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「勉強が好き」の言葉が普通に受け止めてもらえる環境になって欲しい

私が中学校や高校に通っていた時期は学習指導要領がゆとり方向にシフトする直前で、「勉強ばかりの生活はよくない」「詰め込み教育、スパルタ教育はよくない」など言われていた時期だった。

学業成績だけで生徒の全てを評価するのはよくない。部活や体育、美術など、それぞれの生徒に得意な分野があっていい。

あるいは、勉強以外の常識(家事とか挨拶をするとか)がまったくできてなくて、それを「成績がいいから、別に構わない」と言うようになれば、おかしなことだ。

それは分かる。しかし、ただ勉強が好きなだけで「ガリ勉」と馬鹿にされるのは納得いかなかった。部活が好き、体育や美術が好き、というのと同じように「勉強が好き」という言葉も受けとめてほしかっただけなのに。


ところで、私は学習塾にはいかなかった。近くに学習塾がなく、通塾にかなりの時間と労力がかかってしまうことが理由の1つだった。

学校や塾で授業を受けること以上に、授業で得たことをもとに自分で勉強することが大事。通学に時間や体力を使いすぎてへとへとになり、自分で学習する時間がとれなくなるなら、意味がないのだ。


私はもともと、成績が目立つほうではなかったが、ある時点から成績が伸びた。自分も家族も驚くほどだった。1度限りのまぐれで伸びたのだと思っていたから、友人と成績の話をすることもなかったし、それで友人関係や学校生活が大幅にかわるようなことはなかった。

そもそも、人間が勉強することの意味は「生き延びるため」だと私は思う。

たとえば迷子になったとき、自分の名前や住所が自分で書けるほうが助かる可能性が高いだろう。悪い人に騙されないために計算や法律知識をつけたり、災害時に生き延びるために水をろ過する方法や火をおこす方法を知っているほうがいい。

勉強ってそのためのものだ。人に自慢したり、人を見下したりするためのものじゃない。

学歴社会においては、学校でよい成績を取ることもまた、生き延びるための選択肢を増やすことだ。

知識や知恵を1つ得るたびに、生き延びる可能性が高まると思ったら、なんだかワクワクする。

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