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プロテスタントの教えはこうしてシトカに伝わった(天然痘の話)

あるシトカの男が南へ出かけ、二か月して戻って来た時のことだ。男はカヌーで浜に着くと、みなで踊るのだといって人々を呼び寄せ、天から神(遠くの長)が助けに来てくれたと告げた。

人々は踊った。女たちがそろって草木の実の髪飾りや耳飾りを作り始めると、踊りはそこでいったん止まった。数日後の夕暮れに飾りはできあがり、それらを身につけてまた人々は踊った。

そうして踊りが続く中、あちこちで女たちが仰向けに倒れた。すると人々は、男が南で教わった通り、海水を汲んでそれぞれの女の上掛けを濡らし、上掛けの端で胸を叩いて意識を取り戻させた。こうすれば天然痘はもうその女には悪さをしなかった。

丸々一年、人々は踊った。

*アメリカの人類学者John Reed Swanton(1873-1958年)によって記録された北米北西部太平洋岸地域の先住民クリンギット族の神話Tlingit Myths and Texts(1909年)から、"How Protestant Christianity was First Heard of at Sitka"(79頁)を翻訳・ご紹介しました。話者はシトカのBox-house一家の古老Dekina'k!uとあります。なおSwantonは自らがつけた題名に注を付し、教えを伝えたのはプロテスタントではなくイエズス会(カトリック)の宣教師だった可能性もある、と断っています。

外部から持ち込まれ、免疫を持たない北米先住民の大量死をもたらした病気の一つである天然痘ですが、James R. Gibsonの"Smallpox on the Northwest Coast, 1835-1838"によると、何らかの記録が残っているシトカでの流行は1770年頃が最初で、1835-38年にもエピデミックが発生したそうです。Center for the Study of the Pacific Northwestが公開しているReading the Region: History and Literature of the Pacific Northwestの解説によればキリスト教の宣教師が太平洋岸北西地域に入ったのが1830-40年代ですので、この話が伝えているのはまさにその頃の出来事だと思われます(他の多くのクリンギット神話とは大きく異なります)。男が教わったという天然痘への対処法は明らかにでたらめですが、そのような教えを吹き込んでいた宣教師が実際にいたのでしょうか(調べ切れていません)。1830年代後半、天然痘のワクチンは既に発明されており、シトカのロシア人たちが先住民にも接種を行っていたものの、クリンギットの人々はこれをなかなか受け入れなかった、とGibsonは前掲の論文でまとめています。そこにはまた、年長者たちが病で次々と亡くなり、シャーマンの信頼が失墜し、クリンギットの栄華が潰えていったことも綴られています。失神を伴う激しい踊りを一年ずっと続けるというのは、自分たちのシャーマンを信じることも科学を受け入れることもできなかった人々が最後に望みを託した行為だったのかも知れません。

トップの画像はドイツの地理学者Aurel Krauseが1885年に出版したクリンギットの民族誌の92ページに載っているシトカの近くの風景のイラストです。


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