見出し画像

【研修報告】オールマイノリティプロジェクト 公開シンポジウム

こんにちは、就労支援員のサイトウです。

2024年4月7日(日)13:00~16:10
オールマイノリティプロジェクト 公開シンポジウム 「『どうして上手くいかないの?』当事者とともに考えるこれからの発達障害の支援のあり方」というタイトルの研修にオンラインで参加しました。

オールマイノリティプロジェクトとは、発達障がい者をはじめとするマイノリティが社会的孤立・孤独に陥らないよう予防する社会を作るために千葉大学の大島 郁葉さんが代表となり様々な研究・実践を行っている団体です。

今回は、研修の概要とその感想を書いてみたいと思います。


代表挨拶・趣旨説明:大島郁葉さん

まずは代表の大島さんからこのシンポジウムの趣旨と、オールマイノリティプロジェクト(AMP)の活動内容についての説明がありました。
活動内容の一つに「マイクロアグレッションの啓発」があるとのことでした。マイクロアグレッションとは「無自覚の差別行為」ともいわれ、否定的なメッセージが"意図せずに"誰かを傷つけてしまうことです。
例えば「障がい者なのに頑張っているね」という発言は、悪気はないものの「障がい者は弱いものである」という隠されたメッセージが潜んでいるともいえます。

そして今回のシンポジウムでは「バイアス」と「不均衡」がキーワードでした。この2つはどちらもマイクロアグレッションを生み出しやすい現象であると考えられます。詳しくは他の方の講演で説明されます。

基調講演「当事者とともに考える、支援における不均衡とこれからの支援のあり方」熊谷晋一郎さん

まずは東京大学の熊谷さんからのお話でした。熊谷さんは当事者研究の研究をされている小児科医で、自身脳性まひの当事者でもあります。ご自身の東日本大震災での経験から、自立とは「依存先を増やすこと」という、近年様々な文献で引用されている自立の考え方について、丁寧に説明してくださいました。

また障がいを個人の属性に帰属する(インペアメント)のではなく、社会の側に障がいがあるという考え方(ディスアビリティ)、社会を共同創造し変革することで、マジョリティとマイノリティの不均衡を是正するための取り組みとして、当事者研究が行われていることなどお話しされていました。

後述の大木さんの発表とも重なりますが、当事者の語りが少しずつ社会を変えていくこと。社会がそれに耳を傾けるよう、支援者はそのあいだを行き来する存在であるべきなのかもしれないと感じました。

「バイアスに気づく、バイアスを変える」高橋璃子さん

次は翻訳家の高橋璃子さんのお話でした。ベストセラー『エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』の翻訳者です。
今回は昨年翻訳出版されたジェシカ・ノーデルさんの『無意識のバイアスを克服する: 個人・組織・社会を変えるアプローチ』に基づき、バイアスについてのお話しでした(どちらも未読なので即購入しました)。

バイアスとは偏見のことです。「○○だから××だ」と、人は根拠の有無に関わらず瞬間的に判断してしまいます。そしてそれはまるで息をするように差別すると高橋さんは述べます。

たとえば行動経済学は「人間の行動や意思決定は不合理である」というテーゼを生み出しました。そして意思決定には様々なバイアスが影響していることを明らかにしています。ダニエル・カーネマンはそれを「システム1(速い思考)」と表現していますし、認知行動療法では「自動思考」と表現したりします。どちらも瞬間的に頭の中にパッと浮かぶ思考のことです。

バイアスが生み出すマイクロアグレッションは、明確な差別よりも相手に与えるダメージが大きいそうです。確かに無意識的なものに対しては指摘しづらく、指摘したところで「何を今さら」「過敏すぎる」などと言われかねません。そうするとダメージを受ける側は沈黙することを選択してしまい、マイクロアグレッションが繰り返されるのは容易に想像できます。

自分にそんなバイアスはないと思っていても、案外気づいていないだけであることが多いものです。高橋さんはIAT(潜在的連合テスト)を紹介してくださいました。日本版は古いものだそうですが、やってみると意外と自分にもバイアスがあることに気づかされます。

高橋さんはバイアスを克服するために、気付くこと、自動思考を置き換えること、マインドフルネスの3つが大切であると話されていました。
この辺りについては、実証的な効果についてもう少し調べてみたいと思います。

「学校教育における支援者のバイアス」野口晃菜さん

野口さんは教育分野に精通されており、海外で学校教育を受け、その後は様々な現場での支援経験がおありです。

支援者が持つバイアスについて。支援者の持つバイアスは、様々な支援行動に影響することが研究によって示唆されているようです。『脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論 』という本では、以下のことが指摘されています。

「支援者自身が、自らを脅かす抑圧を「しょうがない」と受け入れたとき、支援を必要とする人に対し抑圧的なまなざしが向いてしまう。それが抑圧の再生産である。組織の機能不全や多数派の流れに疑問を持たない、もしくは異論の声をあげられない福祉職者が抑圧の一部となったとき、支援を必要とする人たちもまた、その抑圧構造に否応なくからめ取られていく。」※1

1.坂本いづみ他(2021)『脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論 』現代書館,p91. https://amzn.to/3J5orYZ


この抑圧の再生産、いわゆる「社会的に弱いものへと攻撃が流れていく」という状況は、実感としてあります。
野口さんは養護教諭やコメディカルがバイアスを受ける側にもなりやすいということも述べられていました。この状況は障がい者虐待にもつながりかねません。やまゆり園での悲惨な事件が思い出されました。

また、バイアスは個人だけではなく社会的にも埋め込まれているということも、豊富な例を用いて示されていました。例えば学校教材の例「母に代わって父が学校に来る」(母は家事、父は仕事というバイアスが埋め込まれている)など、考えると身近にたくさんありそうです。

声を上げにくい立場が声を上げられるようにするにはどうすればよいのか・・・。

野口さんはこれらを解消するための実践を積極的に行われているようで、一例を見せてくださいました。詳細は割愛しますが、高橋さんもお話しされていたように、まずは意識的に気づくことからはじめなければならないと感じました。そして、身近な人とバイアスについて話してみたいと思いました。


「相互理解を不均衡にしているものはなにか?」大木彩乃さん

大木さんは当事者の立場から(一方で、当事者を代表する立場ではないことを明言して)お話されていました。
大木さんの考える発達障がいは「コミュニケーションの特異性」があるということでした。これにより「相手がわかってくれない」「相手のこともわからない」という相互不理解が生まれがちであることを、社会学の諸理論からわかりやすく説明してくださいました。
マジョリティの発達とコミュニケーションの言説に対して一つ一つツッコミがなされるスライドがとてもわかりやすく、引き込まれました。

大木さんは社会は出来上がった客観的で本質的なもの(be)であり、マジョリティがそれに乗りやすく、乗れないマイノリティはあきらめざるを得ないという従来の思考から、社会は作っていくもの(play,act)であるという思考の変革が必要であるということを話されていたように思います。これは新たなナラティブを構成するという社会構成主義の考え方と共通しているように感じました。

最後に、支援者の役割は相互理解のための橋渡し役であってほしいという大木さんの願いが語られました。
我々支援者は当事者の語りに耳を傾け、伴走的であること、その態度を持って共に生きやすい社会をつくり上げる存在でなければならないと感じました。


「発達障害者支援施策と活用について」西尾大輔さん

厚生労働省 社会・援護局 障害保健福祉部障害福祉課 地域生活・発達障害者支援室 発達障害対策専門官をされている西尾さんからは、発達障がいに係る近年の政策について紹介がありました。ご経歴を伺うと北海道では有名な学校や施設で働かれていたとのことで、とてもリアルな感覚で聞くことができました。

非常に個人的な感想ですが、後半のお話は西尾さんのお立場的に言い切れない部分、でも伝えたいことがあるという葛藤を感じられているように思いました。

政策はある程度の枠を決めなければいけないものである一方、枠を作ることで生まれるバイアスがあることや、枠からはどうしてもはみ出ざるを得ない人がいること。またたくさんの方と接しているといわゆるパターンが見えてくるが、そこに潜むものこそがバイアスであり、支援効率を重視するばかりにパターナリズムに陥る可能性もあること。葛藤だらけの中で働かれているのだなと感じ、胸が痛くなりました。

一方で終盤の「どんな人でも自分と違い、互いにリスペクトされる」というメッセージを社会に送り続けることで、政策がまた変わっていくのではないかというお話しに希望を持ちました。


全体討論・質疑応答

最後は主催者、パネリスト全員が登場し質疑応答をしてくださいました。
わたしは「訓練モデルが主流の就労支援サービスはインペアメントな視点に陥りがちであること、それに対し、社会モデルの視点で発達障がいのある方が希望する仕事に就くために、支援者ができることは何か」という質問をさせていただき、贅沢にも3名の演者からご回答いただきました。


まず野口さんからは、面接同行や入社時、入社後に社会モデルの説明を企業側にすることと具体的な助言をいただきました。この「わかってもらう努力」は非常に労力のいることですが、これこそがわたしたちの支援の本質なのかもしれないと感じました。


次に大木さんが「発達障がいのある方が希望する仕事に」という文言がわからないと回答されハッとされました。実は、私自身の支援経験でも同じことを述べられた方がいるからです。夢や希望と言われても答えられず、ただ「普通」のレールに乗った方がいいと思って生きてきて、途中でしんどくなったという経験。当時それでも希望を問い続けたわたしはその方に相当な苦痛を強いたのかもしれないと思いました。
後述する熊谷さんのご回答にもつながりますが、その方は「とりあえず仕事に就いてみる」方向にシフトし、入社後仕事をして初めて希望を述べるようになりました。

一方で「選択肢の提示」がありがたいという大木さん自身の配慮事項も教えていただきました。確かに料理を頼む際にはメニュー表があった方が便利なように、職業にはこんなものがあるという選択肢の提示は有効かもしれません。
ただそのメニュー表づくりにも、支援者自身のバイアスや権力が影響する可能性には注意しなければならないと感じました。


最後に熊谷さんからは、研修医時代に働く際のニーズを問われたものの、そもそも何をする仕事なのかわからなかったために困ったというエピソードが語られました。そして、訓練が実際の仕事にどこまで役に立つかはわからないこと、まず仕事に就いて、その中で支援を受けるという方が効果的であるというIPSの説明をされたのには驚きでした。さらに、日本の制度設計がそうなっていないという現在のIPSの課題についても言及してくださいました。
入職した方は基本的に新人です。障がいの有無にかかわらず、即戦力として活用するのではなくまずは育成する(実験的領域)という企業のマインドセットを醸成する必要があるようです。


まとめ

全体を通してとても有意義な学びを得ることができました。
最後にわたしのモヤモヤというか、思うことを少しだけ。
西尾さんも話されていましたが、支援に葛藤はつきものです。
わたしのもとには「普通になりたい」「マジョリティの社会に合わせたい」と話され、努力している方がいらっしゃいます。もしかしたら、個性を主張することで社会から分離されてしまうという恐怖があるかもしれません。また精神科の病名がつけられカテゴリー化されると、かえって偏見にさらされることもあります。それだけ社会にマイクロアグレッションが潜んでいるということなのだと思います。
ただ、既存の社会構造に組み込まれることに憧れる。その思いは、不登校時代のわたしの経験と重なるもので、正直とても共感しますし、その思い自体を無下にはしたくないとも感じます。
違いを認め合うという社会を作り上げていくことはもちろん大切ですが、今の状況を見る限り、とても時間がかかるように思います。その時間をかけつつも、ミクロな視点で一人一人の考え、思いに耳を傾けながら、その方が望む支援をしていくことが大切なのかもしれないと思いました。そして就職した方自身が、企業の中でのロールモデルとして活躍することが、社会変革につながるのかもしれません。タイトルにもあるように、当事者とともに、社会を変えていきたいと思いました。

研修を通して広く、深く考えさせられた気がします。そしてもっと勉強していかなければならないと感じました。
今回の研修を企画してくださった実行委員の皆さま、登壇された皆さま、貴重な機会をどうもありがとうございました。



P.S. 今回の記事に合う画像を選ぼうと様々なカラーの人が手を取り合っている画像を選んだのですが、今回の研修と関連付けて少しハッとしました。
ここに描かれているのは皆男性ですし、体の特徴も一緒なのです。
これこそが、マイクロアグレッションにつながるものなのかもしれない(作成した人を非難するわけではないですが)。そう思いました。これを社会が自覚していくには、もっと多くの人に声を届けていく必要があるのかもしれません。そしてわたしもできるだけ自身のバイアスに自覚的であろうと思いました。



演者の皆さんの著作(訳書含む)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?