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音と光の少なさを存分に味わっていたら心に隙間ができた

 仕事のない日の夜のなんと心穏やかなこと。2日間休みがあるとして、それが土日とするならば、土曜日の夜の心の余裕は格別だ。そして、お酒を飲んでいなくても、どこかいい意味での名残惜しさ、何かさっきまで一緒にいたような、そんな余韻に包まれる。

 とくに春か秋の天気の良い日の夜、それも21時を過ぎてからの時間が最高だ。そうやって夜も更けてから外をほっつき歩くのは楽しい。目や耳に入ってくる情報は自然と少なくなり、ノイズがほとんどなくなった世界を踏みしめる(ただしスマホを目にしない限りにおいて)。自分の住んでいる郊外の住宅地を散歩するのもいいけれど、夜の気配と余韻を楽しむなら、やっぱり街の中が一番いい。

 街という人が一番いるはずの場所、あらゆるものがうごめいている場所。そんなイメージを持つはずの場所が、うって変わって静けさに包まれる。まるで昼とは別人格の「街」になったように。人々の欲望がアスファルトの中に吸い込まれて直接姿を表すことがない。どこか表面上は優しそうなんだけれど、狡猾さが隠れていそうな、そんな街の雰囲気。まあ嫌いじゃない。

 23時くらいの人気と車の少なくなった街で腕を広げて歩いてみる。昼間なら感じることのない空気の手触り。
 思い切って道路の真ん中を歩いてみたり、駆け抜けてみたり。車を運転しているときとは異なる目の高さ。そこから感じられる「初めて」。何度そこを通っているんだよ、という道のりが今はまったく違う光景になる。

 その新鮮さに心動かされるんだ。大きな感動ではないけれど、ちょっとした発見がそれまで自分の体に溜め込んできた経験則とやらを簡単にひっくり返してくれるもんだから、呆気にとられてしまう。でも、それがなぜか気持ちよくって、頭がスッキリする。

 たぶん、いつも何かに驚かされていたいんだろうなってよく思うんだ。驚かされるたびに、そこに喜びがあって、小さな幸福感があって、いつのまにか笑っていて。なんかそんな小さなことを求めている。

 たまに現れる2〜4人組の人たち。楽しみの余韻を残して帰りたくなさそうな感じを醸し出している。まだ飲むか遊ぶか帰るか決めかねている。段差にかける足の動きがそれを物語る。決断を先送りにして時間稼ぎとばかりに、日常のあれこれを静けさと倦怠感に加えるアクセントとして会話に注いでいる。

 カップルたちの背中。適度な暗がりと静けさ、その空気感とマッチしていて視界に入るたびに映画やミュージックビデオを見ている気分になる。歩幅のリズム感と歩くスピードの緩やかさ。よくもまあそんなシンクロできるよなって傍目から見ていて不思議に思う。けれどもまあ素敵なこと。

 点滅信号。赤と黄色の点灯が奥に向かってずっと続いている。そのリズム感の良さときたら。
 信号待ちをしている車のウインカー。数台の車の点滅が、みんな確信犯じゃないのかっていうくらいにリズムよく点いては消えを繰り返す。そのリフレインを見ているだけで勝手に頭の中で音楽が鳴る。

 夜の街はそんな発見に尽きない。そして、暗さと静けさのおかげで昼間とはまったく違う感覚が働く。
 なんだか変な話だが、自由にも似た幸福感を抱くことができる。一瞬だけなにものからも解放されて、夜の中に溶けゆく感じ。それだけ心に隙間ができている証拠かもしれない。

 そんな気分を味わっているときに月が顔を晒していると、これはもう最高の気分ですよ。犬だか狼だかが月に吠えたくなるのが分かる気がする。

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