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歌物語2「音にのみ」(新古今集恋歌2)

音にのみありと聞き来しみ吉野の滝は今日こそ袖に落ちけれ

新古今和歌集 恋歌1 991 読人知らず

 『新古今和歌集』の恋歌、その2首目だ。
 「音にのみありと聞き来しみ吉野の滝」は吉野川の滝についての語りだ。吉野川と言えば「あふことは玉の緒ばかり名の立つは吉野の川のたぎつ瀬のごと」(古今和歌集恋歌三 673   読人知らず)のように「たぎつ瀬=ごうごうと音を立てるほど激しい流れ」で有名だ。そしてこの『古今集』歌に限らず吉野の川や滝は恋情の比喩としても定番だから、当時の読者や聞き手は「音にのみ」歌の吉野川の語りを激しい恋情の比喩だと予想したことだろう。
 その吉野の滝が「今日こそ袖に落ちけれ」という。読者や聞き手からすれば予想通りの展開だ。昨日までは他人事だと思っていた吉野の滝のように激しい恋情。いやこの場合は恋の涙だろう。それが自分の袖に落ちている。つまり今、自分が恋の涙を流している。今までは他人の話として聞いていた涙を、流しているのだ。

 男の歌だろう、これは。裏切られた女の歌として解釈できなくもない。しかし『新古今和歌集』の恋歌としては2首目である。誰かに裏切られるには早すぎる。そうではなくて、噂を耳にし恋に落ち、気持ちを盛り上がらせて行動に移し始めた男の歌と読むのが良い。
 どんな男か。「音にのみありと聞き来し」というのだから、片思いの辛さを昨日までは経験したことが無かった男だ。つまり若造だ。元服したて、官職についたばかりの貴族家子弟あたりを想定しておこう。
 どんな男か。恋愛経験は無い。年上の女性と指南のような関係を持ったことはあったかも知れない。だが気持ちは伴わなかった。とはいえ噂話はじゅうぶん聞いてきた。恋に夢見る中学生のような話を、同輩と繰り返していたかも知れない。
 どんな男か。恋に落ちた。その自分の恋を、今まで聞いてきた物語のような恋と重ねる男だ。生々しい恋愛感情に煩悶するのではなく、恋のあるべき姿に自分を当てはめるような男だ。つまり、恋をしながら同時に恋に恋をしている。物語と現実の距離を知らない。いずれ気づくか、気づかず捨てられるかするだろう。

 とすれば、こんな物語か。

 にきび面に冠を載せ、慣れぬ束帯に四苦八苦しながら儀式の先例調査に汗をかく。若者は、体力と精神力をすり減らすばかりのそんな日常に癒しが欲しくなった。
 若者はある時、可憐な姫君の噂を耳にする。容姿は誰より美しく、髪はどこまでも長く輝き、物語を愛し古今集の歌を誦じるという。
 若者はシビれた。そんな古い物語に出てくるような姫君と恋がしてみたい。
 そうして若者は手紙を送る。だが待てど暮らせど返信は無い。さては届けられなかったかと、もう一度手紙を書く。従者に重く念押しをして、送り出す。
 返事はない。
 ほのかな憧れのはずだった心が行く宛も無いまま胸の内に募る。気付かぬあいだに激しい恋情に至る。激務の間に書いた手紙に反応も無いまま日が過ぎる。月を見上げてため息を吐く回数が増えた。母や姉らがくふくふ笑って遠くから眺めていることを知るよしもなく、若者の目から涙がこぼれ、袖を濡らす。
 若者は袖の湿りに目を落とす。そんなシーンが昔読んだ物語にあったようだとぼんやり思う。ならば返事をくれぬ彼女は、どんな貴公子にも靡かぬ月の姫か。
 そうして若者は歌を詠む。古今集を誦じるという姫君への文に、その歌を書いた懐紙を重ねて送る。
  音にのみありと聞き来しみ吉野の滝は今日こそ袖に落ちけれ
 返事はまだ、無い。

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