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読書感想文動画:平尾昌宏『人生はゲームなのだろうか?』(ちくまプリマー新書)

この記事は、以下の動画の原稿です。

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動画よりも文字で読みたいという方向けです。
また、発表用の原稿という性質上、言葉遣いや体裁が整っていませんが、ご容赦ください。
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哲学の知識一切なし文字通りゼロから思考だけで何ができるか・どこまでいけるかを披露してみせてる。

読みどころ:哲学縛りプレイ

軽そうな本なんだけれども、恐ろしく緊密な思考のプロセスが展開されている
こんなふうに考えてこそ哲学の知識も有用になる。
これはすごいね。おすすめです。一家に一冊平尾昌宏っていうのは、過言ではないよまじ。

なんで平尾先生、こんな縛りしてるかっていうと、誰でも哲学できるんだって示したいんだと思うんだよね。でも哲学って難しそう・・・ってイメージがあるじゃない。哲学史を勉強して、語学を学んで、専門的な講義をきちんと受けて、、、そういうのが哲学をすることだというイメージ。おれだってある。
だけどそれを「違う!」って言いたいんじゃないかな。むしろ哲学とは、誰にでもできるようなものでなければならないっていう信念・情熱。ここに核心があるはず。

ということを踏まえれば、おそらく本書の具体的な目的として、こんなことが言える。

本質に迫る思考を作り出す技をみなに身につけてもらうこと。そのための道具が論理と直観。

本質に迫る思考って具体的になにかというのは難しいが、例えば議論において共通の同意を作り出すことがその1つ。
どんな場所であっても、何らかの考察やディスカッションがあっても、みんなが勝手になんか言いたいこと言っただけでしたって終わりがち。でもそんな終わり方になるのは、不毛だよね、もう少しやり方があるよね、というのはまあ言えるでしょう。そういうのに本書は使える。

だけどそれだけが本書の目的じゃない。より広い射程がある。というのも、共通の同意を作り出すことだけが、哲学という営みの機能じゃないから。

論理と直観をこんなふうにまとめてみた。論理と直観を使って本質に迫っていくとは、例えば論理で詰められる。論理的にはこうなりますよね、と。それはみんなが基本的に同意できるものだ。
しかし、同意できることと本質に迫ることはイコールじゃない。本質に迫るほど共通の同意は失われるのも常のこと。

「論理的にはそうかも、だけどなんか違う!」っていう思いも必ず出てくる。
たとえばこの本だと「戦争はゲームだ」とか。
そういうときに出動しているのが直観。
この直観が、論理によって支えられるかどうかをまた考えていく。
そういうような思考のプロセスが本書全体のやってること。

で、重要なのは、むしろ積極的に不穏なことを言っていること。脅かしていること。そういう嫌な感じのする問いに向き合わせていること。なぜなら「戦争はゲームである」に反発を覚えながらも同意してしまうのはほかでもない自分自身だから。そういう怖い本でもある。だからみんなが安心できる空間で、安心して同意できる意見だけを採用しましょうなんて、生ぬるい話は本書は一切拒否している。そういうスタンスになっているはず。論理と直観だけが哲学の友だちだ。

今の話はざっくりとした感想だけど、こっから内容に少し触れていこう。

内容の紹介・要約・解説

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