三大レクイエム/ディープステートと陰謀論/メディアの堕落と国家権力自身による客観情報の発信

1月20日(土)曇り

昨夜はなんとなくうたた寝をしてしまったら寒くなって、寝る前に入浴した。そのせいかよく眠れたようで、朝起きたら五時半でまた遅い時間になっていた。少しだけ支度して六時過ぎに出かけ、隣町にガソリンを入れにいきながら、FMでビバ合唱のフォーレのレクイエムを聴いていた。

モーツァルトとフォーレとヴェルディのレクイエムが「三大レクイエム」なのだそうだが、私はそれは最近知ったことで、モーツァルトは何度も聞いたこともあったがフォーレのは今回初めてなのでへえっと思いながら聞いていた。最初は何も解説を知らずにただ合唱を聞いていたのでなんかすごい曲だなと思っていたのだけど、フォーレのレクイエムだと知ってなるほどこういうものかと思ったのだった。

3大レクイエムというのは誰が決めたのか知らないが、モーツァルト(1756-91)はともかくフォーレ(1845-1912)やヴェルディ(1813-1901)はかなり新しい人という印象があり、この二人をモーツァルトと組み合わせるのはいかがなものかという気がするのだが、何かの機会があればそれも調べてみたい感じはした。


アイオワ州の共和党党員集会でトランプが圧勝し、また今回の大統領選挙もトランプvsバイデンという組み合わせになるのかなという感じではあるが、トランプの復活を意外と感じる人が日本では多いようで、みんな困ってるんじゃないかという感じがする。私はトランプが復活しても安倍晋三氏が生きていたら十分やって行けたと思うのだけど、安倍氏が暗殺された今となってはかなり日本にとっても大変なことになるかもしれないという気はしないではない。

ここにきてのトランプ支持の広がりについて、さまざまな分析がなされているけれども、今回の大統領選において一つのキーワードは「ディープステート(DS)」になるのではないかという気がする。これについては前回の大統領選でもQアノンと呼ばれる陰謀論を主張するトランプ支持者の人たちが話題になっていたけれども、今回はトランプ自身がこうした陰謀論に乗っかる姿勢を見せている感じがし、その辺りもこれからの展開を注視すべきところがあるように思う。

ディープステートというのはわれわれ日本人にはイメージが掴みにくい存在だが、昨日も書いたけれどもマルクス主義が悪辣な国家資本主義みたいに悪魔化した敵を作る思考になっているのと同様、その思考形態の母型であるキリスト教的思考自体が生み出した「なんだかよく分からない悪魔的な何か」みたいなものが存在する、という濃淡はあるにしてもある種の妄想から生まれているのではないかという感じがする。これはブッシュJr政権の時の「悪の枢軸」のイメージと似ているが、あの時は明確にイラン・イラク・北朝鮮という三者を名指しして攻撃し、実際にイラクは滅ぼされることになった。滅ぼされた後で大量破壊兵器=核開発の証拠が出てこなかったのはこれは敢えてやったのだなという感がありありだが、実際に核兵器を保有していると思われるイランや北朝鮮は未だ健在なわけで、特にイランは今のウクライナ戦争やガザ戦争においても主要な影のプレイヤーとしてアメリカに対抗しているわけである。

ディープステートはそうしたイスラム系の悪魔的存在ではなく、古くからある「ロスチャイルド家の陰謀」系のものと共通する部分があるが、ただトランプはイスラエル支持であることもあり、「ユダヤの陰謀」的な部分は捨象されている、というかむしろ「キリスト教シオニズム」的なイスラエルへの入れ込み方があり、その辺はバイデン民主党にしてもある程度はあるからネタニヤフ政権のガザ虐殺が可能になっているという部分もある。ただバイデン政権は「パレスチナ問題の二国家解決」というオスロ合意以来の常識的で堅実な(イスラエルで強硬派が政権を握っている現在実現性は必ずしも大きくないが)路線を支持しているけれども、トランプ政権になったらその辺がどうなるかという危惧はある。

だから「ユダヤの陰謀」からユダヤ人を捨象し、「国際的超富裕エリート」が「キリスト教破壊的なリベラル勢力」と組んで、あるいはそれらを使嗾してアメリカを貶めている、という構図が今のディープステート論なのだろうと思う。だからそれらを排除することがMakeAmericaGreatAgainということになるのだろうと思う。

ただ、キリスト教社会はこのように常に「敵を作ってそれを攻撃する」というある種にマッチポンプ的な運動によってそのエネルギーを排出していたような感じがあり、これは要はフェミニズムにおける悪魔化された「家父長制」のようなものと同じで、欧米的な家父長制が存在しない現代日本においてもそれを振り回す妄想が存在するけれども、そういう意味では「家父長制妄想」は公式化されオーソライズされているけれども「ディープステート妄想」はまだされていないだけで似たようなものだ、というふうには思っている。

いずれにしてもこうした妄想や陰謀論というものは以前に比べて国家においても社会においても国際関係においてもより支配的になってきている感じはあって、それは幸福を増進するはずの科学技術というものや富を増進するはずの商業取引というものが既に一般常識的な庶民にとって素朴な理解を超えたものになってきていることと関係があるような感じがする。

「一般市民の素朴な理解」と「先端の科学技術・経済手法・軍事・政治・政治思想」などを結びつける働きがマスコミや政治家、あるいは「知識人」の役割としてはあるはずなのだが、それらの人々が既に党派的に動いていることが「一般市民」の側にも理解されるようになってきてしまい、それらを「信用できないもの」と見なすことで「彼らが「隠している」真実」があると考えるようになってきたところに陰謀論が胚胎している、ということなのだろうと思う。

特に「メディア」とは本来「媒介」なのだから、「事実をそのまま伝える」ことが本来の役割のはずなのだが、それをバイアスをかけて伝えたり伝えなかったり、あるいは「自分の考える真実や正義」を伝えることの方をより重視する傾向が強くなったりしているのは、メディアの欠陥というべきで、「より客観的な事実」が「メディア」によって伝えられないなら、「インターネット」に頼るしかない、ということになるわけで、メディアの責任は大きいと思うのだが、みている限りでは自覚も足りないしネットで伝えられている事柄の評価についても能力が追いついていない感じがする。

というのはつまり、結局はメディアはもともと「彼らが伝えたいこと」を取捨選択して伝え、あるいは「自分たちが伝えないことのみを取材し調査していた」だけであって、「読み手・受取手が知りたいこと」を必ずしも伝えていなかった、ということなわけである。その「読み手が知りたいこと」についてメディアはそれを「吟味して伝える」能力はもともと持ってないという部分がおそらくあり、そこに陰謀論が入り込む隙間は大きかった、ということなのだろう。

インターネットはそういう意味で集合知として機能している部分はあるが、中央集権的な知の管理がなされているわけではないから当然ながら玉石混交である。ただTwitterのコミュニティノートなどのように「意図をもって発信されているもの」について待ったをかける機能が実装されてきたことはこうした傾向において新しい希望であるようには思う。

また、岸田首相が今回の能登地震において自らのアカウントで支援の進展状況について発信しているのも新しい傾向だが、これは野党側からの地域性に基づく支援の困難さを無視した批判が出ていたことがあるとはいえ、新しい傾向だと思う。これは処理水の放出についての中国側からの言われなき誹謗中傷に対し、外務省アカウントが正面から批判して情報を発信していっているのと同じ方向性であり、より客観的な情報を発信することで国家権力自身の正当性を主張するという情報発信の新しいフェーズに入っている感じがする。客観的な情報をメディアが伝えないなら権力自身が発信していくという方向性が正しいのかどうかは議論の余地があると思うが、ただメディアの欠陥を権力が埋めているという構図に今のところはなっているように思う。要はメディアがだらしないのである。

陰謀論を封じ込めるためには、より客観的な情報を伝えていくだけでなく、誤った情報をはっきりと批判していくことが重要だ、ということは福島原発事故に関する風評加害問題について発信を続けている林智裕さんの「正しさの商人」にも書かれていたことだけれども、その点において果敢なのは岸田政権の良いところだろうと思う。

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