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古今和歌集1人ゼミ4 鶯の歌

1、本文

 古今和歌集の春の部、三つ目の主題は鶯です。13番目から16番目まで続きます。

花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯誘ふ導にはやる(13 紀友則)
花の香りを風の手紙に寄り添わせ、鶯を誘い出す道案内にして送りましょう。
鶯の谷より出づる声無くは春来ることを誰か知らまし(14 大江千里)
鶯が谷から出て来て鳴く声が聞こえなかったのなら、春が来ることを誰が知り得たことでしょう。
春立てど花も匂はぬ山里はものうかる音に鶯ぞ鳴く(15 在原棟梁)
立春を迎えたというのに花も咲きやしないこの山里では、やる気もなさそうな声で鶯が鳴いています。
野辺近く家居しせれば鶯の鳴くなる声は朝な朝な聞く(16 読人しらず)
野原の近くに家を構えているので、どうやら鶯が鳴くらしい声は毎朝聞いています。

古今和歌集 13〜16

 急にビッグネームが連なりました。
 紀友則は古今集選者の筆頭です。ただ古今集が完成する前に亡くなってしまったようです。大江千里は白居易の詩から句を拝借して和歌に翻案しました。千里集、または句題和歌という名の歌集で知られています。在原棟梁は業平の息子です。
 この3人の歌の中では紀友則の歌が良いと思います。花・風・鶯の連なりは春らしく艶やかさがあり、「鶯誘ふ導(しるべ)」は人と鶯との交歓を感じさせてくれます。
 ですが今回少しだけ掘り下げるのはのは4首めの「野辺近く」歌としましょう。人から自然に近づいて喜びを感じる歌って好きなんです。後の時代の西行のような、数寄の精神に近い感性を感じます。

2、関係歌

 鶯の声を都の外で「家居」して聞く、という発想の歌は『万葉集』にいくつかあるようです。

梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鶯の声(万葉集・巻10・1820)
梓弓春山近く家居れば継ぎて聞くらむ鶯の声(万葉集・巻10・1829)

 このうち2首目の「梓弓」歌は山辺赤人の歌として『新古今和歌集』に選ばれました。「赤人集」にあるのでたぶんそのせいです。その「赤人集」は大江千里の句題和歌と万葉集巻10がドッキングしたもの。赤人集と呼ばれるようになってしまったのは間違いです。
 江戸時代の契沖は万葉集の方の「梓弓」歌について「古今集に、野辺ちかく家居しをれば鶯のなくなる声は朝な朝な聞く、心相似たり」と指摘しています。古今集16番の「野辺ちかく」歌は「梓弓」歌と同発想の歌と考えて良いのでしょう。

3、近世の鶯

 古今和歌集の仮名序にも登場する鶯は、代表的な和歌の題材です。ここでは近世の鶯の詠まれ方を見てみます。

① 鶯や餅に糞する縁の先

各務支考『葛の松原』より 松尾芭蕉の句

 まずは芭蕉の句です。現存の芭蕉句には鶯の句が二句しかありません。しかしそのうちの一句である「餅に糞する」はしばしば芭蕉に言及されていたようです。たとえば元禄元年2月7日付の杉風宛書簡には「日ごろ工夫の処にて御座候」とありまして、芭蕉自讃の句だったことが伺えます。
 また『三冊子』には

詩歌連俳はともに風雅なり。上三つのものには余す所も、その余す処まで、俳は到らずといふ所なし。花に鳴く鶯も、餅に糞する縁の先と、あだ正月もをかしきこのころと見とめ、(中略)見るにあり、聞くにあり。作者感ずるや句と成る所は、すなはち俳諧の誠なり。

という語りが残されています。古今集の仮名序に準えて俳諧を語ったその一部に「餅に糞する」が引用されているのです。よほど得意の一句だったのでしょう。
 『芭蕉ハンドブック』はこの句について「日常卑近な情景の中に発見した日を平明な表現で現し、「軽み」期の新境地を示した。」と指摘します。この鶯の糞は、「軽み」を代表する糞だったのです。

 次は蕪村。

② 鶯の啼(なく)や小さき口明けて

与謝蕪村『蕪村自筆句帳』

 小さな鶯の口がぱくぱく。可愛らしい一句です。
 次で近世最後。

③ うぐひすに踏まれて浮くや竹柄杓

田川鳳朗

 小さな鶯がツイときてとまる。その鶯よりももっと小さな竹の柄杓が、踏まれて浮く。
 春の始まりは、まだまだ世を覆う冬の中に小さな春の息吹を探すことから始まるからでしょうか、小さなものたちの躍動がとても似合う気がします。蕪村も鳳朗も、その小ささの表現がとても上手いなあ。

4、近代の鶯

 近代は更に表現の幅が広がっていきます。

またしても啼きそこねたる鶯を笑はむとして涙こぼれき

太田水穂

 鶯に自分を投影しちゃったんですね。「またしても」の間抜けさに「涙こぼれき」で自分を重ねる瞬間が好き。

うぐいすのケキョに力をつかふなり

辻桃子

はホーホケキョ、いわゆる谷渡りの鶯の声に集中。たしかに「ホー」は低くくて「ホ」は軽く、「ケキョ」にクライマックスがあります。そのクライマックスを「力をつかふ」と表現してみせる辻桃子。これでなんだか鶯に人間味が出ました。この鶯、啼いた後には良い汗かいたと笑顔を浮かべてそう。辻の言葉の取り出し能力に痺れちゃうな。

5、授業案:英訳しようぜ

 今回は和歌一首を英訳する試み。高校でやるなら3、4人を1グループとして相談しながら完成させる感じかな。
 ここでは

野辺近く家居しせれば鶯の鳴くなる声は朝な朝な聞く

を英訳してみましょう。

「野辺近く家居しせれば」は
・I live near the fields
でよろしいでしょうか。よろしくないかもしれないけど先に進みます。becauseとかを頭にくっつけちゃうと説明感が強くなって味気なくなりそうなので、「已然形+ば」の訳出は省略。
「声は朝な朝な聞く」は
・I can hear songs every morning
としてみます。canは入れた方が情感が出る気がしました。
「うぐひすの鳴くなる」が一番自信ありません。伝聞の「なる」はどうすれば自然なのでしょうか。とりあえず
・songs that seems to be the songs of nightingales
としました。ソングスソングスうるさいのがヤですけど、限界。

 繋げてみます。

I live near the fields,
and so,
I can hear songs every morning.
Songs,that seems to be the song of nightingales.

 いや難しいなあ。英語の先生に添削してもらいましょ。



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