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【短編小説】桜

桜が咲く季節になると、必ず訪れてしまうのが、家の窓から見える川沿いの桜並木だった。出店などが出るわけでもなく、ただ、桜並木の下を歩くだけ。夜にライトアップされるわけでもないし、近くに街灯もないから、夜になったら、逆に暗くて、桜など全く見えないだろう。いや、月の綺麗な夜であれば、見られるかもしれないけど。

土手はかなり急なので、シートを引いて、皆で花見などもできない。ただ、川沿いの砂利道を歩いて、桜を眺めるだけ。おかげで花見に来る人も多くなく、時間さえあれば、いくらでも見ていられる。立っているのに疲れたら、家に帰ればいいのだから、お手軽だった。

昔と変わったことといえば、自分が持っている飲み物が、お茶やジュースの類から、缶ビールやチューハイになったことくらいか。

今年は桜が咲くのが、例年より早いらしい。
だから、日が差さないと、空気は結構肌寒かった。本来ならもっと暖かい時に来るべきだが、来週の土日には散り始めるかもと報道されている。花見をするなら今日しかないだろう。幸い、アルコールのおかげで、体はポカポカと温かさを感じている。

そんな桜の木の下で、川側に身を乗り出して、手に持ったカメラのファインダーを見ている女性がいた。後ろから驚かせたら、足を滑らせて川に落ちるんじゃないかレベルで、かなり危ない。

僕は彼女に駆け寄って、その肩を後ろから軽く叩いた。一緒に「危ないよ。」と声をかける。
「ぴゃっ。」とよく分からない声をあげて、彼女がカメラから目を外してこちらを見てくる。こちらの姿を認めると、その表情を崩した。

「三浦くん。久しぶり。」
「まぁ、毎年のことだけど、久しぶり。」

幼い頃から友達である長谷部は、毎年のようにこの桜並木のところに来て、写真を撮っている。単なる趣味だと言っていたが、SNSなどで様子を見る限り、副業っぽい扱いになっているらしい。
趣味でお金が稼げるなんて、羨ましいことだ。

僕もそれを知っているから、毎年土日祝日にこの桜並木に足を運んでいる。今のところ、毎年彼女には会えている。かといって、会ってその場で話をして、それで終わるのだから、彼女との関係が変わったり、進展したりするわけでもない。

僕は、彼女とはずっと付き合っていたかった。
だから、恋人ではなく、友達の立場を望む。
ここで、自分の淡い気持ちを口にして、この関係を深くすることを望まない。万が一、恋人になったとして、必ず別れが訪れる。別れたら、もう彼女に出会うこともないだろうし、連絡を取り合うことも多分ない。
このように桜並木で会ったとして、視線を交わしても声をかけあうことはないだろう。

僕はわざと自分の気持ちから目を背ける。意識しなければ、寂しいと感じることもない。

「今年も無事に会えたから、2人の写真撮っておこうか?」
「いいよ。どこで撮る?」
「それはもちろん、いつもの桜の木の下でしょ?」
彼女はそう言って、僕の手を掴んで引いた。

実はそのように手を掴まれること自体、意識してしまいそうになるのに、彼女は機嫌よさそうに鼻歌を歌いながら、足を進める。
時々こちらを向いて微笑む彼女を見て、全く変わらないなと思って、安心するというか、少し苦い気持ちになる。不自然に意識する自分と、まったくそんなことを感じていない彼女。

桜並木の中で、一本だけ、他のよりも前に植えられたと思われる、より幹の太い立派な桜がある。僕たちはいつもその桜の木の下で、スナップを撮っている。撮ったスナップは彼女が現像して、ちゃんと自分に郵送してきてくれる。自分の家の本棚には、その写真だけを集めたアルバムがあるほど。もう何枚撮ってきただろう。そして、あと何枚同じように写真を撮れるのか。

「じゃあ、撮るよ。」
幹に背中を預け、2人で並んで、カメラのレンズの方を向く。カメラは彼女が持っているリモコンでシャッターを切ってくれる。三脚などのセッティングは全て彼女がした。僕は彼女の指示に従って、カメラを見るだけだ。

僕は斜め下の彼女に視線を落とす。艶のある髪に触れたくなって、彼女に少しだけ自分の頬を寄せた。多分これくらいなら、彼女も気づかないだろう。後で現像した時に気づかれるかもしれないけど、彼女なら何も思わずにスルーするだろうし。

鼻先を桜の香りがかすめた。頭の上で咲いている桜、ではないだろう。彼女の使っているシャンプーが桜の香りなのかもしれない。それを確かめたくて、より顔を近づけようとしたら、突然こちらを見上げた彼女と、ばっちり視線が合ってしまった。

「・・もう、写真撮り終わった?」
「・・終わった。」

そう言った彼女の顔が赤くなる。今までに見たことのない彼女の表情を間近に見て、僕の頬にも熱が集まる感覚があった。お互いに顔を赤くして、見つめ合っている光景。このまま時が止まってしまえばいいのに、とすら思った。

彼女が持っているリモコンを取り上げる。切られたシャッター音。
その写真に何が写ったかは、2人だけの秘密だ。


花言葉:精神の美、優美な女性
4月1日、4月9日、4月21日の誕生花

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