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紺野登の構想力日記#14

デザイン〈の〉思考【2】

デザインがアートを創造するまで


◇ 原始社会のアートと自然

1万8000年ぐらい前の仏ラスコーの壁画である。

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われわれの祖先は、こんなふうに洞窟にたくさんの手を描いた。
「手」を発見する、つまり、手を介して創作をするという意識に目覚めるのである。自分たちは、創造力というものを持っている、と。

おそらく数万年前から、いわゆる原始社会のなかで、さまざまなかたちでアートは「生きて」いた。
たとえば、いまでもオーストラリアの先住民は、クラン(氏族)ごとのデザインパターンを持っていて、クランの族長はアーティストである。アーティストはクラン(氏族)なりのパターンを描くことで、「われわれはこういう歴史(物語り)を持ったグループである」ということを示す。
トーテムポールなどもその表現の一つである。

しかし、ここでいうアートは、いまのアートではない。クランの族長はアート作品で喰っているわけではない。
ただいえることは、1万年前の昔から、誰が教えるわけでもなく、人間はみな根源的なアートやデザイン力を持っていた、ということである。

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さて、前回の構想力日記#13では、いまの時代、経営とアートやデザインが融合しつつあるが、そこには3つの融合領域があるという話をした。
 ① 芸術の領域(審美的な価値を扱うデザイン)
 ② 技術の領域(技能=テクネーとしてのデザイン)
 ③ リベラル・アーツの領域(創造者の智慧としてのデザイン)
この3領域である。

そこで今回は、➀の芸術の領域での、アートやデザインと経営との関係を、歴史をさかのぼって考察しようと思う。


◇ 自然に埋もれるデザイン〈の〉思考

住居も、1万年ぐらい前からさまざまなかたちでデザインされている。
日本の竪穴式住居。1万年ぐらい前の縄文時代だ。

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次が、ネイティブアメリカンの小屋、テントである。

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次が、いまも部分的に作られているイヌイットの氷のイグルー。

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これらはみな「モンゴロイド」だとされる。こういったデザインが、自然のなかに埋もれているのである。

たとえばイグルーは、ただ氷を積み重ねるのではなく、ハイパーボリックに斜めに氷を積み上げていくという、非常に高度なデザインだ。
このように、自然と溶け合い、自然に埋もれるデザイン〈の〉思考が、古来よりずっと何百年、何千年と続いてきたのである。


◇ ルネサンスと誰か(人間)のためのアート

さて時は流れて、西欧世界でルネサンス(14世紀~16世紀)が興ると、職業「画家」という人たちが登場してくる。王様が画家を雇ってアートを制作させる、ということが行われるようになる。

これは有名な「ラス・メニーナス」という絵画。
作者(画家)は、バロック美術の巨匠ベラスケス(1599-1660)である。
ベラスケスはスペインの宮廷画家として活躍した。

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この絵の中には、対象物である小さい王女様、依頼主である王様(鏡の中に映り込んでいる)、そして画家本人も描かれている。ベラスケスは鏡を見ながら、この絵を描いているわけである。

画家と呼ばれるアーティストが、こういった少し複雑な絵画を、「誰かのために(多くは権力者のために)制作する」ということが行われるようになり、デザインには大きな変化がもたらされた。
古来、自然や神とともにあったデザインが、自然や神から引き離される、ということが起きたのである。


◇ 産業革命と人間性回復への芸術復興

産業革命(18世紀)が起こると、さらにアートやデザインには変化がもたらされる。
かつての自然のデザインや、ルネサンス以降の人間のためのデザインが、産業化の波にのまれ失われることに対する、一種の復興運動が広がっていく。
イギリスでは、詩人であり思想家であり、「モダンデザインの父」とも呼ばれるウィリアム・モリス(1834-1896)が、アーツ・アンド・クラフツ運動を先導して、大量生産による安価で粗悪なモノにあふれる状況を批判して、手仕事や手作りのデザインを人々の暮らしの中に取り戻そうとする。
これは、産業化・工業化によって人間性が失われてしまうことに対する反発や、反抗の精神によるものだ。

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日本でも、ウィリアム・モリスから影響を受けた柳宗悦(1889-1961)らによる民藝運動が起こっている。

一方で、こういうこと(↓)も起きるわけですね。
フランス生まれの美術家、マルセル・デュシャン(1887-1968)の「泉」という作品、ご存じですよね?

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マルセル・デュシャンが男性用小便器を横に倒して、ここに「泉」と書いて、現代芸術のサロンに出品して突き返されたけれども、のちにこの作品は、20世紀現代美術における最大の作品といわれるようになる。
とはいえ実際には、どこかのメーカーがつくったトイレの便器である、と。制作されたのは1917年のことである。
デュシャンは、単におもしろがってやったわけではない。懐疑的に「レディメイド芸術」を批判したのである。

この時代になると、芸術家が美しい絵を描いたとしても、使っているのは工業製品の絵の具である、ということが普通のこととなっていく。
そういった芸術に対して彼は、「実はいまの画家は、結局はそういうレディメイドのものをただ並べているだけで、クリエイティビティと関係ないんじゃないの?」と批判したのだ。
これは現在のAIアートと同じである。AIアートも、いろいろな作家のパターンを読み取って、そのデータをもとに制作される。データがいくら膨大になっても、結局、既成の枠の中のアートであることに変わりはない。それが芸術なのか?という批判は、実は100年ぐらい前からすでに言われていたのである。


◇ 「破壊」のためのデザインという新たな発想

いっぽうロシアでは、ロシア革命(1917)からソビエト連邦誕生への時期、国家あげての芸術運動が起こる。アート、アーティストを盛んに活用して、芸術で新しい国家をつくろうとしたのだ。長く続いた帝政ロシアを、アートの力で破壊しようというわけである。ロシア・アバンギャルドだ。

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破壊のためにデザインをする——。
これは、デザインにおいてはなかなか新しい発想である。アバンギャルド、前衛芸術といわれるようになる。


◇ そしてスペキュラティブデザインへ

この前衛芸術が、最近のスペキュラティブデザインに受け継がれていく。
ダミアン・ハースト(1965-)は、広告業界が見いだした悪名高きロンドンのアーティストだが、羊を半分に切ってホルマリン漬けにしたものを展示する、こんなことを彼は行なっている。

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いっぽう、現代芸術では、いま美術館も大きく変わろうとしている。
芸術作品を見る場所としての美術館ではなく、鑑賞者が美術館やギャラリーの一部になるといったところが出てきた。

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こんなふうに、とても不思議なかたちでアートやデザインが、産業、商業の世界に取り入れられてきている。

最近、アート思考といったコンセプトも重視されている。あるクリエイティブディレクターがこんなことを言っていた。
「いまのアートというのは、生活が豊かな人のためにできているような気がする」
たしかにアートは、ビジネスリーダーにとってさえ非常にトレンディなものかもしれないけれど、歴史的観点で見てみると、「いったいなんのためのアートなのか」と考えさせられる。
この問いに答えや結論はもとよりないけれども、美そのものは目的を持っていないために、さまざまなかたちでその顔や姿を変えながら使われてきた、という歴史がある。しかし、いま単に美を意味あるものして称賛する、といった現象以上に、アートが持ち続けてきたパワーが重要かな、と思う。そこにデザインが登場する。


◇ デザインは限定された創造

イタリアのデザイン企業アレッシィの社長、アルベルト・アレッシィは、デザインの役割はアートと産業の調停だと言った。
デザインは、アートを人間の生活における美的経験価値として、ビジネスやテクノロジーと調和しつつ、実現するというのだ。

これはまさにデミウルゴス(demiourgos)の力である。
デミウルゴスとは、プラトンの対話篇『ティマイオス』に登場する世界をつくる神である。すなわち「制作者」を意味する。この世界を制作する神は、旧約聖書の無から有をつくるような創造神ではない。デミウルゴスは「職人・工匠・建築家」といった意味にもとらえられる。すなわち物質世界を創造する「造物主」である。

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デミウルゴスは、最高神(Supreme Being)に従属し、プラトンのいう永遠不変のイデアを手本とし、イデアを受肉する素材を使って、世界を創造したとされる超自然的存在である。
ときとして悪の創始者とみなされることもある。現実界はイデアの似姿(エイコーン)としてデミウルゴスが創造したものである。グノーシス主義においては現実とは悪しきものであり、それを制作したデミウルゴスは悪神である。なんとなく、A Iとイメージが被ってしまう。

いずれにせよ世界の制作(ポイエーシス)は行うが、その役割において限定的なのだ。彼自らは質料を創ることができない。そこで理性の力や知(テクネー)によって質料を治め、善なる、美しいものを創り出すのである。
世界を形成する元型を組み合わせて多様な生命を生みだす、デザインの力をデミウルゴスは表象する。
古代ギリシャではデミウルゴスは「公共のために働く人」(都市型の職業人)を意味するようになった。

デザインの創造は、ゼロからのものではない。何らかのアート的観念を具現化する限定された創造の伝統なのだ。
デザインは、アートを背景に20世紀にきらびやかに登場した。しかし、実はアートより古いものかもしれない。(つづく)


紺野 登 :Noboru Konno
多摩大学大学院(経営情報学研究科)教授。エコシスラボ代表、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授、博士(学術)。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) Chairperson、一般社団法人Futurte Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事。デザイン経営、知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広める。著書に『構想力の方法論』(日経BP、18年)、『イノベーターになる』(日本経済新聞出版社、18年)、『イノベーション全書』(東洋経済新報社、20年)他、野中郁次郎氏との共著に『知識創造経営のプリンシプル』(東洋経済新報社、12年) 、『美徳の経営』(NTT出版、07年)などがある。
Edited by:青の時 Blue Moment Publishing

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