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高校を留年・退学しそうな貴方へ


はじめに

 この話は私が高校を追い出され、通信制高校に入った結果どうなったのかという話をまとめたものです。世の中早々高校を追い出されることもありませんから、この話もまた一つの貴重なものとして一部の好事家諸氏並びに高校を追い出されかけている悩める高校生のお役に立てるものであると考えます。なお、この動画でも高校を追い出されたことに触れておりますので、ご覧いただけると幸いです。

私自身の話

私の現況について

まず、私が今何をしているのかお話しなくてはならないと思います。私は現在通信制高校に転入しそこに通っている高校3年生で、大学進学を目指しています。どこの大学に行くかということはお話できませんが、世間的にはいわゆるFラン大学と呼ばれているところだとは申しておきます。

…まあつまり、この話は高校すら追い出されFラン大学に進学しようとしている人生詰んだ人間の話なのです。あまり参考にならなかったらごめんなさい。

私が不良品である理由

高校の話をする前に、私自身の性質を話したいと思います。高校を”追い出された”と書いているものの、実際は私の性質と行動によって起きたことであって、いわば私が不良品であることが引き起こしたことだからです。

私は昔からどうも課題を期限通り提出するということが苦手でした。他にもまともなコミュニケーションを取るとか、相手の気持を汲み取るとか苦手なことは多かったのですが、中学生活のうちに少しはましになったのではないかと思います。ただ、課題だけはどうも出せませんでした。因みに、未だに恐らく私の課題のキャパシティは小さいままだと思います。大学生活への心配が、ないと言えば嘘になりますね。

そして、数学が苦手でした。正確には理数系全般が苦手ではあったものの、特に数学の出来なさは最早異常と形容せざるを得ないレベルです。高校の数学のテストで0点を取るやつは学校中探しても早々いないと思います。もちろん私にもこのことを黙っておきたいと思う程度の恥はあったので、真相は分からないままでしたが。

以上の2点が、このような事態を引き起こしてしまうに至った、私自身の性質であると思います。

何故、このような不良品が入れてしまったのか

ここまで読んでくださった方々の中には、何故こんな不良品が高校に入れたのかと疑問に思われた方もいらっしゃると思います。

私は数学が苦手でしたが(少なくとも当時においては)、他の科目はそれなりに得意であったのです。社会科は定期テストで80点を取れば寧ろ悔しがっておりましたし(90点台でないとよく出来たとは思えなかった)、国語は県下模試で一位を取ったこともありました。
理科は単元によって暗記のみで取れるものもあり、そういったものが中心に出れば90点台もありました。英語も同じようなものです。

そして、学校からの課題は何故か上手にこなすことが出来なかったのですが、自習については少なくとも当時はよく出来ていたのです。別に学生らしい反骨心を持って「先公の課題などやってられるか!」と思っていたわけではなく、寧ろ怒られるのは嫌でしたから、泣き叫びながら(比喩じゃないんですよ、本当に泣き叫びながらです)課題に取り組んだり学校に行きたくないと言ったりしていたのです。ただ、何故か課題は完成させられず、それでも勉強しないと目標の高校に入れないと思っていたから自習していたんです。

他に、多分これが一番大きな理由でしょうが、何より倍率が非常に低かったのです。何倍と申し上げますと高校を特定されてしまうかもしれないので言いませんが。

余談ですが、私は高校の合格発表日に合格したことを中学校へ伝えに行ったところ「んで、何か忘れていることあるよね?」と言われ、卒業しているにも関わらず溜めている課題を出せと言われたことがあります。離任式のときに行ったらまたこのことを言われると思って、その後学校には行きませんでした。流石に電話では催促してこなかったです。

とにかく、私が不幸にも身分不相応な高校に入れてしまった理由は伝わったと思います。あくまで私はそう思っているというだけですが…(他にも理由はあるかもしれない)

長崎の自称進学校(前籍校)の話

長崎の自称進学校

私が通っていた高校は、地元で進学校と呼ばれてました。課題を出さず船を漕ぐ私に「このような様子では君が行くような進学校ではついていけないぞ」と中学の先生たちが、口を酸っぱくして言っていたのが懐かしいです。全く、先生のおっしゃることはいつも正しいのですね。

最もインターネットの常識ではいわゆる自称進学校と言うやつなのですが、長崎には他にまともな学校がないから進学校と読んでも差し支えないのではないと思います。

とにかく、若干とは言えどもレベルの高い高校に進んでいたのです。

何故、身の丈に合わない高校を選んでしまったのか

この理由は単純です。父親と同じ高校だからです。

私の思い込みでしょうが、父親と同じくらいの高校には行かないと一生父親に頭下げて生きていかないといけないと思っていました。高校と大学で父親を超え、年収で父親を大きく超えて初めて私は自由になれるのだと、そう思っていました。なんなら今もそう思っていますから、私は一生不自由なままかもしれないと思っています。

父親と同じ高校が初めて受けた模試でA判定出ましたから、それで決めました。

高校生活はどうだったのか

皆様お察しの通りってやつですね。もちろん上手くいきませんでしたよ。上手くいってたらこんな文章書いてませんね。

身の丈に合わない高校だから、とにかくついていけないんですよ。一つわからなくなるともう全部わからない、中学時代の貯金もすぐ底をつく、嫌いな体育の時間だけが救い、こんな状態でした。

余談ですが、私が卒業した直後に体育祭があったそうです。友人から伝え聞いた話では出し物で担ぐ神輿を作るため、受験生にも関わらず放課後残されて手伝わされたらしいです。その話を別の友人にしたら、「教師を担ぐメタファーだ」といっていました。

因みにどれくらいついていけなかったかというと、1年生の段階で既に進級するための点数が足りていませんでした。不思議な力で点数を増やされて事なきを得ましたが。

休みたいが休めない、そうだ精神科に行こう

内容がわからない授業、赤点のテスト、留年の恐怖、こういう状態が続くと段々休みたくなります。

皆さんはズル休みの方法って知ってます?トイレに籠るんです。トイレの中では当然自分の状況はわからないです。体温は客観的に数値が出てしまいますし、頭痛は証明のしようがないですが、トイレに篭っているという事実があると信じてもらいやすいです。

そういうことを繰り返していると段々本当に腹痛と下痢に悩まされるようになるんですね。消化器科を訪ねると、自律神経の乱れによる腹痛の診断を頂きました。

今思い返すとズル休みじゃなくてただ腹痛がひどかっただけの気もします。あまりにきつかったせいなのか過去の記憶が薄いんです。なんなら今でも数日前のことをよく思い出せないこともあります。

とにかくそういうことを繰り返していると、私も流石になんとかしなくてはならないと思うのですね。それで、精神科へ行って薬をもらえばなんとかなるだろうと思って行くのです。精神科の色んな話はまた別の機会に譲りますが、なかなか興味深い嫌な体験をいっぱいできましたよ。

それでコンサータという今も飲んでいる薬を処方されました。その後段々量を増やしていって最大量の時だったかな?何ミリグラムか忘れましたが飲んだら身体がこわばって動けなくなったんですね。

そうなったら薬を切り替えるわけです。もちろんそれなりに強い向精神薬ですから、吐き気とか立ちくらみとか何かしらのきつい副作用が出て結局学校を休むわけですね。なかなか解決しない。

ただし精神科に通い始めたことで明らかに先生方の対応は変わりました。今風に言えばポリコレカードバトルというやつです。休んでも出てこいとは言いづらい、無理をせず帰れと言わざるを得なくなったわけですね。厳しい自称進学校とは言え外圧には勝てないわけです。私はそれを有効に活用しました。

私は役に立たない方向に頭が良い人間だと自負しておりますので、ポリコレカードバトルを駆使して周囲に腫れ物扱いさせ学校を休むという何の解決にもならない最悪の高度な対処をこなしてしまったわけです。なんでこんな事ができるのに課題をこなすことは出来ないのでしょうね。こういうところが私の不良品たる所以ですが…

ただ、まともな人間というのはそもそも学校を休むために精神科に通おうという発想に至らない気もします。既に病気だったからそういう対処を思いついて実行してしまったのかもしれないと思うと、そういう意味では私の対処は結果的に正しかったのかもしれません。うつの時はとにかく休めとも言いますしね。

最後通牒

もちろん休むことは出来ましたが、流石に私は病気だから単位を寄越せということは出来ません。つまり状況の悪化は止まらないというわけですね。それでもなんとか3年生になるところまでは出来たわけですが、2023年7月に最後通牒を突きつけられます。私に与えられた選択肢は3つでした。

  • このまま卒業を目指す

  • 通信制高校へ転入する

  • 高卒認定試験で残り単位を取る

このまま卒業を目指すということは、ほぼ全てのペースで出席し補習にも参加しつつ数学で年間の平均が30点になるようにするということです。追試のことを考えなければ次のテストで80点程度取れということになります。正直現実味のない提案ですね。失敗したら留年ですし、留年してすら出来るのかわからないというのが正直な感想でした。

私は言葉の裏を読むのが苦手な人間ですが、それでも流石に今回の意味はわかりました。出て行けということです。

高卒認定試験を受けるために自力で勉強するのも非常に難しい状態であると考えましたので、通信制高校に転入することと決めました。

正直抵抗がなかったといえば嘘になります。通信制高校への抵抗ではありません。父親と同じ高校を卒業できないことへの抵抗です。まともに社会生活を営むことが出来なくなってなお、私は父親への見栄を気にしていたのでした。全くろくな人間じゃないですね。

もし、留年しそうになったらどうなるのか

何故、留年者が見当たらないのか

学校のレベルにもよるでしょうが、同級生に留年してきた者がいるという話を聞くことは滅多にないと思います。これは単純で、留年しそうな者はほぼ強制的に転入させられるか退学させられるかするからです。
もちろんどうしても残る、留年してでも卒業すると言っている人間を追い出すことは出来ないのでしょうが、そんな人間は極稀であると思われます。

正直留年するというのは想像するだけでも精神的な負担が非常に大きいことですし、それに耐えたとしても卒業できる保証はないわけです。そもそも留年しかねないってところまで行っている時点でもはや卒業できないと言っても過言ではない。強制的にと先程言いましたけど、実際は選ばない(選べない)に近いのかもしれません。

だから貴方が留年することを心配しているならば、心配しなくても良いと自信を持って言えます。恐らく今の高校に居れなくなるだけです。

タイムリミットは6月頃のテストかもしれない

これは私の担任が言っていた「6月末のテストの補習に出てこれなくなっていた時もうダメだと思った(意訳)」からの推測です。恐らく多くの学校ではそれくらいの時期にテストをしているのでしょうが、そこのテストが終わったあとに巻き返すというのは非常に困難、というより事実上不可能に近いでしょう。

更に夏休みが終われば先生方も受験で忙しくなります。不良債権は夏休みまでに切っておきたいという思惑もあるでしょう。合格実績にならない人間はいるだけ邪魔です。

転入はバレるのか?

まず、大学受験ではバレます。調査書からバレるので諦めて言い訳を考えてください。恐らく面接では聞かれるでしょう。

ただし、就職のときにバレるかというとバレないと思います。これはスクールカウンセラーだったかの先生に聞いたのですが、履歴書には〇〇高校卒だけ書けばいいそうです。なので一生の汚点ということはないです。

…まあ私はもう一生父親を超えることは出来ないわけで、そういう意味では一生の汚点であるのですが。

転入後について

通信制高校に転入してからはかなり生活が楽になりました。毎日学校に通うこともありませんし、授業も一対一で英語のみですから(学費減免のために英検2級を取ろうとしている)自分の進度に合わせて教えてもらうことが出来ます。

自分にあった生活が出来ると体調面も改善してきます。サインバルタという抗うつ剤が自分にあっていたのも合わさってなんとか改善してきています。こうやって駄文を書き連ねる余裕もできました。

私は転入してよかったのではないかと思います。

おわりに

ここまで拙い文章にお付き合い頂きありがとうございました。恐らくこの文章を読んでいる多くの方は単に興味本位でしょうし、それで構わないと思います。ただ一人でも留年の危機に瀕している方がいらっしゃるかもしれないと思って、その方のためにお話します。

留年しかける、或いは学校を転入することを勧められるというのは、多くの人間が経験することもない、この広いインターネットにもなかなか体験談が転がっていない話であります。不安に苛まれ、人生が詰んでしまったように思われているのではないでしょうか。

しかしながら、少なくとも私は転入してよかったと思います。転入することは貴方の人生のより良い環境に移るチャンスになりうるのではないでしょうか。ぜひ有効に活用なさってください。

残念ながら私は、転入しても大丈夫、人生なんとかなるとは言えません。まだ私の人生は成功した、或いは失敗していないとは言えないからです。結局転入したことが原因で、人生に失敗してしまうかもしれません。それでも、私が言うのもおかしな話ですが、どうか頑張って人生を全うしていただけると無関係な私としては嬉しく思います。

読者諸氏の幸多き人生をお祈りいたします。

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