見出し画像

和歌・逃れられない悲しみ

「奥山に紅葉踏み分け
 鳴く鹿のこゑ聞く時ぞ秋はかなしき」
 古今和歌集・猿丸太夫

(山奥まで分け入って
散り落ちた紅葉を踏み分けたなら、
鹿の鳴く声が聞こえた。
秋は物悲しいものだ。)

この歌で奥山に紅葉を踏み分けているのは
鹿だとする読み方が一般的だけれど、
わたしは人と解釈する方がしっくりくる。

俗世が嫌になって
人里離れた山奥に居場所を求めたけれど、
物悲しい鹿の鳴き声を聞いたら
「とうとうこんなに寂しいところまで、
一人ぼっちで来てしまった」と切なくなった。
孤独はますます深くなり、
この身が悲しく思われる。

…わたしはそんなふうに読む。

そして、
この歌と世界観が
リンクしているような気がしてならない。

「世の中よ道こそなけれ
 思ひ入る山の奥にぞ鹿ぞ鳴くなる」
 皇太后宮大夫俊成

(この世の中に
悲しみや苦しみから逃れる道などない
思い詰めて入った山奥でさえも
鹿が悲しそうに鳴いているのだから…)

人の世で感じる
悲しみや苦しみが辛くなって
誰もいないような場所に逃避したのに、
そんな辺境ですら鹿が悲しそうに鳴いている。

結局
生きとし生ける者誰しもが
悲しみや苦しみからは逃れられない。
ずっとこの身にへばりついている。

…その宿命を思うと、ますます悲しい。

生きるって
ほんとうにやるせないことばかり。

そんなどうしようもなさをも
そっと受け止めてくれるのが、
和歌の懐の深さなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?