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感動するスピーチに共通するもの。

最近、誰もがこぞって素晴らしいと褒めるスピーチに、多く触れた。春という節目の季節だからだろうか。

その中で印象的だったのが、内田裕也さんのお別れ会での、娘・内田也哉子さんの謝辞。

そして、東京大学学部入学式での、同大名誉教授・上野千鶴子さんの祝辞だ。


この二つのスピーチに共通していることは、二つ。

一つ目は、誰もがなんとなく感じていた大きな流れを、言葉にしたこと。

内田也哉子さんの謝辞では、娘として過去を振り返り、本人も「わかり得ない」と称した内田裕也さんという人間を、彼の妻・樹木希林さんとの関係を、「まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した」と表現した。

上野千鶴子さんの祝辞では、医学部の不正入試、女性暴行事件に触れ、女性学のパイオニアという立場から、みんながなんとなく気が付いている「がんばってもそれ(努力)が公正に報われない社会」があると言い切った。


もう一つの共通点は、内田裕也さんの人生や、不平等な社会という大きな流れを言葉にした上で、聴衆をその流れの先に導いていること。

内田也哉子さんは、両親の関係を、それぞれが自由意思で選んだ選択だとした上で、そのカオスを受け入れることにしたと述べた。そして最後は「Fuckin' Yuya Uchida. Don't rest in peace. Just, Rock'n Roll.」と、父を見送った。

上野さんは、がんばったら報われると思えることそのものが、励まし、背を押してくれた周りの環境のおかげだ。だからこそ、「がんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」とエールを送った。


決して社会の「普通」に当てはまらない両親。簡単に別れたり選んだりできない、両親という特別な存在。それを娘が受け入れると宣言したこと。

頑張りが公正に評価されない社会で、それに対して怒るのではなく、自分が恵まれていることを認識し、自分と他人の弱さを認め助け合うべきと、東京大学の入学式で主張したこと。

二人がスピーチを通して聴衆に与えたものは、入学式での祝辞とお別れの会での謝辞という、真逆ともいえる場面でのスピーチだったとはいえ、似ている。感動。そして、明日から行動を変えるための後押しだ。

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