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レクイエムと冷たいブルマ

私の家は母と自分1人、たった2人だがある法則があった。

勉強はそこそこでいい(母は自分が祖母からスパルタ教育を受けていたので懲りていたのだろう)、とにかくピアノを弾きなさい。
テレビはNHKと教育テレビ、BS放送しか見てはダメ(理由はバカになるから)、漫画もバカになるからダメ、音楽はクラシック音楽と母の大好きなエルビスプレスリー、デビットボウイのみ聴いても良い。

すごく偏ったへんてこな法則なのだが、私が進学で家を出る高3までそれは続いた。


特に思い出深いのが県住のゴキブリアパートで、夜20時を過ぎると来る日も来る日も同じ曲を繰り返し大音量でかけるのだ。

モーツァルトの『レクイエム』
メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』

母なりにとてもハマっていたのだろうが、特にモーツァルトレクイエムの当時のCDのジャケットが怖くて怖くて正視できなかった。レクイエムに関しては、母が大学時代音楽部でオーケストラに合わせて歌ったそうだ。

その2曲のどちらかを夜な夜なリピート機能をつけて繰り返し大音量でかけるもんだから、県住の壁や天井から音が筒抜けでよくクレームがきていた。

仕事で疲れていた母はほとんど家事をしない。

小学2年になる頃にはボロアパートの全ての部屋の掃除をするようになった。ゴキブリが産んだ無数の卵が掃除機にこびりついていた。それはいい。
何が辛いって洗濯をしてもらえなかった事だ。週に一度くらいしか洗濯機をまわさない。
明日学校に履いていく白のソックスとブルマがない。どうしよう…洗濯機の使い方がわからない。
何日か履いたらソックスは黒ずむし、ブルマはおしっこ臭くなる、とても嫌だ。
考えた挙げ句、晩お風呂に1人で入った時にコッソリ自分でソックスとブルマを石鹸でゴシゴシ洗うことを覚えた。部屋では大音量でレクイエムがかかっており母はワインを飲んで陶酔している。
まだ小2の私は洗い終わったソックスとブルマを上手にかたく絞れない。そのままコッソリベランダに干す。翌朝履こうとしたら生乾きのままだ。それでも仕方ない、学校に着くまでの間、団地の坂道を走って行けば乾くだろう。ひんやりと冷たいブルマを履いて、生乾きの穴のあいたソックスを工夫して履いた。

新しい筆記用具や楽譜は買ってくれるのに、なぜ娘のブルマやソックスに気づかないのだろう…おそらく母はそういう事にかなり無頓着だったのかもしれない。

運動会の時、私の体操服だけ黄ばんでいた!と祖母が母に大激怒した事があった。学校帰りには必ず祖母の家に寄るので、なるべくそれからは洗濯物は祖母の家のカゴに出すように言われた。翌日学校から祖母の家に帰ると、私の出した洗濯物が綺麗に洗濯されアイロンまでかけてあった。
なんて気持ちいいんだろう、おばあちゃんがお母さんだったらいいのに…なんて口が裂けても言えない。

祖母は私のためにありとあらゆる事をしてくれた。障がい者の佳子ちゃんが家にいるので、働きたくても働けなかったと言っていた。本当は婦人警官になりたかったらしい。
佳子ちゃんの身体介護をほぼ1人でしながら、幼い私の面倒までみるのはとても重荷だっただろう。時間がないので勉強は見れないが、毎日日記を一緒に書いてくれるようになった。文章の書き方は祖母から自然な形で教わった。

日記を書き終わると、祖母と佳子ちゃん3人でおやつを食べ、水戸黄門をみる。その後は晩ご飯の手伝いをするか、佳子ちゃんと遊ぶ。友だちと遊んだり、駄菓子屋に走る日もあった。日本昔ばなしなどの漫画も祖母の家で見た。
とても子どもらしい過ごし方ができた。

母が祖父と会社で喧嘩をしない日は、2人とも18時頃家に帰ってくるので、祖父母、佳子ちゃん、母と私5人で晩ご飯を食べる。
母が祖父と喧嘩をした日は、私を猛スピードで車に乗せて県住のボロアパートに帰る。あ!洗濯物を忘れた…今日は仕方ない、お風呂で洗って乾かそう。翌朝、ブルマは湿っている。
食事は2人暮らしだったのでよく外食で済ませた。

それからピアノの練習だ。
ピアノを弾いている間は殴られないが、少しでも間違えると母から怒号が飛んでくる。
ピアノの先生(K先生)の方針で、バーナムの基礎教本と曲のみ。バイエルは抜粋で良い、全曲やる必要ないと数曲弾いて、先へ先へと進んだ。

それが終わると母はおもむろにワインとチーズを冷蔵庫から取り出し、『レクイエムタイム』が始まるのだ。
今でもレクイエムと真夏の夜の夢が流れてくると県住のボロアパートでの記憶がよみがえる。

『レクイエムタイム』が終わると電気を消して2人で寝る。隠れていたゴキブリたちが出てきて、壁から壁へとものすごい音を立てて飛ぶ。ゴキブリが飛ぶことを初めて知った。レクイエムもゴキブリも怖くて怖くて母の胸元に顔を突っ込んで寝た。

翌朝にはまた慌ただしく湿ったブルマとソックスを履いて学校へと走った。

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