるのは哲学者のプラトンが著書『プロタゴラス』の中で語った次のような神話です。  プラトンによれば、人間は「はだかのままで、敷くものもなく、武器もないままでいる」存在でした。そんな弱い存在の人間が現代まで生き抜いてこれた理由は、その弱さを補う技術があったからだといいます。  例えば、槍や弓、住む家、着るもの、履くものなど、そういった技術を扱うことで、人間は他の動物たちから身を守

      • 「絶滅に向けて」という話

        まえがき:生誕という問題 「生老病死」という言葉があります。人間が存在することによって生じる四つの苦しみを表す言葉とされ、生きることの苦しみ、老いることの苦しみ、病気になることの苦しみ、死ぬことの苦しみを指しています。  人は生まれた瞬間から様々な苦しみを経験します。例えば、対人関係での苦しみ、お金がなくて欲しいものを買えない苦しみなどでしょう。  では、何故私たちはこれだけ苦しい人生を送らなければいけないのでしょうか。その理由はシンプルです。「生まれてきたから」です。私

        • 「理性の目覚め」という話

          まえがき:メランコリックな世界 欲望にまみれた資本家たちによる労働者への搾取に抗ったはずの共産主義が、ソ連の崩壊とともに非現実的なものと思われるようになっていきました。左翼たちは共産主義という資本主義に代わる制度を失い、現代でも資本主義に代わる制度を打ち出せないままでいます。こうした状況を見て、哲学者のスラヴォイ・ジジェクは「左翼の敗北」だと語っています。  ジジェクと思想家フレドリック・ジェイムソンの語った言葉を引き合いに出しながら哲学者のマーク・フィッシャーは次のように

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        道徳感情史論

          「オタクの消滅」という話

          まえがき:現代社会はオタクに寛容なのか? オタク。一般的には「ゲーム、アニメ、漫画、フィギュア、SF、特撮などのサブカルチャー(以下、「サブカル」)を好み、そうしたサブカルに精通した人間」を指す言葉だと思います。批評家の東浩紀もオタクを次のように説明しています。  多少、解釈に違いはあれど、大体オタク理解はこのようなものだと思います。『広辞苑』でもオタクは次のように説明されています。  東と広辞苑の両方の説明から「社交性はないが、自分の関心のある分野・物事に対しては異常に

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          「オタクの消滅」という話

          「教養はお金儲けのツールなのか?」という話

          まえがき:教養の衰退か、それとも新たな教養か 「出版不況」「読書離れ」「活字離れ」が叫ばれて久しい現代社会。本を読み教養を身に着けていた人たちが減少してきしていることが問題視される昨今でありますが、経済学者の井上智洋は教養について次のようなことを語っています。  不景気になってから日本人は教養よりも「どうすればお金を稼げるのか」「どうすれば貧乏でも幸せに暮らせるのか」といった自己啓発本(ビジネス本、ハウ・トゥ本)ばかりを読むようになったという指摘です。  確かに、井上の指

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          「教養はお金儲けのツールなのか?」という話

          「知識なき正義は無力なり」という話

          まえがき:有権者は政治を理解したふりをする ロシアウクライナ戦争が長期化し、9カ月経ったことに驚きます。SNSでは、ほぼ毎日のように誰かがロシアウクライナ戦争について評論しているのを目にします。ロシアウクライナ戦争について、ある程度、政治的な主張を誰もが持っているのでしょう。  しかし、政治的な主張を持つのは良いとして、それらの主張をしている人たちはどれくらいロシアとウクライナについて知っているのでしょうか。実際は、ロシアとウクライナについて殆ど知らないけれど、何となく良く

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          「知識なき正義は無力なり」という話

          「日本仏教の戦争責任」という話

          まえがき:「仏教と平和」という欺瞞 近頃、日本の仏教界で世界情勢の悪化に合わせて、世界平和を祈る法要が営まれていると言ったニュースや記事を目撃するのだが、そのたびに、過去の日本の戦争行為を仏教思想が正当化した歴史を都合よく無視して、平和だの、祈りだの、どの口が言えるのだろうかと思えてしまう。  世界平和を望み祈ること、それ自体は別に悪いことではないのだが、過去に自分たちが戦争を肯定してきた不都合な歴史を無視し、その反省もせずに、「平和が大事」だの「戦争はいけない」だの言って

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          「日本仏教の戦争責任」という話

          「可視化する社会」という話

          第Ⅰ章:過剰可視化社会 SNSが普及してから自身のキラキラした日常を発信する人々が多く登場したように思えます。いわゆる、「映え」を意識して、他人に見せるために素敵な日常を演出する人々の登場です。  現代は他人のプライベートが見えすぎる時代です。歴史学者であり、評論家でもある与那覇潤は、そのような社会を「過剰可視社会」と呼び、次のように批判しています。

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          「可視化する社会」という話

          「弱さと技術の人類史」という話

          まえがき:人類について 人間とはどういう存在なのか。改めて問われると私たちはうまく答えられないことが多いように思えます。私たちは何者なのか。どういった存在なのか。どこから来たのか。私たちは人間であるはずなのに人間についてあまりよく知らないです。本稿では、人間とは何かを考えていこうと思います。 第Ⅰ章:人間という欠陥生物 人間は、明らかに自然界に存在する生物の中では弱い種族です。クマのように鋭い爪を持っているわけでもなく、ライオンのように鋭い牙を持っているわけでもない。馬のよ

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          「弱さと技術の人類史」という話

          「動物の意識」という話

          まえがき:動物の意識 「(人間以外の)動物は意識を持っているのか?」と聞かれた場合、あなたなら何と答えるでしょうか。「そんなものあるに決まってる」。「種によって差はあれ意識はある」。「意識のような高度なものは人間しか持っていない」。「そもそも『意識』って何?」など様々な回答があるでしょう(「意識とは何か」という問いにはあとで触れることにしておきます)。  哲学者のルネ・デカルトは、意識とは人間にしかないもので、ほかの動物は機械仕掛けのようなものだと認識していました。所詮、動

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          「異常の歴史」という話

          まえがき:狂気と排除 「気ちがい」「狂人」「異常者」。こういった言葉はあまりポジティブな文脈では使われることがなかったと思います。どちらかというと「あいつは気ちがい(狂人、異常者)だから関わらない方がいい」といったようにネガティブな文脈で使われることの方が多いと思います。狂人は社会から危険視され排除される。  では、社会から排除される「狂人」あるいは「狂気」とはどのような存在なのでしょうか。本稿では、「狂気」について考えていこうと思います。 第Ⅰ章:狂気と健康の歴史 私た

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          「異常の歴史」という話

          「日常と公共性の架橋」という話

          まえがき:常識の身体性 近頃、意味のわからない日本語を結構耳にするようになったように思います。「アライアンスを組んで○○しよう」だとか「あなたの意見にアグリー」だとか、正直何を言っているのかよくわからないカタカナ用語を多く耳にします。  もちろん、大体こういうことを言いたいんだろうなと予想をしながら聞くことはできますが、それでもやはり「アライアンス」だとか「アグリー」だとか言われても、いち日本人の身体感覚としてはいまいちピンときません。普通に「協力して」とか「賛成している」

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          「日常と公共性の架橋」という話

          「教養としての日本仏教」という話

          まえがき:仏教ってなんだろう? 日本人は死と向き合うとき、たとえば、葬式やお墓参りなどでは、仏教的な儀礼が多いと思いますが、改めて、日本人にとっての仏教とは何なのか考えてみるとわからないことが多くあるように感じます。  そこで本稿では、仏教について基本となること、仏教の歴史、日本仏教の13宗派、仏教の現代的役割について改めて考えていこうと思います。(仏教の教えを)信じる信じないは別として、「そういう価値観もあるんだ」ということを知っておくことは必要だと思いますので、最低限、

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          「教養としての日本仏教」という話

          「文章が読めないサルたちの世界」という話

          まえがき:読字のメディア論 ネット上には明らかに文章を読めない人、書いてあることを読まない人、読解力のない人(誤読する人)が多いです。  「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができぬぞ…」といったツイートが少し前に話題になっていましたが、文章が読めない人が多いという指摘は他にも多くあります。  たとえば、ミュージシャンの後藤正文は次のように述べています。  他にも文章を読めない人についての指摘は多くありますので一通り列挙してみましょう。  確かに、

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          「文章が読めないサルたちの世界」という話

          「ガジェット的存在論」という話

          まえがき:スマート化する社会 スマートフォンは、今やほとんど誰もが持っているものだと思います。スマートフォンさえあれば、ほとんどのことはできる。食べ物を頼むのも、本を読むのも、音楽を聴くのも、動画を観るのも、買い物をするのも、友達と電話するのも、SNSで色々な人とつながるのも...。スマートフォン一台あれば他に何も要らない。スマートフォンは余計なものを持たなくていいという意味で最適化された端末です。スマートフォンは私たちの生活を便利で快適なものにしてくれています。  しかし

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