個性の細分化

最近、今までは個性だと捉えられていたものを病気や異物と認定するケースが増えていると思います。これを促進した先の未来に希望が持てないので、一度今思っていることを吐き出したいと思い、書くことにしました。


最近ジェンダーにしろ精神疾患にしろ、種類を細分化して自分の状況に一致させることで安心しようとする人というのが、一定数存在すると思います。こうすることで得られる種類の安心というのは、あなたの人生がうまくいかない原因はこの特定のところがおかしいからだ、という断定によって不都合な事実を他人や環境のせいにすることで得ている安心なのではないでしょうか。

もっと突っ込んだことを言うと、これを理由に人生に言い訳をする人というのが顕在化していっているのではないでしょうか。平成は、多様性の時代という表現をされます。しかしその多様性を尊重した結果、どこの多様性にも括れなかったものをよくわからない種別に無理やり当てはめているように、私には思えてなりません。


もし仮に病気だとすれば、原因を突き止めることが可能で、且つ治癒が可能だということを意味します。しかし、感情の機微や性別の微妙なニュアンスを言語化して対処することは、ほとんど不可能でしょう。


治癒するのではなくて、受け止めていくのが有効なのではないでしょうか。




読んでくれてありがとうございました。
またどこかで。




日々是口実


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?