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無抑制(アクラシア)について。アリストテレス『ニコマコス倫理学』第7巻第1章~3章

「ネオ高等遊民読書会サークル」で開催した読書会の簡単なレポートです。


アリストテレス『ニコマコス倫理学』第7巻第1章~3章を読みました。


第7巻は、無抑制、抑制のなさの問題を扱った部分です。

いわゆる「わかっちゃいるけどやめられない」状態は、どのようにして生じるかって話です。

第7巻「抑制のなさ」の議論の肝は、第3章です。

ここでアリストテレスは、無抑制の構造について4つの仮説を立ててます。

4番目が、それ以前の3つの議論のまとめであり結論であるのですが、おおざっぱに言うと以下の通りです。

・私たちの行為の選択は、三段論法的
・まず個別的な小前提が生じる。「これは甘い」
・時間的に、個別的な小前提が最初。私たちは常に個別的なものを知覚するのであって、普遍的な大前提を見ながら生きてるわけじゃない。(ここ特にネオの勝手な補足です)
・そこから、2つの普遍的大前提があらわれる
・大前提1「甘いものは快い」 vs 大前提2「甘いものは身体に悪い」(これガチでアリストテレスのたとえ)
・この2つの普遍的な大前提対立している状態が、抑制にかかわる。
・食べれば抑制がないし、我慢すれば抑制がある
・ちなみに節制ある人(有徳)は、そもそも対立が生じない(甘いものは身体に悪い、という大前提しか生じない)
・また、放埓な人(悪徳)にも、対立が生じない(甘いものは快い、という大前提しか生じない)
・で、なぜこの大前提の対立が生じるかというと、一方が「知覚に支配された知識」だから。
・どういう意味か。要は、食べたいという欲望ありきで大前提「甘いものは快い」が作られる
・つまり、単なる欲望が、偽装して、普遍的大前提という推論の形式をとったもの。
・甘いものを見た(小前提) それを食べたいって思ったから、大前提1が生じる。
・食べたいと思わなければ、大前提1は生じない。


こんな感じで、アリストテレスは、抑制のなさの構造を分析してます。
まあ感想として、人間の欲望への深い洞察があるというか、見事な分析だなあと思います。


参考文献


ちなみに光文社古典新訳文庫の翻訳者の1人、渡辺邦夫先生は、まさにこのアリストテレスの無抑制問題の専門家でございます。解説はまだ読んでませんが、訳文・注釈あわせて得るところ大きいかもしれません


ほかにも参考文献として、岩田靖夫『アリストテレスの倫理思想』で無抑制問題に1章割かれてます。


「偽装」という言葉はアリストテレス自身が使ってるわけではないのですが、分かりやすい言葉。

アリストテレス自身は「(甘いものは快いという大前提は、)正しいロゴスに付帯的に対立しているだけ」という言い方です。

付帯的ってのが、本質的な対立ではなく、偽装という解釈が岩田靖夫。すげーわかりやすい。

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高等遊民ブログでも、以前無抑制問題を取り上げました。違った視点から、もう少しわかりやすい議論をしてます。



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