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誰かの為に頑張ろう!という言い訳

誰かの為に頑張ろうと思うことは、素晴らしいことだ。

  • 誰かの為になることをしよう

  • 誰かに貢献する生き方が正しい

  • 誰かの為と思うと、力が数倍にあがる

なんて話しを一度は聞いたことがある人は多いと思う。

『誰かの為=良いこと』

という考えが絶対的に正しいと思っている人は多いと思う。

しかし、僕は思う。

これって単なる言い訳じゃないかと。

誰かの為に頑張ろう、は言い訳

誰かの為に頑張ろうという言葉は、テイのいい言い訳のように感じる。

なぜそんなことを僕が思うかというと、自分がふとそう考えてしまったから。

僕には3歳になる息子がいる。
カワイイ。
仕事中に彼の写真を見ると、

「息子の為に頑張ろう!」

なんて気持ちが湧いてくる。
よくある父親の考えだ。

しかし、これは本当なのか、と。
なにか、仕事を頑張ることを、息子のせいにしちゃいないかと感じる時があるのだ。

「…?お前はなにを言っているんだ?」

なんて感じる人もいると思う。

うん、そうなんだ。
これは考え過ぎる、僕の悪いクセなのだ。

息子の為に頑張る、のなにが言い訳だというのだ。

『息子の為に頑張る』

大いに結構じゃないか!
なにを疑問に感じることがあるんだ!
そのままなんの疑問も持たず、頑張れば良いだけじゃないか!

なんて思う。

しかし、ふと思ったのだ。

『息子の為=自分の為』

だと。

つまるところは自分の為

結局は自分の為だと思う。

息子の為に頑張ろう!

とは言っているが、結局僕は、自分の為に頑張りたいのだ。

なぜなら、息子が幸せになると、自分も幸せになるから。
僕は僕が幸福になりたいから、息子にも幸福になって貰いたいのだ。

「なんだよ!結局、良いカッコしいの、キモ野郎かよ!」

と思われるかもしれない。

しかし、そうじゃない。
よく考えてみて欲しい。

仮に、自分の子供が不幸になるとする。
子供がいない人は、自分の家族でもいい。
家族がいない人は、ペットでもいい。
ペットがいない人は、普段推しているアイドルだっていい。

とにかく、自分が大事にしている人物を想像して欲しいのだ。

そして、その人物に不幸が訪れるとする。

・不治の病にかかった
・いわれのないイジメを受けている
・自分で自分の命を絶とうとしている

なんて不幸を抱えていたら、どう思うだろうか。

めちゃくちゃ悲しいじゃないか。
その人物に不幸があると、自分に不幸が訪れたように感じるじゃないか。

自分が大事にしている人物に不幸が訪れると、自分も不幸になる。

なので、誰かの為に頑張るのではなく、自分の為に頑張るんだ。

なので、つまるところ、

『誰かの為=自分の為』

ということになる。

自分の為に、自分が頑張る

「子供の為に頑張る!」

という人に対して、僕は昔から違和感があった。

…なにか頑張る理由を、子供のせいにしてないか?

「あなたの為に頑張るから!」
と言われた子供は果たして本当に嬉しいのか?

「お父さんは僕の為に、無理して頑張っているんだ…なんか申し訳ないな…」

心が優しい子供は、こんな気持ちにならないだろうか?

だからこそ、僕はいっそのこと、

『自分のために、自分が頑張る!!』

と言っている人間のほうが、なにか信用ができるし、かっこいい、なんてことも思う。

だから、もっとみんな、誰かのためなんていう言い訳は捨てて、自分のために頑張るべきではなかろうかあぁあああああ!!!!



…はい、ド偏見失礼しました。
以上です。

以前から思っていた違和感を言語化することで、すっきりしました。

ありがとうございます。
お疲れ様でした。

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