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人生を豊かにする中国古典の名言#54

【今日の名言】

己れを知ること莫きを患えず、知らるべきを為さんことを求む
(読み:オノれをシることナきをウレえず、シらるべきをナさんことをモトむ)

『論語』里仁篇

自分を認めてくれる人がいないことなんて気にせず、まずは人に認められるような実績をつくるように努力しなさい、という意味。

孔子は、人として正しくあろうと努力を続けていれば、他人からの評価は後からついてくると信じていました。

これは孔子自身の実体験に基づくものです。

孔子は「仁の考えを世の中に広げたい」という理想を持ちつつも、なかなか国家に就職する機会に恵まれず、長年各地を転々とする生活を送っていました。

春秋時代は戦乱の時代。

親兄弟で争うことも珍しくない時代には、孔子の考え方は理想論に見えたのでしょう。

ときどき面談の場を設けてくれる政治家はいても、孔子の考えを国政に取り入れてくれることはありませんでした。

結局、孔子が本格的に国政に参加し始めるのは50代になってからです。

晩年の孔子が当時を振り返って語った言葉が以下となります。

五十にして天命を知る
(読み:ゴジュウにしてテンメイをシる)

『論語』為政篇

50歳になって、天が自分に与えた使命に気づくことができた、という意味です。

ちょうど、母国でもある魯の政治家として登用された時期にあたります。

母国の政治家になれたことがよほど嬉しかったのでしょう。

孔子の言葉からは、

「母国で理想の政治を行い、仁の世を実現するのが自分の使命なのだ」

という感慨が伺えます。


孔子が母国の政治家になることができたのは、ひとえに彼の地道な活動の賜物です。

人を誨えて倦まず
(読み:ヒトをオシえてウまず)

『論語』述而篇

孔子は貧しい放浪生活を続けながらも、「誰かに教えるのは苦にならないんだ」と熱心に弟子の育成に努めていました。

しかも、彼は弟子以外の人からの質問にも丁寧に対応しています。

子供が相談にやってきたら快く面会し、国家の有力者が来たら第三者として助言を行う。

身分の貴賤に囚われることなく、彼の意見を求める人には平等に対応していたのです。

現代風にいうならば、あちこちで就職を断られながらも若い頃からコツコツと発信を続け、ある程度有名になってからも、いただいた質問には一つ一つ丁寧に回答する、といったイメージでしょうか。

孔子の誠実な人柄を感じますね。

こういった孔子の芯の通った直向きな努力の成果が、50代以降になって実を結んだのでしょう。

評判は後から付いてくるものです。

誰もが気軽に発信できる時代になったからこそ、自分の発信に反応がないと不安になると思います。

しかし、何事もまずは続けることが大事です。

日々コツコツと積み上げた成果が、後々になって大きな結果につながります。

千里の道も一歩から、です。

不安になったときこそ、次の一歩を踏み出しましょう。

前に進み続ければ、孔子のように結果は後からついてきます。

周囲の評価に振り回されずに、コツコツと自分のペースで歩んでいきたいですね。


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