見出し画像

散文┃毛玉と落語

何でもいいから没頭したい。

ここ最近ずっとこんなことを考えていました。というのも、ちょっと前から日常のあらゆることに対してやる気が出ない「無気力モード」に襲われていて、料理、勉強、趣味に至るまで何となく身の入らない日々を過ごしていたからです。


ちゃんと食べているし、授業にも出ているし、休んでもいるんだけど、それでも例えば買い出しがダルいとか、授業中ぼーっとしちゃうとか、本を読みながら別のことを考えていて気付いたら同じ文章をループしていたりとか。要するに集中力の低下に苛まれていました。

私と世界の隙間が靄で覆われたような心地がして、曇った眼鏡を掛けたまま歩いているような感覚。

抑うつまでは行ってないけど、グレーゾーンというか、一歩踏み外したら奈落の底に落ちてしまいそうな危うい位置にメンタルがあったようです。


こういう時って、あれのせいかな、これのせいかな、とか色々原因を探っては見るけれど、大概自分で納得できるはっきりした原因って見つからなくて、不安な気持ちが膨張してしまうだけなんですよね。


だから今回は一旦悩むのを止めて趣味で気を紛らわす事にしました。



私は何にでも首を突っ込みたがりな性格のおかげで多趣味な方で、たまに「そういえばこんな趣味もあったな」なんてふいに思い出すことがあります。忘れている時点で趣味と呼んでいいのか怪しいところですが笑。


そこでこの前ふと思い立って手芸屋さんに行き、編み針と毛玉を買ってみました。編み物には中・高生の頃に一時期ハマっていました。あれ、ちょうどいい具合に没頭できていいんですよね。


ところで編み物と一口に言っても色々な種類があるのをご存知ですか?メジャーなところで棒針編み、かぎ針編み、それからアフガン針編みとか指編みとか、とにかく多様な道具、方法があるんです。今回私が再開したのはかぎ針編み。コースターからぬいぐるみまで、フレキシブルな編み方ができる手法です。


最後にやってからかなり時間が経っているので初心に戻って基本からおさらいしました。新しい趣味にしても、YouTubeの解説動画とかのおかげで始めるハードルが低くなるのはありがたいですよね。

そうしてはじめの一歩を踏むと、後は自然と手が動くようになりました。人体の記憶能力って凄まじい。「うわあ、この感覚だ」という懐かしさがじわじわ込み上げてきます。


編み物の何がいいって、前述したように、「ほどよい没入感」を味わえるところなんです。手先の細かい動作ではありますが、慣れてしまえば同じ作業を繰り返すだけなので音楽を聴きいたり動画を見る傍ら進めることができます。だから受動的すぎず、能動的すぎない、丁度いい意識レベルで疲れずに続けられます。体勢を選ばないし、達成感もある。これ以上心地良い趣味はないんじゃないかと。


実際ここ数日コツコツ編み物をしている時の私は、不安とかストレスとかから解放されて、久しぶりに「没頭する」ことができていました。編み物に限らずとも、皆が何らかしらの手芸を始めたら世界が平和になるんじゃないかと割りかし本気で思っています。


そこで次に求めるのが編み物のお供です。常に両手が塞がっている状態なので、何か流しておけるものがいい。けど音楽だけでは多少味気ない。動画はいいけど目線が画面と手元を彷徨くのは面倒。本は内容がちっとも頭に入ってこない。等々、色々試した結果行き着いた、最も編み物にもってこいなのが、そう。落語でした。



落語をちゃんと聴き始めたのは高校生になってからで、上京して寄席に行くのが楽しみだったなんてこともありましたが、所詮にわかなのでボロが出る前に詳しくは書かないでおきます。


ただ私が思う落語の素敵なところは、純粋な笑いを引き出してくれるところです。自虐ネタとか、ブラックジョークとかで溢れている社会の中で、「誰も傷つかない笑い」を見つけるのって案外難しくないですか?

落語の世界にはドジもケチもいますが、基本的に誰かが不幸になる笑いはありません。そんな噺から生まれる笑いは皮肉から生まれるものとは全く異質で、温かみをもって心を満たしてくれます。だからこそ、暗い気持ちになった時の落語には薬以上の力があるような気がしているのです。


そういうわけで、手先から心まで温まる方法を見出してしまいました。暖を取るには季節が少々遅いって?年中冷え性の私にはおあつらえ向きな趣味です。

この記事が参加している募集

私のストレス解消法

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?