歌物語2「音にのみ」(新古今集恋歌2)
『新古今和歌集』の恋歌、その2首目だ。
「音にのみありと聞き来しみ吉野の滝」は吉野川の滝についての語りだ。吉野川と言えば「あふことは玉の緒ばかり名の立つは吉野の川のたぎつ瀬のごと」(古今和歌集恋歌三 673 読人知らず)のように「たぎつ瀬=ごうごうと音を立てるほど激しい流れ」で有名だ。そしてこの『古今集』歌に限らず吉野の川や滝は恋情の比喩としても定番だから、当時の読者や聞き手は「音にのみ」歌の吉野川の語りを激しい恋情の比喩だと予想したことだろう。
その吉野の滝が「今日こそ袖に落ちけれ」という。読者や聞き手からすれば予想通りの展開だ。昨日までは他人事だと思っていた吉野の滝のように激しい恋情。いやこの場合は恋の涙だろう。それが自分の袖に落ちている。つまり今、自分が恋の涙を流している。今までは他人の話として聞いていた涙を、流しているのだ。
男の歌だろう、これは。裏切られた女の歌として解釈できなくもない。しかし『新古今和歌集』の恋歌としては2首目である。誰かに裏切られるには早すぎる。そうではなくて、噂を耳にし恋に落ち、気持ちを盛り上がらせて行動に移し始めた男の歌と読むのが良い。
どんな男か。「音にのみありと聞き来し」というのだから、片思いの辛さを昨日までは経験したことが無かった男だ。つまり若造だ。元服したて、官職についたばかりの貴族家子弟あたりを想定しておこう。
どんな男か。恋愛経験は無い。年上の女性と指南のような関係を持ったことはあったかも知れない。だが気持ちは伴わなかった。とはいえ噂話はじゅうぶん聞いてきた。恋に夢見る中学生のような話を、同輩と繰り返していたかも知れない。
どんな男か。恋に落ちた。その自分の恋を、今まで聞いてきた物語のような恋と重ねる男だ。生々しい恋愛感情に煩悶するのではなく、恋のあるべき姿に自分を当てはめるような男だ。つまり、恋をしながら同時に恋に恋をしている。物語と現実の距離を知らない。いずれ気づくか、気づかず捨てられるかするだろう。
とすれば、こんな物語か。
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