生きにくいこの世界7

母に殺されそうになった中学校2年生の終わり。

母のお店の従業員のおねーさんの家にお世話になるようになっても、僕の生活リズムは変わらずでした。
お金が必要な時は駅でカツアゲ、本屋に行って買い取り価格の高い本を盗んで売る、お盆の時期限定になるけどお寺の賽銭箱丸ごと盗んだり。そんな事でお金を調達して生活していた。
ご飯に関してはおねーさんがたまに作ってくれて、それ以外はコンビニやスーパーで盗んでいた。
学校生活はというと、元々の友達は他の学校の奴とも遊ぶようになり、お前も来いよと言われたので暇だったから1回行ってみたんだけど。
その別の学校の奴がいきなり僕の頭にコーラかけてきたのでボコボコにしてやった。結構人数多い学校で一番強いと言われていたから調子に乗っていたのだろう。「冗談やんごめん」とか言って根性なしのクソ雑魚だった。
僕は学校で親友と呼べる友達と、ゲームが好きな真面目な友達の二人と遊んでいるのが楽しかった。

中学3年になり、いつも通りに昼くらいに学校に行くと校舎に全校生徒が教室に全くいなかった日がある。
何が起きたんだと思っていたら、先生が体育館に皆がいるというので、行ってみたら全校生徒が座っていて、僕と僕の親友、二人が学校にくるのが迷惑だと皆が話し合っていました。泣いている人もいる。
僕に関しての理由はクラスの皆が授業がまともに受けられない、親友の方は弱いものいじめが理由、他には校内で消化器をかけあって遊んだりと色々あるようだった。
僕は悪いと思ってなかったしやめる気はなかった。
授業中に好きな先生とずっと話していたり、とある先生は追いかけ回したり。それが全校生徒に迷惑だなんて思ってもいなかったとうのもある。
今思うと勉強したい人には迷惑だったと思うけど笑
この頃はすごく自己中心的な考えしか持っていなかった。自分がその時やりたい事を好きにやっていたから。
でも、生徒会長が「頼むから少しでもいいから学校ではおとなしくしてくれと」泣きながら頼んできたのだ。
生徒会長とはよく喋るし、好きだったので「少しは大人しくするわ 」と了承した。
親友の方は今までの行為をやめないと言っていた。
弱いものいじめに関しては僕も目についたら止めていたし、胸糞わるいので親友にもう一度やめろと言ったが、ダメだった。
僕自身は今回の件で反省はしなかったけど、生徒会長が泣きながら本気でお願いしてきたことに心が動かされたんだと思う。
それからは学校の中では何か壊したり授業の妨げになる様なことは、あまりやってなかった筈だ。
授業中は基本寝ることにした。
あとはよく暴走族に入った先輩が入らないかと誘いにきていたが、僕は群れるのはあまり好きじゃなかったのでその時は断っていた。

季節は過ぎて、親友は高校受験すると言ってきたので、僕も暇だったから受けてみることにした。
でも試験会場で他の学校の奴と喧嘩して試験受けれず高校にいくのはやめた。
お金が欲しいし、中学校卒業したら何か仕事をすればいいかと僕は思っていたからだ。
そして今までどおりに自由に生活して、中学校生活は終えた。

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