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人生の妙

先日、四年間通った病院で最後の診察を受けた。

最近は毎度数時間待ちが当たり前で、近場のもう少し待ち時間の短そうな病院に通おうと思っている。

主治医と話すのも、もしかすると会うのも最後なのかも知れなかったがお互いそんなことは感じさせないカラッとした別れだった。

「無駄な努力をやめようと思って」

僕がいつもより砕けた口調でそう言うと主治医の目の奥が光った。

「うん、無駄な努力というのは?」

僕は頭の中を整理して答えた。主治医はとても頭のいい人だから、的確な問いが投げられる。

「僕は、自分で言うのもなんですけどベースが真面目な努力家だと思うんです。そんな人間が無意識でも努力、意識の上でも努力と考えたらガチガチに縛られてしんどいなと」

主治医はひと言も聞き洩らさないよう真剣にこちらを見つめ、少し間を置いてこう言った。

「逢坂さんはお父さんとの関係や野球の経験から、ご自身に過剰な努力を求める傾向にありました。今もあると思いますが。それが徐々に和らいでいるように思います。無駄な努力をやめるというのもとてもいい考えだと思います」

そのあとはとりとめもない雑談をして、サラッと別れた。

君子の交わり淡き水のごとし、なんて。

劣等感の話もした。Aが出来るようになったら、今度はBが出来るようになりたくなる。Cが欲しくてCを手にしたらDが欲しくなる、そんな話だ。

僕が他人からどう見られるかより、自分の心地よさを求めたいと話したあとの流れだった。

「どこまで行っても穴と言うのは埋まりませんからね。次の目標、次の目的と追いかけてそれが達せられるとさらに次の目標、次の目的と再現なく追いかける。でもそれは解消されませんからね」

主治医は続けた。

「僕らの人生は短いからたかが知れているじゃないですか。その中で何もかもやるなんてことは出来ない。自分が存在することで誰かに対して影響を与える。プラスの結果も、時にはマイナスの結果も生まれますけどね。でもそれが生きている意味のような気がします」

現在の僕の多くの考えはこの主治医との対話の中で生まれた。

いつかあの診察室でのやりとりを「あのことがあったから今があるんだな」と思い起こす日が来るのだろうと、なんとなく予感している。

次の主治医は自分で条件を出して探し出した初めての医師である。

どんな出逢いになるか、楽しみにしつつ。

少しでも医者にかかる回数は減らしたい。三時間待つより、三時間遊びたいから。

志紀

おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)