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「自分で朗読する」を意識して書いてみる#①その前に

まずはじめに

以前から朗読を習いたいと思っていて、昨年、フリーの地元のアナウンサーさんがやっている市民講座の朗読講座の見学に行きました。
でも子どものお迎えの時間にギリギリなのと、車で1時間かかる町まで行かねばならないという点がネックで泣く泣く諦めたのでした。
でも「朗読したい」という願望は残っていて、音声配信のプラットフォームをあれこれ探してみたり、配信をいろいろ聴いてみたり、青空文庫で読みやすい話がないか探したり、読んでみたり、、そんなことを時々しながら1年経過しました。

そもそも何故朗読か?

小学3か4年生のとき、年に一度の文化祭的なもので、私のクラスは「忠臣蔵」の劇をすることになりました。
余談ですが、このとき主役の大石内蔵助は2人が演じました。どういうふうに交代していたのか忘れてしまいましたが、男の大石内蔵助役と女の大石内蔵助役が立てられました。
そしてやっぱり主役を演じるのは、世の定番でしょうかスポーツが得意で勉強もできるイケメンくんと、やはり運動も勉強もできる美人ちゃんなクラメイト。その男子の同級生は、身体も大きめだったので、見た目からしてハマり役。しかしながら女子のくらのすけ役の同級生も、ただかわいいだけじゃない、賢さと凛々しさを備えている子だったので、これまたくらのすけ役にピッタリ。主役2人のハマり具合をはっきりと覚えています。
話は戻り、その劇で私はナレーターをしたのです。ナレーターも、私ともう1人いて、セリフを2人で交代で読みました。
その時のセリフの冒頭「時は元禄十四年」だけしっかり覚えています。
そしてこのナレーターという役をとても楽しんでやった記憶がずっと残っていました。いま考えると、時代劇なので「吉良上野介(きらこうずけのすけ)」「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」などの登場人物の名前も、出てくる単語も硬めの言葉でしたが、それをを発することが楽しく、私には心地よかったのです。
小学生のときのこの体験の思い出は私の中にずっとありました。でもその心地良さをむくむくと思い出したのは、十数年前、仕事で物語の朗読を始めたときでした。

民話の読み聞かせ

仕事でネイチャーガイドを数年していました。
プログラムと呼ばれる、参加型の自然体験メニューの中に、夜の森を体験するものがありました。夜の森を灯りなしで歩くナイトハイクや、夜の森で焚き火をするなどの内容です。
その焚き火のプログラムで、物語を読むことがよくありました。地元の民話が主でしたが、プログラム内容や参加者に合わせて絵本や詩を読んだりもしました。
その時の読んでいた民話を思い出してみたら、結構覚えていました。


「むかしむかし、白川郷の真ん中に一人の若い旅人がやってきました。空に(?)そびえる雪を被った真っ白い三方岩岳や、鮮やかな緑に覆われた美しい景色と、やさしく親切な村人たちがたいへん好きになったのです。その若者はその村に住むことに決めました。若者の名は与左衛門といいました。」

と、物語は続いていきます。
この経験で、私は物語を読む楽しさを知りました。
私の読み方、声、抑揚、強弱、間で表現する楽しさ。物語を聞いている人と物語を一緒に味わうことの面白さ。世界が広がりました。
そして子どもの時の劇のナレーションの体験が蘇ったのでした。

ながいながい前置きからようやく本題

そんな経緯で、朗読をやりたいと思っていますが、いまはやる機会などありません。講座に通ってみるとか、絵本の読み聞かせサークルに入ってみるとか、機会を作ればいいとも思いつつ、なんとなく止まったままです。読みたい本を音声配信プラットフォームで配信するには著作権がひっかかるし、、、青空文庫で探すのも正直めんどくさい。
そこで閃きました!
ならば、「文章をコツコツ書きたい」と「朗読したい」をくっつけてしまえばいいじゃん。自分の物語、自分の文章を自分で読んで配信するなら何も問題ない。
そういうわけで、このたび
自分が朗読するための文章を書いてみようと思ったのです。

次はようやく、自分で読むための文章を書いていきます!

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