意祁(おけ)と袁祁(をけ)王子発見 神話は今も生きている ことの葉綴り八二五
楽しい週末を
おはようございます。雨と真夏日が交互に来ますね。皆さん、お元気ですか?
六月四日(土)の暦は、六曜は「仏滅」で勝負なしの日。十二直は、「危」で、物事を危惧する日。何事も控えめがよし。婚礼などのお祝いごとは吉。二十八宿は「氐」で、婚礼、開店開業、新規事業に吉。そして、ご神事やお参り、墓参にいい「神吉日」です。
朝から、お参り行きたいと思います。皆さんもよい週末をお過ごしくださいね。
さて、早速、神話の物語に入ります。
行方不明の王子を発見
后も皇子もいらっしゃらなかった第二十二代清寧天皇さまが身罷られたあと、飯豐王さまが、一時的に天下をおさめられました。
この飯豐王さまは、清寧天皇さまの父の雄略天皇さまが、かつて殺めた従兄弟、市邊の忍齒王の妹でした。
飯豐王さまは、兄の王子で、行方不明となった皇位継承権を持つ意祁王と袁祁王の行方を探し求めていました。
あるときのことです。
播磨国に新たに国司(長官)として就任した山部連小楯歓迎の酒宴が、この国の有力者志自牟の屋敷で開かれました。
皆が、祝いの舞を披露し、最後に、志自牟の屋敷で働く火焚きの少年二人も、舞と歌を披露しました。
火焚きの少年が歌った歌は……
この卑しい奴の私たち兄弟は、履中天皇の子孫で、市邊の、押齒王の御子である
というものでした。
日継知らしめす王意祁王と袁祁王
彼らこそ、天下を治める飯豐王さまが、探しもとめていた甥っ子であり、日継知らしめす王だったのです。
な、なんと……履中天皇の孫で、市邊の、押齒王の王子の
そのことに気づいた、就任したての国司(長官)山部連小楯は、床に転げ落ちるほど驚き、すぐに、二人の王子に平伏すると、「皆の者、ただちにここから退席せよ」と、部屋から人払いをして追い出しました。
意祁王さま、袁祁王さま……おいたわしや……このように卑しい火焚きの身分に身を落とされて……どれほどのご苦労があったことでしょう……
そして、二人の王子に近づき、恭しく手を伸ばし、左右の膝に意祁王と袁祁王を座らせて抱き、涙を流し嘆き悲しみました。
意祁王と袁祁王宮中へ
そして、ただちに、播磨の国の民を集めて、仮の宮をつくり、意祁王さまと袁祁王さまを、仮宮にうつってもらいました。
さらに、大和の宮中に、早馬の使いを送りました。
叔母の飯豐王さまは、この報告を受けて、それは、それはお喜びになり、ご自身のお住まいである、大和の葛城の角刺の宮へと、播磨の国から、お引き取りになられたのです。
ここに、意祁王さまと袁祁王さまは、日継知らしめす王として復権されたのです。
―次回へ
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