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泳いで自転車の後にラン?

 大学を卒業して、なんとか就職先が決まり、新天地での生活が始まった。

 初めての勤務地は日本海側の田舎での生活。都会での生活に慣れていたせいか、あまり何もないところでは何をしたら良いのかわからない。
 仕事はさほど忙しくなく、18時には家に帰る。日本海に面していることもあり、美味しい地魚をスーパーで買って食べるのが日々の楽しみである。学生時代は発泡酒しか飲まなかったが、折角社会人になったので、ビールを買うというプチ贅沢を満喫していた。

 こんな生活を数ヶ月間続けた結果、お腹周りもプチ贅沢になっていることに気づいた。いや、最早プチどころではない。
職場に行くと先輩から
「ロードバイクしようぜ!痩せるぞー」と声をかけられる。
「ハンドルがこーんなやつっすか」というジェスチャーでしか表現できなかったが、無事伝わったようで、
「そう、それそれ。週末、一緒にショップに行こう!」と半ば無理やり連れて行かれることになった。

 ショップで話を聞くと、安くて15万くらいはかかるという。
いや、唐突にその価格は無理でしょう。完全に買う気がない顔をしていた私に先輩が言い出した。
「1日ビール二本300円としよう。1ヶ月で9000円、1年で約11万円。それにツマミを考えてみろ。ビールは残らないが自転車は残るぞ」
 この先輩はショップの手先かなにかか。
「ビールは残らないですが、お肉となってしっかり僕の中で生き続けています」という返しにもならない返しをしたが、結局言いくるめられて買うことにした。
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 それから数ヶ月、折角高い買い物をしたのだという思いもあってか、暇さえあれば自転車にまたがって色んなところを走り回っている自分がいた。その後、毎日のように自転車に乗っていたこともあり、徐々に慣れてきたことで調子に乗って初めてのレースに出てみたものの、あっけなく惨敗してしまった。
 そして、冬。当たり前だが雪が降って自転車ができなくなった。次のシーズンこそは結果を残したいと考えていたので、体力を落とさないために何ができるか考えた結果…ランニングを始めようと決めた。

 とりあえずランニングシューズを買ってゆっくりとジョグを始めてみる。これでも自転車でトレーニングをしてるんだ…と思ったら早速足が痛い。自転車と使う筋肉が違うのか足は痛いし、心拍は上がるしなかなかに辛い。
自転車では感じにくかった体の重さがダイレクトに伝わる。
 短距離走は高校の部活でしたことがあったが、ランニングはほぼ初めてに等しい。自分にとって100mを全力で走るより、軽めに2,3km流して走る方が苦痛なのだ。初めは歩きながら少しジョグを入れる程度だったが、週2くらいで走るようになったので徐々に慣れが出てきた。と言っても、「速く走れる」ではなく、「少しでも長く走れる」が精一杯だった。

 そして冬の寒い中を走ることに慣れてきたのはいいが、雪に囲まれているところで走っていると体の芯まで冷えてしまう。風呂が恋しくてたまらない。近くの複合施設に大浴場があるため、練習後はそこに行くことにした。何回かこの施設に足を運んでいたが、少し料金を追加すればトレーニングルーム、プールも利用できることに気付いた。何回も足を運ぶことと、家で風呂に入る代わりに大浴場を使えることも考えて年間パスを作った。とりあえずラン練習を休む日はそこで軽く筋トレをしてお風呂にゆっくり浸かることに決めた。

 しかし、ここで貧乏性の性分が出てしまう。トレーニングルームも大浴場も使っているが、同じ料金で利用できるプールは使っていない。これはなんだか負けた気がする。ということで冬のトレーニングはランニング、筋トレ、スイムの3本立てになった。
 小学生の時はスイミングスクールに通っていたから水泳なんて軽く出来るだろうと鷹を括っていた。いざ、スイム!と思ったらうまく進まない。
あれ…思っていた感じと違う。しかも息継ぎが難しい。隣のレーンで泳いでいる初老のおじさんにいとも簡単に抜かれていく。まずは、25mを、一往復。
 これもまたしんどい…が、ついこないだ同じ体験をランでしたのでそこまで凹まない。ランと同じくとりあえずゆっくりでいいから距離を進めることを心がけた。
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 少し暖かくなった四月頃、自転車の先輩と話をしていた。
「体絞れてるけど、冬は何してるの?」
「体力落とさないため、走ったり泳いだりしてます」
「トライアスロンでもするのか?」
 鈍感なことに、そこで気付いた。トライアスロンの種目の練習をしている。どうせならいっそチャレンジをしてみよう。

 色々と調べた結果、オリンピックディスタンス…ショートと言われているカテゴリに挑戦することにした。距離は1.5km泳いで、40km自転車で走って、10km走るのだ。どこがショートなのだ。これまではあまり意識をしていなかったが、今年中には一回出場してみようと思い立ったこともあり、7月末の大会にエントリーした。
 それからは、ただ淡々と各種目の練習をした。バイクは問題なく走れる。元々スイムも好きなのでなんとか出来そう。問題はランだ。
 職場のランニングが趣味の方々とも練習をしたりもして、なんとか10kmは走れるくらいにはなった。ただ、初めて10kmを走りきったのが大会2週間前だった。
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 4月からまだまだ時間があると思っていた7月末。気付けばもう目の前に来ていた。大会前日。自転車レースは当日に会場に行けば良いのだが、トライアスロンは規模が大きいこともあり、前日に大会の説明が行われる。会場に到着してみると、周りの皆さんが凄い体をしておられる。若干びびりながら会場で説明を聞き、その後はホテルでゆっくりと過ごした。

 早く寝なければ…と思いながらドキドキして若干睡眠が浅くなってしまった。そして迎えた大会当日。知り合いがいるわけでもなく、一人でいそいそと会場で準備をする。トランジションエリアで準備をしたあと、スタート地点に向かった。事前に提出していた自己申告タイムごとにカテゴリが分けられており、しばらくすると最も速いカテゴリの選手達がスタートラインに立った。
 遂に大会が始まった。スタートの合図と共にトップカテゴリの選手が凄い勢いで泳ぎ始めた。その光景を見てなんだか気持ちが吹っ切れた。
 頑張る必要はない。ゆっくりでいいからマイペースでゴールを目指そう。

 いよいよ自分の番が回ってきた。スタートの直前はなんとも言えない緊張感がある。ピストルの合図が聞こえたが、とりあえず周りに迷惑をかけたくもないので後ろの方からぼちぼち泳ぎ始める。

 スイムが始まった。25mプールを30往復と思えば、辛くない。ひたすら体力を温存して泳ぐことに徹する。周りの選手と同じように淡々と泳いで、なんとかスイムが終了。
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 続いてバイクパートに差し掛かる。自転車は散々乗っていたので自信がある。ウェットスーツを脱いで、ロードバイクに跨がる。一度深呼吸をして、さぁ、行くかと自分に声を掛ける。

 乗った感覚でわかったが、調子が良い気がする。すいすいと足が回る。トライアスロンにしてはアップダウンがあるコースだったので、逆に好物だった。登坂に差し掛かり、前を走る選手をどんどん抜かすことができた。一人、二人、三人…と抜いていくうちにバイクパートが終了。順位を気にするつもりはなかったが、自転車では負けたくないという気持ちが出てしまい、かなりオーバーペースになってしまった。

 バイク用のシューズからラン用のシューズに履き替えたときに異変が起きた。右ふくらはぎがピキッとなったのだ。
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 少しだけ足を伸ばす運動をしてから、走り始める。自転車のオーバーペースがまともに響いているのがわかる。体というより足が重い。ランというより軽いジョグの様なペースでのスタート。

 ゆっくり、ゆっくり、落ち着いて落ち着いて。そう自分に言い聞かせながら足を前に運ぶ。かなりゆっくりのペースで走ったからか心拍が落ち着くと共に、足のしんどさも少しマシになってきた。

 2km地点を通過。少しペースを上げても大丈夫になってきた。先程よりペースを上げ始める。落ち着いてマイペースにと自分に言い聞かせながら走る。

 暫く走っていると前に大きなコーンが見えた。折り返し地点、5kmの目印だ。コーンの周りを回ったところで油断してしまった。あと半分だ、と。
 急にがくっと疲れが出た。急に足が重くなった気がする。一度ペースを落とし、走り始める。

 なんとかゆっくりと走り続けて7kmまで来た。気を抜けば足を止めてしまいそうになる。気合いを入れてあと3kmと思い、ペースを上げかけた時に前太ももが攣ってしまった。変に攣りそうなふくらはぎをかばってしまったせいか右足が痙攣している。なんとか前に進めないとと思い歩き始める。もうここで辞めてしまおうか。そうすれば楽になる。

 「ナンバー320!頑張れ!もうちょっと!」と声が聞こえた。
誰だろうと思ったら地元の方々が応援してくれていた。大会関係者でもないのになんて暖かいんだろう。少し進んだところに給水と塩タブレットを渡してくれるテントがあり、頭から水をかぶり、スポーツドリンクを飲み干した。

 プラセボ効果的なものなんだろうが、足が動くようになった。声援は皆に言っているものだと思うが、こうやって応援されたことはなかったので心底力が沸いてきたのだ。そこからは一心不乱に走った。

 残り1kmの目印が見えてきた。もうここで気を抜くまい。1kmを切った辺りからふと色々なことが頭をよぎった。
 何でこんなしんどいことをしているんだろう。でも楽しいな。あと数百mでこれも終わってしまうのか。それはそれで寂しい気もするな。

 残り100m。賑わっているゴールゲートが見える。急に足が軽くなった。最後は気持ちが高ぶり、ダッシュしながらゴールした。

 ゴール後は、あっという間に気が抜けたのか立ってられなくなった。今まで生きてきてチャレンジをしたことがほとんどなかったからか達成感は凄いものだった。そして、なぜかわからないが、涙が出てきた。

 あぁ…しんどかった。でもまた、出たいな。



スポーツ系の短編小説を書いてみたかったので以下の企画に参加してみました。半分体験談です。


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