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好きなものを、好きなままでいるには。

3歳になる息子に、

「パパは、パソコン好き?」

と聞かれた。

僕が長時間パソコンで、noteを書いたり、調べ物をしたりしているから、息子は不思議に思ったのだろう。

これを聞かれて、僕はふと思った。

あれ?僕はパソコン好きなのかな?

と。

パソコンは、好きか嫌いかで言えば、好きだと思う。
いや、好きだったと言ったほうがいい。

スマホが現在のように、何でもできるような時代じゃない頃、
動画を見たり、ゲームをするには、パソコンのほうが都合が良かった。

そのころ、パソコンは僕の中では、『娯楽の集大成』のようなものだった。
10年~15年くらい前は、日がな毎日パソコンを見続ける生活をしていたような気がする。

帰ってきたら、まずパソコンを立ち上げる。
なんの疑問も持たず、動画を再生し、数時間費やす。

これを毎日繰り返していた。

つまんなそうな日常だと思うだろうか。
確かに傍から見たら、つまらなそうな生活だ。

しかし、今思えば、それはそれでワリと楽しかったような気もする。

そのころの僕にとって、パソコンは楽しいもので間違いなかった。

しかし、今は、そうじゃない。
パソコンは、完全に楽しいものだと、胸を張って言えない。

なんでかな?
なんで楽しくなくなったのかなと思う。

まぁ、理由はわかる。
副業でお金を稼ぐために、ブログを書こうとしたり、プログラミングをやろうとしたり、動画編集をしたりしているからだ。

こんなことをしていると、

パソコン=仕事

になってしまうので、手放しにパソコンが好きだと言えなくなっているのだろう。

今だって、noteをパソコンで書いているわけだが、これが楽しくてしょうがないものでもない。

そもそも、

文章を書くのが、楽しくて楽しくてしょうがない!!

なんて人はいるのか?

いや、まぁいるだろうとは思う。
しかし、それが、稼ぐために文章となった時、その人は文章を書くのが好きでいられるのだろうか?

文章を書くのが好き

文章で仕事をするようになる

文章はお金のため、仕事のためになる

文章を書くのが好きでいられるか?

どうなんだろうな、と思う。

難しいのかな?
好きなものを好きなままでいるためには、そこに仕事だったり、お金だったりが絡まないほうが良いのかな。

楽しいことが仕事になり、それで生計を立てられたらどれだけ幸せなのだろう。

みんな考えたことがあると思う。

しかし、これを叶えるためには、楽しくないこともしなくてはいけなくなる。

たとえば、文章でお金を稼ぐためには、誰かに読まれないといけない。
誰かに読まれるためには、読み手がどんな文章を求めているかを考えなければいけない。

そんな文章が、本当に自分にとって、楽しいものになるのか?
たぶんならない。

自分が書きたいものだけを書いて、生計を立てられるのであれば、それが一番だが、現実はそんなに甘くないのは、誰もが知っている。

楽しいことで生計を立てるためには、楽しくないこともしなくてはいけない。

あぁ、矛盾。
現実は本当に甘くない。

あぁ、年がら年中、パソコンで動画をみたり、ゲームをすることで、お金がもらえたら良いのに、なんて思う。

分かっている。
それで生計を立てたいと思っているのなら、死にものぐるいで、その楽しいものでお金を稼がなくてはいけない。

  • 動画が好きなら、感想をブログで書く

  • ゲームが好きなら、ゲーム実況をYouTubeにあげる

こんなことを死にものぐるいでやり、ようやくお金を稼げたときに、本当に楽しいものになるのかもしれない。

覚悟が大事なのだろう。
「自分はこれで稼ぐんだ!!」
という覚悟がなにより大事なのだと思う。

覚悟はいいか?オレはできてる

名言を添えて終わりです。

お疲れ様でした~。

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