見出し画像

「人生80年のうちの、たった1年」

飄々としていて胡散臭い、調子のいいことばかり言うマネージャーが言った言葉を、10年以上経った今でも、私は忘れられずにいる。


20歳。美容専門学校を卒業した春。
私は美容師ではなく、夜の街で働いていた。

卒業後1年間、いろいろあって就職浪人状態だった。週6でBARで働きながらそこそこ稼ぎ、家にお金を入れながら就職活動。専門学校の就職担当の先生には就職率を下げたことをチクリと言われ、いつも成績上位の優等生から一転、落ちこぼれのレッテルを貼られた気がした。


お店がノーゲストになると、手に豆ができるほどステア(カクテルを長いスプーンで混ぜること)の練習をしたり、夏は汗が流れるほど暑い中、冬は手がかじかむほど寒い中リーフレットを配りに行ったり、お店にいたらいたで酔っ払いに若者代表として謎の説教をされたり、憂鬱なことがありながらもなんとか必死で生きていた。


美容師として新生活をスタートさせる同級生。
美容師としてどんどんステップアップしていく同級生。


美容師になりたいのに、どうして私は毎日お酒を作ってるんだろう。頑張らなきゃいけないのに、こんなところでつまずいて何をしてるんだろう。


紺色の空の下、流れていく人の波を眺めている日々に、自分が情けなくなり、1分1秒が惜しいほど焦りばかりが募っていった。涙が流れないように目を見開いて、歯を食いしばりながらほとんど減っていないリーフレットを持って、お店に戻った。

ノーゲストの店内。マネージャーが私の顔を見て、「10分休憩とって」と言ってタイマーを渡してきた。

「で?どうしたん?なに泣きそうになってんの?」

と言いながら、カウンターに座った私にオレンジジュースをスッと差し出してくれた。普段はお店のジュースは「飲みたけりゃお客さんに飲ませてもらえ」と言うくせに。

いつも冗談か本気かよくわからない冗談ばかり言っていて、テキトーな発言が多くて胡散臭い飄々としたマネージャーが、ふいに見せた優しさ。思わず本音があふれ出し、"美容師を目指しているのに、こんなところでつまずいているのが悔しい。早く美容師になりたい"と焦る思いを一気に吐き出した。

するとマネージャーは、いつもの調子で飄々と返した。

「同期が成長していくのみると焦るよなぁ。初めのうちはどんどん成長していくからな。けどな、今コウがここで働いてる時間なんて、人生80年のうちの、たった1年やで?この先ずっと美容師やるとして、60年のうちのたったの1年やで?気にせんでいいんちゃう?寄り道してない美容師より、寄り道した分また別の引き出し増えてんねんから。」


マネージャーは私より4つか5つ年上で、彼も元美容師だった。

どんな思いでこれを言ってくれたんだろう。


私はこの言葉に堪えきれず泣いた。そして、笑った。真剣みのないヘラヘラとした空気感で、私の悩みを笑い飛ばすように言ってくれて、なんだか和んだ。なんであんなに焦っていたんだろう。急に、体が軽くなったように感じた。

休憩のタイマーは、とっくに鳴り終わっていた。

+++

6年後、私は美容師をやめて、マネージャーは友人と美容室をオープンした。販売員となった私は、大阪にいた間ずっと、その美容室に通うことになる。

一度、この時の話を本人に話したことがある。「あの時はKさんの飄々とした胡散臭さと、さらっと悩みを吹っ飛ばす言葉に救われました」と。


するとKさんは、いつもの調子で言った。

「俺そんなこと言ったっけ?w」



サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。