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運命の人は、最期の時に思い出す人。

古い日本家屋の縁側で、祖母と2人、並んで座り、よく冷えた器を持ちながら、夕食前のささやかなおやつタイム。私が一人暮らしでも毎日ヨーグルトを食べるのは、元はと言えば祖母の習慣だ。日課のヨーグルトと共に、懐かしむように遠くを見ながら語られる祖母の思い出話を、同じく遠くを見つめながら聞いていた。夕陽に照らされた祖母の瞳は、少女のように煌めいていた。


"運命の人というのは、なにも結婚して人生を共に歩んだ人とは限らないのよ。"


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結婚はどうするの?と祖母に聞かれ、答えられずにうやむやに濁して話をそらす。
「おばあちゃんにとって、おじいちゃんが運命の人だったと思う?」
すると祖母は、う~んとしばらく呻って、ある昔話をし始めた。


祖母が若かりし頃、お付き合いをしていた男性がいたそうだ。幼馴染で3つ年上の五郎さん。五郎さんとは想いあっていたが、祖母は家の都合で18歳の時にお見合い結婚をすることになる。この時の相手が、祖父だった。
祖母の父の指示により、祖母は祖父との結婚が決まった。それと同時に、祖母は五郎さんと別れることに。その後、五郎さんとは今まで一度も会うことはなかったという。

でもね、と祖母はつづけた。
「お別れして、おじいさんと結婚して、子育てに追われる中、一度だけ手紙を書いたことがあるの。」
これはお母さんにもおじいさんにも、誰にも内緒よ。と、唇に人差し指を当て柔らかにほほえみながらこっそりと教えてくれた。


自分の意思とは関係なく家庭を築かなければならず、慣れない家事や育児に追われる中、相当のストレスがあったことは容易に想像できる。それでも、なんとかその中で祖父と共にしあわせになろうとしたのだろう。祖母はそういう人だ。そんな祖母が、かつての恋人にあてた手紙。


「私もおじいさんもあの頃はまだ若くて喧嘩をすることだってしょっちゅうで、あのまま五郎さんと一緒になっていたら…と考えたこともあったわ。五郎さんとはお互い嫌いになって別れたわけじゃないから、どうしても楽しかった時間を思い出してしまってねぇ。」

そう話す祖母の顔は、夕焼けに照らされて少し哀しそうに見えた。
祖母はさらに続ける。
「良子おばちゃんいるでしょう?」
良子おばちゃんは祖母の5つか6つ年下の妹だ。祖母と違いアクティブでよく喋る元気なおばあちゃんといった感じ。流行りものが好きで、今は竹内涼真がお気に入りと言っていた。恋の話と若いイケメンが好きな面白い人だ。
「良子おばちゃんがね、ある日、街で偶然五郎さんに会ったのよ。その時にお名刺を頂いたみたいで、そのお名刺をこっそり控えて連絡先は知っていたの。おじいさんと離婚したいとか、そういうことじゃないのよ?ただ、大切な思い出のままずっと心に残っていたのが急に蘇ってきて。」

よく知った祖母なのに、その顔はなんだか知らない女の人みたいだった。

その後がどうなるのか、ドキドキしながら聞いていた。今も祖父の妻として寄り添っているのだから結末はわかっているのに、どこかでドラマのようなラブストーリーを期待して聞いていた。


「一度おじいさんと大きな喧嘩をした時に、こっそり手紙を出したの。」

「おじいちゃんが嫌になったから?」

「違うのよ。うーん、本当はちょっとだけ期待もしたけどね、ずっと心に残っている気持ちを、きちんと消化してしまおうと思ったの。だから、五郎さんへ感謝のお手紙を書いたの。それで気持ちに区切りをつけようって。返事はなくていいから、こちらの連絡先は書かずにね。」


その後、五郎さんからの返事はなかったそうだ。住所を書かずに名前だけ書いたのだから、返事がなくてもおかしくはないのだけれど。それでも、住所を調べることだって不可能ではないはずだ。

もしかしたら、届かなかったのかもしれない。もしくは、別れた恋人からだとわかり、読まずに捨ててしまったのかもしれない。


「それで、おばあちゃんは五郎さんのことは吹っ切れたの?」

「ふふふ。今でも良い思い出よ。」

と言って頬を染め笑う姿は、まるで恋する乙女のようだった。


そして祖母は続ける。

「運命の人というのは、なにも結婚して人生を共に歩んだ人とは限らないのよ。私の人生を振り返って、運命の人はだれかというと、もしかしたら五郎さんだったかもしれないし、縁あって一緒になったおじいさんかもしれない。それはきっと、死ぬ時にならないとわからないんじゃないかしら。最期の時に思い出すのが、運命の人なのかもしれないわねぇ。まだまだ知りたくないものだわ。」

おじいさんより長生きしなきゃね、と言って残りのヨーグルトを口に運ぶ。毎日ヨーグルトを食べている祖母は、実年齢よりもずっと若く見える。美の秘訣は老廃物をためないことよ、と幼い頃から聞かされていたが、どうやら本当のようだ。



「もう一度言うけど、運命の人というのは、なにも結婚して人生を共に歩んだ人とは限らないのよ。運命の人と巡り会うのを待っているようじゃ、婚期逃すわよ。」


さっきまでの乙女の顔から一転、酸いも甘いも知ったような大人の顔でチクリと言って、祖母は台所へと消えていった。


女はいくつになっても乙女であり、したたかであり、可愛いくてかっこいい生き物だ。私は祖母が立った後も縁側でひとり、ぼんやりと夕陽を眺めていた。


運命の人に想いを馳せながら。




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