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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(15)第4部 脚本の執筆 明瞭化

『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第十六回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第4部 脚本の執筆
15 明瞭化

【見せよ、語るな】

「明瞭化」とは、設定や登場人物の経歴や性格描写など、観客がストーリーを追って理解するために必要な情報、つまり事実を伝えることだ。
(P405より引用)

明瞭化に長けているとは、説明していることに気づかれないことである。
ストーリーの進展とともに、観客は必要な情報を苦労することなく、場合によっては無意識のうちに得ていく。
有名な言葉「見せよ、語るな」が鍵となる。
世界や来歴や人物像を観客に伝えるために、登場人物の口に強引にことばをねじこんで語らせてはならない。
登場人物に率直かつ自然な言動をさせながら、必要な事実をそれとなく伝える率直かつ自然なシーンで見せなくてはならない。
つまり、説明をドラマ化するわけだ。
(P405より引用)

脚本家は観客に、それが説明だとは気づかれない方法で情報提示をしなくてはならない、ということです。

作劇を学んでいない人でも、「説明セリフ」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか?
「いかにも説明だな」と、観客に気づかれてしまうような、わざとらしいセリフのことですね。
これが悪手であることまでは簡単に理解できますが、「説明セリフを使わずに情報提示をすること」は決して容易ではありません。
この章で語られている「明瞭化」の難しさは、いざ自分が書く側になって、初めて身に沁みるものだと思います。

力のある脚本家はストーリー全体を通して少しずつ明瞭化をおこない、最終幕のクライマックスになってもそれがつづいていることが多い。
その際、守るべきふたつの原則がある。
まず、観客が簡単に推測できそうなことは説明しない。
そして、この事実を知らなければ観客が混乱しそうなことだけを説明する。
ストーリーを理解するうえで絶対に必要な情報以外は、与えるのではなく、控えることで観客の関心を引きつけるのだ。
(P407より引用)

「何を、どう伝えるか」だけではなく、「何を伝えずにおくか」「どのタイミングで伝えるのか」も重要、ということですね。

一般に初心者レベルの人は「伝えすぎ」に陥ることが多いと思います。
主要登場人物に関して、「こんな境遇で生まれ育って、こういう性格で……」ということを早い段階で詳細に観客に説明しておかないと、感情移入をしてもらえないのではないか? 書き手の意図が伝わらないのではないか? と不安に思い、説明過多になるのが、”あるある”ではないでしょうか。

観客が知る必要のある情報、知りたいと思う情報だけを明らかにし、そのほかを伝えてはならない。
(P408より引用)

情報提示は、「伝えておかないと何となく不安」という書き手側の都合で行ってはいけない。
観客が求めるタイミングで、観客が求めることを伝えるべきだ、ということですね。

主人公の来し方を説明する方法のひとつに、物語を子供時代からはじめて全人生を追うというものがある。
『ラストエンペラー』は愛新覚羅溥儀(ジョン・ローン)の六十年以上にわたる人生を描いた作品だ。
(P408~409より引用)

『ラストエンペラー』の主人公は、生涯にわたって、ある問いへの答えを探しつづける――「わたしは何者なのか」。
三歳で皇帝になったとき溥儀はそれがどういうことであるのかまったくわからなかった。
宮殿はただの遊び場だ。
彼はいつまでも子供としての自分にしがみつき、十代になっても乳母の乳を吸う。
廷臣は皇帝らしくふるまうよう求めるが、あるとき溥儀は帝国など存在しないことに気づく。
そして虚構のアイデンティティに苦しみ、さまざまな人間になろうとする。
(P409~410より引用)

『ラストエンペラー』における「わたしは何者なのか?」という問いのような、「生涯を貫く脊柱」を持つ作品は珍しい、と著者は言い、多くの場合、以下のようにストーリーを始めるのが良いとしています。

アリストテレスの言うとおり、ストーリーを物事の中心からはじめるといい。
クライマックスとなる出来事が主人公の人生でいつ起こるのかを決め、なるべくそれに近い時点から開始する。
そう設計することで、ストーリーで描く期間が短縮され、契機事件までの部分が長くなる。
たとえば、主人公の三十五歳の誕生日にクライマックスを迎えるのなら、十代からではなく、誕生日の一か月前あたりからストーリーを開始するのだ。
(P410より引用)

脚本家は失うもの――家族、キャリア、理想、チャンス、評判、現実的な希望や夢――を持った人々の物語を書く。
そうした人々が人生の均衡を崩すと、たちまち危機に陥る。
均衡を取りもどそうと奮闘するなかで、いま持っているものを失うかもしれない。
苦労して手にしたものを失うリスクを冒して、敵対する力と戦うとき、葛藤が生まれる。
(P411より引用)

ストーリが葛藤に満ちていれば「説明をドラマとして描くこと」は容易である、と著者は述べています。
逆に葛藤が欠けている場合、脚本家は「テーブルの埃払い」と呼ばれる、”説明的な説明”をせざるを得ないと言います。

十九世紀には、劇作家の多くが明瞭化をつぎのようにおこなっていた。
幕があいて居間が現れる。ふたりのメイドが登場する。
ひとりはこの屋敷に三十年仕え、もうひとりの若いほうはけさ雇われたばかりだ。
ベテランが新人に向かって言う。
「まあ、ジョンソン博士とご家族のことを知らないのね。いいわ、教えてあげる……」と。
そして、ふたりで家具の埃を払いながら、ベテランのメイドがジョンソン家の人々の歴史や世界や人柄について説明する。
これが「テーブルの埃払い」、つまり動機のない明瞭化だ。
(P411より引用)

私が長く通っていたシナリオ教室では、この「テーブルの埃払い」のことを「聞いたか坊主」と言うと教わりました。
「聞いたか坊主」は歌舞伎の用語で、幕開きと同時に「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」と言いながら登場し、物語のあらすじを噂話として語る小坊主たちのことです。
ここから派生して、「脚本の冒頭で、主要ではない登場人物に、主人公の噂話やストーリーの前提を話させて、観客への説明とすること」を「聞いたか坊主」と言い、避けるべき表現であると教わりました。

説明をうまくドラマ化して、そうと気づかれないようになったら、そして観客が情報を必要としているときだけ与えて最高のものを最後までとっておくことができるようになったら、あなたは脚本家としての技巧を身につけつつあるということだ。
(P411~412より引用)


【バックストーリーを使う】

バックストーリーは登場人物の過去に起こった重要な出来事で、これを決定的な瞬間に明かすことで転換点を作り出せる。
(P412より引用)

ジョージ・ルーカスは、C‐3POがR2-D2にこう告げる場面を作れば、ルークの父親に関する事実をもっと早く明らかにできただろう――「ルークに言ってはいけませんよ。知ったら逆上するにちがいありませんから。でも、ダース・ベイダーはルークの父親なんです」。
(P413より引用)

適切なタイミングでバックストーリーを明かせば、それが大きな転換点となります。
脚本家はそれを「幕のクライマックス」まで伏せておくことが多い、と著者は述べています。

【フラッシュバック】

フラッシュバックは、ひとことで言うと明瞭化の一手法である。
ほかのあらゆる手法と同じく、うまくいくか下手かのどちらかしかない。
つまり、これといった動機もない説明だらけの長い台詞で観客を退屈させる代わりに、事実を詰めこんだ単調でつまらないフラッシュバックで観客を退屈させるか、あるいはそれをうまくやるかのどちらかだ。
明瞭化の原則にしっかり従えば、フラッシュバックはめざましい効果をもたらすだろう。
(P413より引用)

ここで言う「フラッシュバック」は、日本で一般に言う「回想」と「フラッシュ」の両方を指しているのだと思います。

第一に、フラッシュバックをドラマ化する。
(P413より引用)

プロデューサーはよく、フラッシュバックを使うと映画のペースが落ちると言う。
たしかに、やり方がまずいとそのとおりだが、うまく使えばむしろペースはあがる。
(P414より引用)

シナリオ教室に通った経験のある人の多くが、「回想シーンを入れるとペースが落ちるから、使ってはダメ」と教わったのではないでしょうか?
確かに、”単なる説明”にしかなっていない回想を無闇に使えば、その間、現在進行形のストーリーは止まってしまい、ペースが落ちます。
ですが、多くの教室で「回想を使ってはダメ」という指導がされているのは、効果的に使うのが非常に難しく、初心者レベルの人が安易に使うのは危険だからなのだと思います。
初心者レベルを卒業し、”脚本家予備軍”になってからも、「教室でダメだと教わったので、私は絶対に回想を使わないんです!」と、”操を守りぬく”という風情で言い切る人を見かけたこともありますが、「ダメだと教わったからダメ」なのではなく、「使うならば、効果的に」と考えるのが適切ではないでしょうか。

著者は、フラッシュ・回想を効果的に使っている作品の一例として『レザボア・ドッグス』を挙げています。

タランティーノはこのアガサ・クリスティの手法にならい、契機事件の前半部分――強盗の失敗――を飛ばして、すぐに後半部分――逃走――にはいっている。
逃走車の後部座席にいる犯人グループのひとりが負傷しているのを見れば、犯行が失敗したことは明らかで、観客の好奇心はたちまち過去と未来へ向かう。
何がうまくいかなかったのか。この先どうなるのか。
答えを知りたいという観客の欲求を高めてから、場面は倉庫へと移る。
そしてペースが落ちてくると、強盗場面でのハイスピードなアクションへフラッシュバックする。
単純なアイデアだが、これほど大胆にやってのけたのはタランティーノがはじめてで、ただエネルギッシュなだけではなく、確固たるペースで展開する傑作が生まれた。
(P414より引用)


さらに著者は、回想・フラッシュを使う際の注意点を次のように述べています。

第二に、観客の知りたいという欲求を高めるまで、フラッシュバックを用いない。
(P415より引用)

くり返しになりますが、書き手側の不安の解消のために回想・フラッシュを使うのではなく、観客本位で回想・フラッシュを挿入するタイミングを決めることが重要、ということです。

脚本は小説ではないことを理解する必要がある。
小説家は登場人物の思考や感情に直接踏みこむことができる。
だが脚本家はできない。
小説家は思うままの叙述をいくらでも使えるが、脚本家は使えない。
また、小説家はその気になれば、主人公がショーウィンドウの前を通りかかり、中をのぞきながら子供時代をまるごと回想シーンを書くこともできる。
(P415より引用)

「脚本を書くことの難しさ」、そして「脚本と小説との違い」が明確に言い表されていると思います。

私は、脚本と小説の両方を書きます。
この二つは共に「ストーリーを描いたもの」ですが、数多くの相違点があり、それらを認識していなければ、書き分けることはできません。
私が最も大きな違いだと感じているのが、ここで著者が述べている「小説は、登場人物の思考や感情に直接踏みこむことができる」という点です。
登場人物の”心のうち”は、小説のほうがずっと表現しやすいです。
(だからと言って小説の方が脚本より簡単だと思っているわけではありません。それぞれに違った難しさがあります。)

この章の冒頭にもある通り、脚本においては「見せよ、語るな」が重要であり、脚本家は「登場人物の心のうちを、いかにして観客に見せるか?」に知恵を絞っています。
「心の声なら、ナレーションにすればいいじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、話はそう簡単ではありません。
ナレーションに関して、著者は以下のように述べています。


【画面外のナレーション】

画面外のナレーションも明瞭化のひとつの手法である。
これもフラッシュバックと同じで、うまいか下手かのどちらしかない。
ナレーションを使うときはこう自問しよう。
「このナレーションがなかったとしても、ストーリーはうまく語れているだろうか」と。
答えがイエスなら、そのままでいい。
通常、この手法にも「少ないほどいい」という原則があてはまる。
つまり、控えめに使うほど効果が高い。
だから、用いずにすむなら、それに越したことはない。
だがこれにも例外はある。
ナレーションを省いてもストーリーがしっかりと語れているとしたら、そのナレーションが対比による強調という正当な理由で使われている。
(P416~417より引用)

「ナレーションが、対比による強調という正当な理由で使われている例」として、著者はウディ・アレンの『ハンナとその姉妹』『夫たち、妻たち』を挙げています。

『ハンナとその姉妹』や『夫たち、妻たち』からナレーションをとり除いても、ストーリーは明快で印象的だ。
しかし、わざわざ省く必要があるだろうか。
アレンのナレーションは機知や皮肉や洞察に富んでいて、これほどのものはほかの方法では表現できない。
画面外でのこの種のナレーションは、すばらしい効果をもたらしうる。
(P417より引用)

ナレーションを効果的に使うことの難しさを、著者はこのように述べています。

音声を説明で埋めつくすのには、才能も努力もほとんど要らない。
「見せよ、語るな」には芸術的手腕と規律が必要であり、それは脚本家に対して、楽な方向へ流されず、想像力と労力を惜しまずに創造性の限界をきわめることを求めている。
(P417~418より引用)

さらに大事なのは、「見せよ、語るな」とは、自分の作品を観てくれる人の知性と感性に敬意を払うことだということだ。
観客を映画鑑賞という儀式に最高の状態で臨ませ、観て、考えて、感じて、それぞれの結論を導き出してもらわなくてはならない。
観客を子供のように膝に乗せて、人生とはなんたるかをことばで説明するようなことをしてはいけない。
ナレーションを乱用すると、映画が引き締まらないだけでなく、顧客を子供扱いしているようになる。
(P418より引用)

☆「第4部脚本の執筆 16問題と解決策 前半」に続く

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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