『働き方改革は、つまるところ生き方改革』
「働き方改革」に対する世の中の論調にどうも違和感を感じていた時、ひとつの明快な方向性を簡潔に示してくれたのが、およそ1年前の以下の日経の記事でした。
『生き方改革』 カルビー会長兼CEO 松本 晃 (2018.01.22 「あすへの話題」日本経済新聞夕刊)
ここで、松本会長(当時)は以下のように述べています。
短い人生で、今働き方・生き方を改革するということは、結局顧客や多くのステークホルダー、もしくは自分や大切な多くの人たちにとって、その人達の抱えている問題の解決にならないことを止めて限りある時間を大切な人達の問題の解決に使うことなのではなかろうか。
この記事のおかげで、なるほどそうか、今こそ原点に立ち返り、何故その会社は存在をしているのか、何故その会社で働いているのか、そして何の為に働き何の為に生きているのか(何をなす為に生かされているのか)、そういった事を考え直そうというのが「働き方改革」の本質なんだなと気づく事が出来ました。
それまでは、「働き方改革」という言葉は、どうも会社側から出てきた会社にとって都合の良い表現に聞こえて仕方がありませんでした。
それは、その議論が労働時間の短縮とか、生産性の向上という観点で語られることが多いからだろうと思います。
そのため、生産性を高め、労働時間を短縮し、コストを圧縮したいという会社側の思惑をどうしても感じざるを得ません。
言ってみれば、巷で議論されているこの話題の多くは、会社側の都合の良い「働かせ方改革」になってしまっているものと思います。
一方で、働く側個人の観点になれば、自分の人生の中で「働く」ということをどう位置付けていくのか、と言う発想で考えるべきなのでしょう。
もう少し掘り下げると、自分らしい生き方、また活き活きと自分の人生を歩むに為に、「働く」という行為(活動かな)をも含め、自分は今この世で何を為すべきなのか、ということ。
これはそう簡単に答えの見つかる問いではありません。
けれども、そう自分に「問い続ける」事で、働くことも含めた自分ならではの生き方が見つかるのではないかだろうか。
そしてその人生を歩む事で、活き活きと自分らしい人生を歩む事が出来るのではないか。
最近はそう考えるようになりました。
社員一人ひとりが、それぞれ自分ならではの生き方を定め、目的意識を持って能動的に仕事に取り組めば、自ずと成果も上がり働き方も変わってくるものと思います。
そういう発想に変わらない限り(会社に働かされている限り)、残業規制の結果何をして良いのかわからなくなり、街を徘徊する「フラリーマン」が大量生産されてしまうのだと思います。
※時間を持て余すなんて、なんて勿体無い…。
なお「働かせ方改革」の切り口では、坂本光司さんも奇しくも同じ表現で以下のように仰っていましたので、参考にご紹介します。
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