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2016年のマイルス・デイヴィス

~「Jazz The New Chapter」と「ジャズ史」を通して眺め返す~

――「今、マイルスは底値だ」

この言葉は、2016年3月22日に慶應義塾大学の三田キャンパスで開催された「マイルス再論」という講義形式のイベントで、菊地成孔さんによって発言されたものだ。人によっては、菊地さんがこのような発言をしたことに驚いた人もいるだろうし、それもさもありなんと納得した人もいるだろう。

 2016年という年は、マイルス・デイヴィスにとって没後25年であり、生誕90年にあたる節目の年である。アメリカではドン・チードルが監督/脚本/主演等を兼ねた映画が公開され、その劇伴を一部担当したロバート・グラスパーによる(いわゆる)トリビュートアルバム《Everything's Beautiful》も発売されるなど、改めてマイルス・デイヴィスについて考えなおす機会となりそうだ。では何故、このタイミングで菊地さんによって「今、マイルスは底値だ」という発言がなされたのか。本論考では、2016年におけるマイルス・デイヴィスの評価とその要因について検討してみたい。

―― 2016年のマイルス・デイヴィスを表象する『MILES : Reimagined』

底値の空気感は、Jazz The New ChapterのSupervisor 柳樂光隆さんが監修をつとめた『MILES : Reimagined 2010年代のマイルス・デイヴィス・ガイド』(2016年6月出版)でも共有されている。この中でインタビューを受けている今話題のミュージシャンたちは、マイルスへのリスペクトを口にしてはいるものの、その口調から感じられる熱量は決して高くないのだ。具体例をひとつ挙げれば、グラスパーのインタビューを読むと、ハービー・ハンコックを語るときに滲み出てくる畏敬の念が、マイルスに対してはさほど感じられないことに気づくだろう。

 また記事の多くで、マイルスの音楽を語ってはいても、話題の中心となる人物がマイルス本人ではないことにも気付かされる。吉田隆一さんはガンサー・シュラーを、坪口昌恭さんはビル・エヴァンスを、挾間美帆さんはギル・エヴァンスを、高橋健太郎さんはテオ・マセロを、ケペル木村さんはアイルト・モレイラを、石若駿さんと横山和明さんはマイルスバンドの歴代ドラマー達を語っており、マイルス自身についてはさほど積極的に語っていないのだ。特定のアルバムや時代に特化した「各論」であればそのようなケースもあり得るだろうが、『MILES : Reimagined』は偏りがあるにせよ生涯全体を対象にした「総論」であるから、尚のこと珍しいケースである。

 これまでの日本において(話題に挙がりやすいという意味で)代表的な「マイルス本」といえば、故中山康樹さんによる『マイルスを聴け!』シリーズ、小川隆夫さんによる『マイルス・デイヴィスの真実』、菊地成孔さんと大谷能生さんによる『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』ということになるだろうか。『M/D』について、新世代のマイルス本のような扱われ方をしばしば目にするが、マイルス・デイヴィスという人物が何を考えていたのかを深掘りしてゆき、最終的な要因をマイルス・デイヴィス個人の「パーソナリティー」に帰していくという点で、語り口こそ違えど、この3種のマイルス本が向かっている方向性は大差ないとも言える。

 この3者の方向性に共通するのは、マイルスが何を考えてあのような音楽を作ったのかについて、マイルスのパーソナリティーに沿って理解しようと努めている点である。したがって、必然的にマイルスとの同化傾向が否めないし、おのずと論ずる対象との距離感も非常に近すぎるものとなってしまうのだ。ところが『MILES : Reimagined』においては、そのような同化の傾向をもつ語り手が見当たらない。若い世代は当然としても、渡辺貞夫さんにしろ、村井康司さんにしろ、少なくとも本書のなかでは比較的距離を置いた語り口となっている。

 このようなマイルスを語る温度の違いは、解釈学(※哲学の一分野)におけるパラダイムシフトを踏まえると容易に理解できるだろう。

シュライエルマッハーからディルタイに至る解釈学では、たとえば、ある文学作品を解釈する際には、その作品を産み出すに至った原作者の歴史的心理的な事実過程の復元が重視されるにすぎなかった。ところが、ヘーゲルの場合には、過去の歴史的事実の再現ではなく、むしろ過去の時代の作品なり思想なりが樹[た]てている「真理要求」と、いわば「対決」して、それが解釈者の生きている現実にいかなる意義を有するかを思索することこそが、真の解釈とされる。
(渡邊二郎著『構造と解釈』:筑摩書房,p. 307)

前者はシュライエルマッハー(1768-1834)からディルタイ(1833-1911)に至る「原作者の歴史的心理的な事実過程の復元」を重視し、後者はヘーゲル(1770-1831)の流れを汲んだガダマー(1900-2002)による「解釈者の生きている現実にいかなる意義を有するか」を重視する立場である。

 この立場の違いを前述した代表的なマイルス本3種にあてはめれば、立場としては前者をとっている故に、現代にどのような影響を与えているかを語っていたとしても最終的な帰着点はあくまで「マイルスの思考やパーソナリティー」にフォーカスされていると捉えることができる。それに対して『MILES : Reimagined』では後者の立場をとり、2016年(あるいは、2010年代)を起点にして「マイルスの音楽」をみたときに、どのような意義をもち得るのかという部分へ徹底的にフォーカスされているのだ。

 同書のINTRODUCTIONにて監修者の柳樂さんが述べている「今、2016年に語るべきだと判断したマイルスにだけフォーカス」という言葉は、少し大袈裟にいえばこれまでのマイルス本でのスタンスに対する決別を宣言しているものだと捉えることもできるだろうし、そして2016年の音楽シーンから見たマイルス・デイヴィスの音楽の「意義」と「評価」は、マイルスの思考や音楽そのものよりも、参加ミュージシャンを通した間接的な部分にあることを、『MILES : Reimagined』は表象しているのだろう。

―― 既存の「ジャズ史」は、なぜ行き詰まってしまったのか?

ここまで見てきたように、2016年におけるマイルス・デイヴィスの評価と受容の状況は、彼が偉大なミュージシャンであることは誰もが認めつつも、現在進行形のジャズにとってそこまで関心は高くなく、あまりホットな存在とは言い難いというのが実際のところだろう。

 続いては、マイルス・デイヴィスがそのような状況におかれるに至った「要因」について、考えてみることにしたい。文化芸術の評価というものは評価者自身が意識するしないにかかわらず、結局のところ歴史的なコンテクストに依存しているものである。そのため、既存の「ジャズ史」と「Jazz The New Chapter」を振り返りつつ、2016年にマイルス・デイヴィスをどのように評価しうるのかを検討していこう。まずは、既存の「ジャズ史」というものが何であったのかを簡単に振り返るところからはじめたい。

 これまでのジャズの歴史は、異なるスタイルを連続した変化として接合してゆく「進歩史観」的な価値観に基づくことでジャズに権威付けをしてきた。こうした歴史観の内実については、スコット・デヴォーの「ジャズの伝統を構築する」(『ニュー・ジャズ・スタディーズ──ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング,2010年)に収録。)に詳しく、デヴォーは既存のジャズ史観がどのようなイデオロギーのせめぎあいのなかで形成されていったのかを詳述しているので、ご興味ある方は是非ともご一読されたい。

 こうした進歩史観に基づくジャズ史については、多くの人々が指摘している問題点がある。Jazz The New Chapter (1)のINTRODUCTIONでも触れられているように、歴史の記述が1980年代のウィントン・マルサリスを中心としたいわゆる「新伝承派(あるいは新古典派などの異称有り)」の登場までで事実上停滞しているのだ。重要なのはジャズが実際に停滞していたわけではなく、あくまで停滞していたのは歴史の記述であるという点だ。何故、これまでのジャズ史ではウィントン・マルサリスで歴史の記述が途絶えてしまったのか。本論考は学術的な内容を目指したものではないため、ここでは筆者なりにデヴォーの論考を自由に解釈し、エッセンスだけを抽出させていただくことにしよう。

 デヴォーの論述を元にジャズ史を読み解き直せば、ジャズがそれぞれの時代においてスタイルを変えてゆくなか、価値判断をおこなう際に最も大きなウエイトを占めたのは「芸術性/商業性」という対立軸であり、この軸を揺れ動いていたと捉えられるのだ。巨視的(マクロ)な目線で見ていけば、ニューオリンズ・ジャズは後にオーセンティックなものとして捉えられたため芸術寄りに位置し、サッチモからスウィングにかけての流れは商業寄りへ寄っていくものと位置づけられる。続くビバップはパーカーが「ジャズではない」と当時発言したところからも分かるように商業的なジャズへのカウンターとして芸術性を志向したものと捉えられる。ウェストコーストジャズやハードバップは、抽象度やナンセンスの度合いが高かったビバップを売りやすい音楽にしたものと考えることができるし、フリージャズはいうまでもなく当時の前衛芸術活動に呼応した音楽であった。そしてフュージョン(ジャズロック)は商業的であるがゆえにジャズではないと批判する評論家が多数存在していた[※脚注]。

 そして現状のところジャズ史の終着点であるウィントン・マルサリスを中心とした新伝承派は、商業主義的であると批判されていたフュージョンによって、汚されてしまったジャズをもう一度オーセンティックなところに引き戻すものであったため当然、芸術寄りのものとして位置づけられる。デヴォーは論考のなかでこのように書いている。

新古典派〔=新伝承派〕のゴールがみごと達成されるのは、アメリカ中の練習室や音楽スタジオでアームストロングやパーカーの胸像がベートーヴェンやバッハの胸像と並べられたときなのだ。
(スコット・デヴォー「ジャズの伝統を構築する」『ニュー・ジャズ・スタディーズ──ジャズ研究の新たな領域へ』:アルテスパブリッシング,p. 207)

この論考は1991年に書かれたものであるのだが、未来を的確に予言していたことに驚かされる。ウィントンは、トランペット奏者として既存のクラシック音楽作品を演奏することで1980年代からグラミー賞を複数回受賞していたが、1990年代半ばから次第に既存の作品の演奏をやめる代わりに、クラシック音楽のミュージシャンたちが演奏するための作品を積極的に作曲し始める。2016年現在、交響曲も第3番まで書かれており、デヴォーが皮肉まじりに書いた、ジャズミュージシャンが音楽室の胸像として飾られるまでの道程をウィントン自身が歩みだしているのだ。

 ここまでをまとめよう。先にも述べたようにフュージョンへの強いカウンターとして登場した新伝承派は、商業化による汚れを、オーセンシティを取り入れることで拭おうとした。そしてオーセンシティを過去に求めたため、進歩史観的なスタイルの変遷としてジャズを捉えられなくなったのだ。つまり新伝承派とは積極的な進化の否定であり、歴史の終着点であることを自ら選んでいるというわけ。進化を否定したジャズは、時代に合わせて大衆に喜ばれるスタイルに大手を振っては変化しようとしないため、伝統芸能やクラシック音楽と同じように保護される対象となる道を選ぶことになる。アメリカにおける古典音楽としてのポジショニングは、このようにして実現された。ウィントンがジャズだけでなくクラシック音楽のルールにも沿って演奏や作曲をしてきたのは、ジャズがクラシック音楽に匹敵する高度なものであることを証明するためだと考えれば合点がいくのではないだろうか。

――「Jazz The New Chapter」が持ち得る射程距離

既存のジャズ史の行き詰まりに対し、文句を述べる人々はたくさんいても、自ら大々的に突破口をひらこうとするものは殆ど誰もいなかった。そんな状況に風穴を開けたのが柳樂さんを中心としたJazz The New Chapterの流れだ。Jazz The New Chapterでは、進歩史観的な価値観にとらわれることなく、21世紀のジャズを起点にして音楽を語ってゆく。例えば特定のミュージシャンがどのようなバックグラウンドをもっているのかを語ったり、近年どんな潮流が見受けられるかを語ったりしていても、それらを一本の線で繋いだ(リオタールのいうところの)「大きな物語」に回収しようとはしない。だからこそ歴史ではなく、新章 New Chapterなのだ。現在からみた意義を中心に据えるのは、先にも述べたように『MILES : Reimagined』でも踏襲されている方針であり、Jazz The New Chapterは既存の歴史を延長しようとはせずに、現在から新しく語り直した点が非常に潔かったといえる。

 そして、前述した既存のジャズ史からJazz The New Chapter的なるものを捉え直すと、新伝承派とは逆の方向を向いているのは間違いないだろう。グラスパーを例にあげれば、ジャズのオーセンシティにはさほど興味をしめさず、《Black Radio》ではインストの楽曲を廃することで多くの人に届くことを狙うなど、芸術性よりも商業性を重視しているのは明らかである。

 ただ、誤解のないように念をおしておくが、「芸術性より商業性を志向したからグラスパーの音楽は優れていない」というロジックは成立しない。そのロジックを採用すれば、商業性を重視した音楽すべてを否定することになるし、そもそも「芸術性/商業性」という二項対立によって語られているものはミュージシャンが「自分がやりたいこと」と「他人が喜ぶこと」のどちらを優先するのかという問題に過ぎず、両立することもあり得るからだ(ただし、芸術性の担保をオーセンシティに求める場合は少し事情が異なってくるのだが)。

 あくまで筆者が指摘したいのは、ジャズという名前でカテゴライズされてきた音楽は、ミュージシャンたちが「芸術性/商業性」という軸を揺れ動くダイナミズムによってスタイルを「変遷」(進化ではなく!)させてきたという見立ては、21世紀においても有効なのではないかという点だ。1980年代に進化の歴史に一旦終止符をうってしまった新伝承派が力強く反商業主義を掲げてしまい、ジャズをヨーロッパの伝統芸術に比肩するものにしようとしたがために、それ以後に新しく登場したものを本流(=新伝承派なるもの)から外れた亜流のように見えさせてしまったことは否めない。だが実際のところ、Jazz The New Chapter (1)に収録されたインタビューにおいて山中千尋さんが「90年代初頭からのムーヴメントは、ウィントン・マルサリスに代表されるジャズの新伝承派みたいなものとは違って、もっと広い括りでジャズに取り組んでいたのではないでしょうか。」と発言しているように、90年代以降に登場したジャズには新伝承派という言葉で語れないものを内包しているはずなのだ。それを語るテクニカルタームを我々は必要としているのにもかかわらず、まだ持ち合わせていないためにうまく語ることができない。

 今後、Jazz The New Chapterが自らのプリクエル(前日譚)としての90年代を語るとしたら、それは大きな物語ではなく、ポストモダン時代に適した小さな物語として記述されるべきだろう。そして前述した「解釈者の生きている現実にいかなる意義を有するか」という思考をもって90年代をこれから語り直すべきだし、Jazz The New Chapterはそれだけの射程距離をもっているはずだ。

 それぞれの時代に一世を風靡したピアニスト(例えば、1980年代から90年代にかけてのペトルチアーニ、90年代以降のメルドー、2000年代以降のグラスパー)を並べただけでも、彼らのスタイルの違いだけでなく、その時代に聴衆が何を求め、何を新しいと評価していたのかを考えるヒントになるかもしれない。そういう意味で、柳樂さんによる「00年代以前のクラブジャズ」と「00年以降の現代ジャズ」の違い」も、90年代のジャズを捉え直す糸口になるであろう。なぜならデヴォーの論考「ジャズの伝統を構築する」が真にクリティカルなものとして受け止められたのは、音楽の制作側だけを語るのではなく、受容側が何故それらをそのように評価したのかを詳らかにした点にこそあったからだ。その目線なしに、既存のジャズ史を更新する新しい歴史を記述していくことは出来ない。

―― 2016年のマイルス・デイヴィス

では最後に、既存のジャズ史とJazz The New Chapterの違いを踏まえた上で「2016年のマイルス・デイヴィス」に対する評価(≒ 温度感)を形成した要因を、本論考の結論として読み解いていく。オーセンシティを大事にするジャズの評論家から「商業性」を理由にフュージョンは手厳しく批判されていたことは既に述べたが、ここではより具体的な内容へ踏み込んでいくことにしよう。

 伝統的なジャズを信奉する「純粋主義者」や「伝統主義者」によるフュージョンへの批判は激しいものであり、多くは「商業性」とそれにともなう「芸術的妥協」を批判の理由としてあげていた。評論家スタンリー・クラウチは、電気楽器を取り入れたマイルスに対して「ジャズの歴史におけるもっとも輝かしい身売り」と断罪し、「デイヴィスは美しいものに背を向け、商業性の前にひざまずいたのだ」と舌鋒鋭く批判している。

 しかし、《ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンソン》を詳述した博士論文を執筆しているジェレミー・アレン・スミスも指摘しているように、1969年から引退する1975年の間でマイルスが商業的に大きな成功を収めたのは《ビッチェズ・ブリュー》だけである。つまり1970年代のマイルスの音楽は、オーセンシティを重視する批評家から商業的であると見なされたために芸術性を認めてもらえず、マイルス自身は商業的成功を強く願っていたが《ビッチェズ・ブリュー》以外は実際のところ商業的にも成功できなかったのだ。

 先にも述べた「芸術性/商業性」という軸を再度用いて1970年代のマイルスを考えてみると、マイルス自身は芸術性と商業性の両面を追求していたつもりだったのかもしれないが、商業的には失敗し、1970年代当時、芸術的とされていたのはオーセンティックなジャズか、ヨーロッパの前衛音楽に呼応していたフリージャズであったため、芸術性という観点から認めてもらうことが難しかった

 加えて、ジャズ史にマイルスが登場するのが《ビッチェズ・ブリュー》あたりまでであることも、芸術的な評価をされなかったことを物語っているように思われる。マイルスの伝記を執筆したジョン・スウェッドでさえも、著書『ジャズ・ヒストリー』(青土社: 2004)において、《ビッチェズ・ブリュー》以後のアルバムで名前を挙げているのは《ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンソン》(1970年録音、1971年発売)に過ぎない。それ以後のマイルスの音楽はジャズ史のメインストリームとしては扱われなくなっていき、1980年代のカムバック後は誰もが認めるジャズ界の大スターでありながらも、歴史を記述しようとする学者や評論家からは冷遇されていたのだ。

 ここまでは、既存のジャズ史観におけるマイルスの評価とその要因である。ではJazz The New Chapterを通したマイルスの評価はどうかといえば、先にも『MILES : Reimagined』から読み取ったように温度感は高くない。その要因はどこにあるかといえば、身も蓋もない言い方にはなるが「解釈者の生きている現実にいかなる意義を有するか」という観点で、2016年にマイルスの音楽を熱量高く語れる書き手も音楽家も2016年には不在だからという理由に尽きるだろう。大事なのは、過去の意義を語り続けることではなく、現在の意義として新しく語り直せるかどうかだ。残念ながら、マイルスに対して熱量が高い書き手は、過去の意義を語り続けているように見受けられる。

 そろそろまとめに入ることにしよう。既存のジャズ史からは《ビッチェズ・ブリュー》以前の作品しかまともに評価されず、そもそも既存のジャズ史を延命させようとしているのはジャズをクラシック音楽化させようとしている「新伝承派」的な勢力が主であるが故に、マイルスは未来永劫「《カインド・オブ・ブルー》の人」であり続ける。そして、Jazz The New Chapter的なるものからも「現在性」という観点において熱量が上がらず、積極的な評価からはこぼれ落ちてしまっているのだ。

 確かに「2016年のマイルス・デイヴィス」は、マイルス受容史において、彼が大スターになり得た後で、最も「底値」に位置しているのかもしれない。しかしながら、それはマイルスの音楽の位置づけを決定づけるものではなく、今後また再び「意義」を有するタイミングを静かに待っているだけなのだ。2026年、マイルス・デイヴィス生誕100年を迎えるその時に、彼と彼の音楽がその時代に見合った意義を見出されているかどうか。筆者もマイルスのファンのひとりとしてシーンを見守りつつ、新たな意義を語っていきたいと思う。

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※脚注]もちろんミクロな目線でみれば、例えばニューオリンズ・ジャズのなかにも商業的なものが、スウィングのなかにも芸術性の高いものがある…といったような例を挙げだせば枚挙にいとまがない。それはデヴォーも指摘するところであるし、ここではあくまで既存のジャズ史を記述する際に「商業性/芸術性」のダイナミズムが含まれているということをご理解いただきたい。

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