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【提供価値】書きたい文章と読みたい文章は両立しない【note】

あなたは、なんのためにnoteで文章を書いていますか?

「自己表現の手段として」
「誰かに文章で価値を提供したいため」

この場合、読まれる確率が高いのはどちらでしょうか?

この場合読まれる確率が高いのは後者。
「誰かに文章で価値を提供したいため」の方です。

なぜなら、前者は自分が主体
後者は相手が主体になっているからです。

相手のために書いた文章でなければ、誰も読んでくれません。
これ、僕への戒めでもあったりします。

文章は価値の提供

文章を読まれるためには、読み手への価値の提供を考えることが一番大事です。
相手への価値の提供が一切ない文章は、誰にも読まれないと思っていたほうがいい。

たとえば、日記などは誰にも読まれない。という前提で書いたほうがいい。
誰か知らない人の日記なんて、読み手への価値提供にはなりませんから。

とはいえ、別に日記を書くなと言っているわけではありません。

僕だってこのnoteは半分日記のようなもの。
だけど、続けていると、どうしても欲が出てしまう。

「どうせだから誰かに見られたいよな…」

なんて思ってしまいます。
で、少ないながら、読まれている記事や、スキの数が多い文章を改めて見てみると、やっぱり誰かに情報価値を与えている(ように見える)記事なんですよね。

逆に思ったことを連ねているだけの文章は、やはり読まれない。
毎日書いていると、その反応が如実に現れます。

だから、文章を読まれたいのなら、情報価値を提供することを一番に考えなくてはいけないんです。

書いていて楽しい文章は読まれない

書きたい文章って読まれません。
これは僕に限ったことなのかもしれませんが、書いていて楽しい記事は大抵反応が悪いです。

というのも、僕は文章を書いていると、たまに暴走してしまって、最終的に、

「こいつは何が言いたいんだ?」

というような文章を書いてしまうから。
思いついたことをただ書いているだけだと、読まれないんです。

書いていて楽しい文章は読まれない。
要は、書きたい文章は読まれないってことです。

書きたい文章と読みたい文章はちがう

書きたい文章と、読みたい文章って両立しないんです。
書きたい文章は、書いていて楽しいですが、読みたい文章は書いていて楽しくない。

読みたい文章は相手のことを、まずなにより一番に考えなくてはいけない。
しかし、相手のことばかりを考えている文章って、自分がつまらないんですよね。

だから、読みたい文章は自分が楽しくなくなるわけです。
ただ、楽しくなければ、続けることは困難になります。

継続するのに大切な要素はなにより、楽しむこと、です。
それがなければ、文章なんてだれが書くかってことです。

お疲れ様でした

んー、ダラダラ書かせてもらいましたが、僕の言いたいことは、

「書きたいことはあるけど、読まれない…」
「読まれないけど、書きたいことはある…」

と困っているってことです。
どうすれば良いんでしょうね?

多分、答えとしては、その中間。
書きたいことを書きつつ、誰かへの価値提供も忘れない。なのでしょう。

言葉にするのは簡単ですが、まぁ、難しいですよね。
うまいこと、真ん中でバランス取れるよう、これからも頑張ります。

ではまた。


サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。