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絵を観て涙するなんて

うちのチームはロンドン拠点とアムステルダム拠点のメンバーに分かれているので、アムステルダムオフィスに行くことは結構多い。
これまでスキポール空港から電車で市内に向かっていたけれど、引っ越して新しくなったオフィスは市内ど真ん中の運河サークルの中にあるので、最近は乗りかえなしで着く空港バスにもっぱら乗っている。(タクシーは所要時間の割に高いのだ)

と、必ず前を通るのが「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ美術館」。

その看板を目にする度、いつも、ほろ苦い気持ちを思い出していた。



25年ほど前。
まだ私がアメリカで大学院生していたころ。
まだインターネットなどなく、海外旅行と行ったら黄色くて分厚いガイドブックが必携だったころ。
そのハンガリー編を取材する姉の荷物持ちとして旅したあとの帰り道。

私は、ミネソタに向かう飛行機まで5時間ほどあいだがあることに気づいた。
もう2度と来るかわからないオランダだ。もったいないからせっかくだし空港を出て一度「入国」し、スタンプももらい、ゴッホ美術館まで行って戻ってこようと思いついた。

繰り返すが、ネットもスマホもない時代。
グーグル様の行き先案内などはない。
トラムの正面に描かれた番号だけ確認して飛び乗ったら、それはまったくの反対方面行きだった。
乗り合わせたおばさんがとても親切に助けてくれたっけ。

そんなこんなで、ようやく美術館に着いてみたら、残り時間は1時間ほど。
とにかく焦りながら、時間ばかり気にして周り、悔しいからと売店でセールになっていた過去の展覧会のポスターを2枚買った。
というか、それが買えるすべてだった。
貧乏大学院生すぎて。

時は過ぎて、21世紀。

ロンドンに暮らすようになってから、アムステルダムへ行く機会はなんどとなくあった。
それはすべて仕事がらみ。
正直、パリやローマやバルセロナと違って、アムステルダムは私にとって目的地としていく都市ではなかったから。

美味しいものがあるわけでもないし、お買い物が楽しいわけでもない。
そんなイメージ。

でも、最近あまりにアムステルダムづいている。
10月なんて、月に2回もアムステルダム出張があった。
だったら、観光する時間を作って、ゴッホ美術館に行きたいぞ。

ところが、2回ともチケットが完売で訪ねることができなかった。
なぜか。

それがこれ。

そう。ポケモンとのコラボ展覧会が行われていたからだった。

カードの奪い合いになったというネットニュースがきっかけで、展覧会のことを知り、出張のときにいこうと張り切ったけれど、人気がありすぎてチケットは売り切れだった。

もう仕方ないかと思っていたところで、みーみーさんのnoteを読み、やっぱり行きたいな。
でもそのためだけに行くのもな。
会期前に出張はさすがに無理かな。
と、諦めていたところに、品質管理の部門から会議招集がかかった。

丸一日、顔見ての会議ですかー。
えー、もう。しかたないなあ。
じゃあ、しぶしぶ、アムステルダム行きますよー。

と、ビデオ会議では言いながら、画面では美術館のサイトでチケット検索していた。

月曜日の朝9時から一日中の会議。だから、前日からアムステルダムに行っておかねばという言い訳が立つ。
前日は日曜日だから、なにをしようが構わない。

よっし。

12月の初旬。
曇り空のアムステルダム。

まず、美術館へ入るところがまったく変わっていた。

バスから目にしていた昔ながらの建物は、実はもう入り口ではなかった。

裏側に新しく建てられたエントランスを含む新館は、ルーブルのガラスのピラミッド入口を彷彿とさせる、日差しが注ぐ開放的な空間だった。

日曜日、かつポケモン企画中。
当然ながら、館内は親子連れで溢れかえっていた。

列にみえないヨーロッパ的行列の図

かつて浮世絵に影響されたその作風が、今度は日本のポケモンとコラボだなんてちょっと粋。

しかも子どもたちを惹きつけるから、お父さんお母さんたちまで美術館に連れてきちゃえるなんて、よく考えた企画でもある。

私は、予想はしていたものの、かなり熱の高い喧噪ぶりに、ポケモンラリーのクイズチラシを貰うこともなく、遠目で行列とコラボ作品を眺めるだけにして、25年前のリベンジを果たすべく常設展示をマイペースで回りはじめた。

一瞬「猫草が!」と思ったけれど違った。
タバコを吸う頭蓋骨。いけてる。
小さな春を描き留められるっていいなあ。
個人的にゴッホの絵画で一番好きなテーマは靴
確かに脱がれた靴ってとてもプライベートなもの。
履いている人を想像したり、その人生を想像したりできる気がする
背景の色と相まって、とても気に入った蟹
トマトクリームパスタが似合いそう

そして。
ゴッホの人生を絵画をとおして回遊した果てに。
「ひまわり」と同じくらいよく知られた絵画が、
最上階の最後に待っていた。

Almond Blossoms (花咲くアーモンドの木の枝)

「花咲くアーモンドの木の枝」が描かれたのは1890年だという。
南フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスにある精神病院で療養していた時、パリにいた弟テオに子供が生まれた。それを祝って描いたらしい。

長男が生まれたことを、テオは手紙で知らせ、「名前をフィンセントにしようと思っている」と伝える。
そう。兄の名前をつけたいということだ。
それに対して、ゴッホは「今日、吉報を受け取って、言葉で表せないほど嬉しい」と返信するとともに、母アンナに「その子のために、すぐ青い空を背景に、白い花をつけたアーモンドの木の枝の絵を描き始めました」と報告する。



ロンドンのリージェントパークなど、桜の名所となっている公園はいくつかあるけれど、ヨーロッパにいて春の訪れとして「桜の花」を目にすることは少ない。

たいてい日本人の目に「あれ、もう桜?!」と飛び込んでくるのは、よく見ると、桜の淡いピンクよりさらに淡く白の強いアーモンドの花なことが多い。

とはいえ、アーモンドが、桜と同じようなタイミングで美しく花を咲かせる木であることは違いない。

そして、私たち日本人にとって桜が、また来た春の象徴であるのと同じように。
ゴッホもまた、弟夫婦に訪れた「新しい生命の象徴」として、花をつけ始めたアーモンドの姿を画題に選んだのだろう。
自分と同じ名前を授かった新しい命がこの世界にやってきたこともまた、繰り返す命の営みを思い起こさせたに違いない。

そこには、自分の状況、そして、対照的にフレッシュに瑞々しい未来にあふれた命の訪れ。
辛さや痛みの中での喜び、そして祈りのような気持が折り合わさっている。

絵を観て自分が涙するとは思いもしなかった。

けれど、もともととても好きだったこの絵にある背景を知り、感情がゆさぶられた。

自分の名を継ぐ甥の誕生への祝福と歓喜、そこに透かしのようにみえる療養中の自分。

そんなゴッホを想像し、突然とても近くに感じられた瞬間だった。

元旦の地震、救援物資を運ぼうとした機体を襲った翌日の事故。

胸が押しつぶされるような光景を見て、その滑走路を横に羽田から成田というイレギュラーな飛行、成田での給油、そしてロンドンへと帰ってきた。

気持ちなのか、体力なのか、その両方なのか。

仕事以外でキーボードに向かう気がせず、気がついたら1月の終わりに近づいていた。

そして、久しぶりのnoteの画面で、書きかけのまま年越しをした下書きをみつけた。

いのちがあるということの不確実さ。
ありがたさ。
たいへんさ。
そんなことが渦をまいてスタートした2024年。

どうか、少しでも多くの笑顔がうまれる一年でありますように。


いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。