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いと清々し

先週の木曜日の夜だろうか、なんだか目が腫れてきそうだなというぼやっとした予感を持って眠った。

翌日の夕方、鏡を見る機会があって目元を見るとうっすら赤くなっていた。週末に突入してしまうと受診出来なくなるかも、それはいかんと思って時間を作ってピューッと眼科に行った。目薬を数種類処方されてことなきを得たのである。

その数日後、今度は風邪を引いた。葛根湯を飲んだりなんやしたり、早めのパブロンはしなかったが早めの対応でほぼ一日で回復に成功した。翌日にはシャキーンとはしなかった。体もだるかったし、しんどくはあったけれどまあよしと出来るくらいの状態にはなった。

そして昨日、黄砂とPM2.5にやられ現在喉が長州力に。

ザクッと言うと免疫力が少し落ち気味の一週間だったんだろうなという感じ。でももうそれなりの経験を積むと異変の芽を摘むのも上手になっていて、どれも大事に発展させずに済んだわけである。

しかしまあなんというか、体の異変には気が付けても心の異変というやつには僕は相変わらずドン小西、あ、間違ったドンの感だ。しかしストレスが表出して体に異常が表れることがあるわけで。それをひとつひとつ芽を摘むことが出来ているのは自分を労われている、つまりヨシヨシ出来ている状況だと思う。

さて、長い前置きになったが今日の本題。清々しく生きてえなあって話。

人には色々な人がいる。僕はカラッと生きていたいな、清々しく生きていたいなと思うわけだ。

きっと心にも湿度というものがあって、あまりにツラいことが続きすぎたりすると止まない雨状態になってしまって人間ジメッとしてネバッとしてしまうのではないか。

僕は自覚症状こそなかったが、ジメッとネバッとしている部分があると自分で思う。これは二回か三回前のエッセイにも書いていることだが、スパンスパンと竹を割ったようなスタイルでカラッと生きたいなあと思うのである。

元来僕はそういう性質を持っていたし、わりとスパンスパン言いすぎて中高と友だちゼロ企画室の室長を担っていたわけである。だからそっちのスタイルにマイナーチェンジしたいなと。

だってどうせ嫌われるんだもん、人から。自分の在りたい自分であったって、自分を押し殺していたって。だったら自分の本来の性質に近い自分であった方が楽ちんなのではないかと。

つまりこれは新たに何かを得るステップではなくて、大人になるにつれて身に付けた小賢しさを捨てて行こうというステップなのだ。

さあ、ホップステップジャンプだ。そして言おう、いと清々しと。

志紀

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