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実話怪談 #33 「冷たい目」

 これは五十代前半の男性、立花さんのだんである。

 今から二十年以上も前の話だという。
 当時の立花さんは二十代後半で、鉄工所の職人として勤めていた。麻衣子さんという女性とつき合っており、ふたりで二階建ての木造アパートに移り住んだ。いわゆる同棲というやつだ。

 同棲をはじめて三週間ほどが経った深夜だった。
 布団の中で眠りについていた立花さんは、強い違和感を覚えてぱっと目を覚ました。すると、身体がまったく動かなくなっている。
 何度かそれを経験したことがある立花さんは、すぐに金縛りにみまわれていると気がついた。しかし、何度金縛りに遭っても慣れはしなかった。毎回恐怖を覚える。

 隣から麻衣子さんの寝息が聞こえた。首から上は動かすことができたため、彼女の姿を確認することはできた。だが、声が少しも出てくれず、助けを求められない。

 それでもなんとか声をだして、麻衣子さんに気づいてもらおうとした。すると、ふと立花さんは足首あたりに違和感を覚えた。そちらに目を向けてもなにも見えないが、確かに布団の上になにかが乗っている。
 小型の犬ほどの重さをじんわり感じた。

(なんだ、これ……)

 気味悪く思っていると、それはゆっくりと動きだした。見えないなにかが、布団の上を四本足で歩いているような印象だ。徐々に足首から膝のところまであがってきて、さらに太ももあたりにまで移動してきた。

 ここで立花さんは唐突にその正体に気がついた。四本足で歩いているのではなく、四つん這いで歩いている。
 これは犬ではない。
 きっと赤ん坊だ。
 目には見えないが、赤ん坊が布団の上でハイハイしている。

 赤ん坊だと気づくと、余計に気味が悪くなった。そして、その赤ん坊はなおもハイハイしながら、ゆっくりと布団の上をあがってくる。すでに腹部あたりにいて、まもなく胸にまで到達する。と思っている間に、じんわりとした重さを胸に感じた。

 立花さんはなんとかして金縛りを解きたかった。必死になって身体を動かそうとしたものの、気持ちばかりが焦って、結局のところ指先ひとつ動いてくれない。

 そのとき、生ぬるい息が顔にかかった。赤ん坊の顔が目の前にあるとはっきりわかった。
 直後に小さな手の感覚を、頬にはっきりと感じた。
 ペタ……
 すると、いきなり金縛りが解けた。

 反射的に飛び起きた立花さんは、唖然として部屋の中を見まわした。
「え……」
 今しがたまで夜だったというのに、気づけば朝を迎えていたのだった。赤ん坊の気配はもうどこにもない。

 立花さん飛び起きたために目を覚ましたらしい。隣で眠っていた麻衣子さんが、あくびをしつつ尋ねてきた。
「……どうしたの?」
 
 壁かけ時計に目をやると午前七時三十分過ぎを指している。平日であればそろそろ起きだす時間だが、今日は日曜日で仕事は休みだ。起きるのはもう少し先で構わない。
 金縛りや赤ん坊の話を正直に伝えてしまうと、きっと麻衣子さんを怖がらせてしまう。それでなくても麻衣子さんは怖がりだ。気味の悪い話は避けたほうがいいだろう。
「ごめん、寝ぼけて平日と間違えた……」
 立花さんはそう言って誤魔化した。

 その日の昼過ぎに、立花さんはアパートの大家のもとを訪ねた。大家はアパートの隣にある戸建住宅に住んでおり、六十代後半の小柄な女性だった。

「あの、ちょっと失礼なことをお伺いしますが……」
 立花さんは大家宅の玄関先で、思い切ってこう尋ねた。
「ぼくが借りてる部屋って、過去になにかありました?」
 大家は首を傾げて尋ね返してきた。
「なにかって?」
「気を悪くさせたら申しわけないんですが、誰かが死んだとかはないですか? たとえば赤ちゃんが死んだとか」
「いいえ、ないけど」
 大家の話によると、立花さんが借りている部屋だけでなく、アパート全体においても、過去に人が死んだ事実はないという。

 大家が嘘をついているようには思わなかった立花さんは、
「変なことを訊いて、すみませんでした」
 頭を深くさげてから二階の部屋に戻った。

 昨晩の赤ん坊がこの世のモノではないは明らかだ。部屋に不吉な曰くがあるのではと疑ったが、どうやらそういったことはないようだった。

 だが、それからしばらくして立花さんは妙な話を聞いた。

 仕事の取引先に立花さんと同年輩の、Kさんという名の男性がいた。立花さんはそのKさんと懇意にしていた。何度か仕事でかかわっているうちに意気投合し、プライベートでも飲みにいくような仲になったのだ。
 あるとき、Kさんと麻衣子さんの地元が、同じであることが発覚した。
 思いがけない偶然に立花さんは興奮したが、Kさんから麻衣子さんにかんするある話を聞いて動揺した。

 麻衣子さんが二十代半ばの頃の話だという。つまり、立花さんと知り合う数年前のことになるのだが、麻衣子さんは子供を産んでいるらしいのだ。父親が誰であるかは誰も知らないという。
 立花さんはそんなことを麻衣子さんから一度も聞いたことがなく、ましてや産んだというその子供を見たこともなかった。

 また、それは根も葉もない噂ではないようだった。麻衣子さんが赤ん坊を抱いているところを、Kさん自身もその目で見たことがあるという。
 だが、いつのまにか麻衣子さんが地元を去ったため、その後の彼女のことはKさんも把握していなかった。どこかでひとりで暮らしているという噂が広まったが、子供がいるはずなのにと地元のみなは不思議がった。

 立花さんはKさんに聞いた話を麻衣子さんに問い質した。なぜ、子供を産んだことがあると言ってくれなかったのか。子供を産んだ事情はどうであれ、隠されていたのがショックだった。
 そして、産んだ子供はどうしているのか。
 
 すると、麻衣子さんは冷たい目をしてこう言った。
「明日話すから……」
 ところが、麻衣子さんは翌日、アパートをこっそりと出ていった。立花さんが仕事から帰ってくると、彼女と彼女の私物が消えていたのだった。
 以後の麻衣子さんは完全に消息を絶った。どこにいってしまったのか、まったくもって見当がつかなかった。

 あの夜に立花さんが経験したことと、麻衣子さんが産んだという子供に、なにかかかわりがあったのかどうか。二十年以上の年月が経った現在でも、ふと立花さんはそれを考えるのだという。
 また、麻衣子さんが見せた冷たい目が、今でも忘れられないそうだ。

     (了)


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