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61歳にして帝位についた、とある孝行息子のお話【教養を深める中国古典のお便り】

皆様、こんにちは!

メンバーシップ向け特典記事の「古典のお便り」7通目になります。

こちらのシリーズでは、普段の記事では取り扱っていない古典・史書から、皆様の視野を広げる一助になるような内容をお届けしています。

今回取り上げるのは、司馬遷の『史記』です。

百三十巻に及ぶ超有名作品ですが、もともと司馬遷は『太史公書(たいしこうしょ)』と名付けていました。

現在のように『史記』と呼ばれるようになったのは、三国時代以降のことです。

ちなみに、『太史公書』というのは、「太史令(たいしれい)の司馬遷が書いた書物」という意味合いです。

「太史令」というのは、国家の歴史を記録する史官のトップのことですね。

自身の役職名を付けていることからも分かるように、『太史公書』は司馬遷の歴史観に基づいた渾身の作品です。

その記述は客観的かつ批判的でありながら、当時の歴史を鮮やかに再現するほどダイナミックなものであり、後世の歴史叙述や物語にも大きな影響を与えました。

まさに学びの宝庫と言えるでしょう。

というわけで、今回は『史記』の中から、平凡な孝行息子が帝となるまでの物語をご紹介します。


『史記』五帝本紀に学ぶ

今回取り上げるのは『史記』五帝本紀からの言葉。

なんじ帝位に登れ
(読み:なんじテイイにノボれ)

『史記』五帝本紀

古代中国の伝説的な為政者である堯(ぎょう)が、舜(しゅん)の活躍を認め、帝位を譲る約束をした際の言葉です。

堯も舜も古代の帝王の中では特に有名で、「堯舜の治世」といえば、誰もが憧れる理想の治世として認識されています。

次の章では、その舜がどのようにして堯に認められたのか、という点についてみていきましょう。


舜の過酷な家庭環境

舜はなかなかの苦労人です。

普通の村人の家庭に生まれましたが、父親は目が見えず、母親は早くに亡くなりました。

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