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自分史〜①〜

これから時々自分史を投稿しようと思います。
自分の記録として書いているので読んでも読まなくてもどちらでも大丈夫です。



幼少期(0歳〜小学6年生まで)

人と関わるのを極度に嫌う性格でした。公園で親が私を遊ばせようとしても毎回私は公園の入り口で泣いてしまい結局家に帰るほど。幼稚園や小学校でも一人で端にいる人間でした。物心ついた頃から、母は気分屋さんで同じことを言ってもその時によって怒られたり優しくされたりでした。父は出張が多く昔から0時に帰宅して5時に家を出る人なのと海外出張も多かったのであまりたわいのない話ができない関係でした。3歳離れた弟はとっても元気で明るく学級委員もやるくらいで私と性格が180度違いました。

学生時代(中学生〜)

私が通っていた公立中学校は市内で1番荒れている学校で有名でした。(窓ガラスが2ヶ月に1回割れたり天井に穴が空いたり照明スイッチが陥没されたり、窃盗で私の同級生が少年院に数人行ったりです)というのもあって、いじめも沢山ありました。幼少期からの性格と思春期と合わさり私はこの中学時代から性格が一気におかしくなりました。中学と高校の6年間、ひたすら休み時間は読書か勉強。行事がこの世で1番大嫌い。行事に全力を注ぐ人を見て馬鹿馬鹿しく感じていた。友達は少なく高校では3年間で友達2人。

いきなり悪夢が訪れた

高校2年生頃から悪夢が始まりました。当時弟は中高一貫校の中学2年生。弟が不登校になりました。両親は無理やり弟を学校に行かせました。同時に両親は「お前の教育が悪い」の口論で仲が悪くなりました。
私は両親のお互いに対する愚痴・父方母方それぞれの祖父母の両親に対する愚痴の相手をするとともに、家族の隙を見計らって弟の味方になっていました。
そうして私は精神メインのヤングケアラーが始まりました。
母と弟が数ヶ月家出をしたり、父と母が離婚するで揉めたりなど色々ありました。家に帰るのが嫌で地元のイオンの閉店時間までフードコートで勉強していました。
そして高校3年生、私の進学の大事な試験の前日に初めて父がお酒で酔った状態で弟と母を殴りました。その後も2回ほど暴力はありました。
限界を感じた私はとにかく早く誰か大人に相談したかった。精神科に行きたくても保険証は親が持っていた。当時の私は高校3年生の時に自分の手持ちのお金で個人宅で経営しているカウンセリングに行きました。(今思えばこの心理士が安全で良かったです。)

高校卒業

高校の卒業が近づく1月に仲の悪い両親を都内のNPO法人に連れて行きました。そのNPO法人は不登校の子どもを持つ家族のケアをする団体。
卒業式の日の夜、私は父と母をイオンのフードコートに呼び出しました。そこで私は『精神科に行かせてください』と言いました。

このNPO法人と出会ってから家族の雰囲気がだんだんと良くなりました。離婚すると揉めたり掃除機などを投げるほどの大喧嘩が日常茶飯事だった両親が、今では2人で旅行に行ったり毎週休日にドライブに行ったり。そして弟に対する両親の考え方も変わりました。
5年が経った今でも月1回両親はこのNPO法人にお世話になっています。



琴音





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