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カエルのおしゃべり

「父は空 母は大地〜インディアンからの手紙」
寮美千子・編訳 篠崎正喜・画
この本には、20代の頃、ある自然学校で働いている時に出会いました。
メッセージ性が強くて、本の中の言葉はどれも
読む人に強く"なにか“を訴えてきます。

その中で、私の心に留まって、ずっと私の中にある言葉です。

ヨタカの 寂しげな鳴き声や
夜の池のほとりの カエルのおしゃべりを 
聞くことができなかったら
人生にはいったい 
なんの意味があるというのだろう

「父は空 母は大地〜インディアンからの手紙」
寮美千子・編訳 篠崎正喜・画より


その自然学校で働いていた時、職場も住んでいたのも森の中でした。
20代の半ばの数年間、私はその森の虜になりました。

自然は毎日、いや一瞬一瞬、違う顔を見せてくれました。
晴れ、雨、曇り、雪。
朝、昼間、夜。
春、夏、秋、冬。
どんなときも、どの季節も私には美しく見えて、
どんな時も私を迎えてくれて、
いつも自然は私を癒してくれると感じていました。

時間があれば散歩をしました。
すでに森の中なので、少し歩けば、もう誰もいません。
森の中に、私ひとりだけ。
美しく、神秘的な自然を、森を、独り占めした気分でした。


それと同時に
森の恵みを頂くことも、私の楽しみでした。
春の山菜、秋の木の実やキノコ。
村の人に習って、それらを保存食にしました。

自分1人で食べる分だけの保存食です。
森から少し多めに材料を頂いて、
旬を過ぎたあとも、その美味しさを違う食べ方でまた味わう。
本来の保存食とは意味が違いますが、
それが私の愉しみでした。


キョキョキョキョキョキョキョ…
ヨタカの鳴き声を初めて聞いたのは、いつだったでしょうか。
感動したことを覚えています。
宮沢賢治の「ヨダカの星」は読んだことないですが、
ヨダカが、ヨタカであることも、
もしかしたらヨダカが鳥であることさえも、よくわかっていなかった気がします。
実態を全く知らなかった私が、初めてヨタカの鳴き声を聞いたとき、
自然の不思議さ、面白さを想いました。

毎日、自然に触れることは、全く飽きませんでした。
今思えば、私が本来持っている知的好奇心が、ずっと刺激されていたのだと思います。


ある時から私は仕事のポジションが上がりました。
ポジションが上がって、それまでやってきたフィールドワークという仕事が減りました。
フィールドワークというのは、自然学校なので、
トレイルの整備や、生き物や植物の調査や、つまり外仕事です。

それからさらに、仕事でフィールドワークが減るだけでなく、
自分の時間で自然を散策することも、
山の恵みを頂いて保存食をつくることも、
やらなくなっていきました。
時間の問題なのか、自分の心の問題なのか…
私は大自然に囲まれる場所にいながら、
自然を見ること、感じることを失くしてしまったのです。


そしてある日。
街に買い物に出かけて、車で帰ってきたとき、

この自然をゆっくり味わうことができていない今、
山菜採りも、保存食作りもやらなくなってしまった今、
私はここにいる意味がない

と思いました。
そのあとは、自分の声のまま、山を離れることに決めました。


私の人生には、
日々の些細な自然との触れ合いや、カエルのおしゃべりのような、季節の移ろいを、五感(目、耳、鼻、触、味)で感じることが必要不可欠です。
それを失ったときは、私が私じゃないときです。
カエルのおしゃべりを聞くことが、私の人生をより深く、より面白くさせてくれると信じています。








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#エッセイ

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