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【短編小説】コスモス

ずっと家にこもっているのも良くないと、日課の散歩をしていると、近くの田んぼの一角がコスモス畑になっていた。

そういえば、コスモスは彼女が好きな花だ。

コスモスは、冬は越せないし、花が終わると直ぐに枯れてしまって、姿が見えなくなる。そして、その茎や葉は細く、風に吹かれてふわふわと体を揺らしている様子は彼女そっくりだった。

足を止めて、飽きることなく、その様子を見ていると、この地の持ち主だという人に、よければ好きなだけ摘んで持って帰っていいと、声をかけられた。

別にこのコスモスは売り物でもなく、休耕田に植えているだけのものであり、後々、土と一緒に耕してしまうらしい。人の目を楽しませるだけでなく、ちゃんと肥料としても役立っているということに感心してしまう。

今の自分とは大違いだ。

転職先の職場になじめず、しばらくすると、朝起きられなくなった。起きようと心は思うのに、体が動かない。突発的に音が聞こえなくなったりもした。病院へ行ったら、適応障害と診断され、退職を勧められた。

幸い仕事ばかりで、給料を使う時間もなく、それなりに貯金もあったので、思い切って無職になった。病院には定期的に行っているが、治るのに時間がかかる。よく効く薬があるわけでもない。心の奥底には、いつまでもこの生活を続けてはいられないという不安もある。ただ、一番の原因となっていた仕事(もしくは職場)を遠ざけたのだから、改善はするはずだ。

「なんなら全部持って行ってもいい。」と言われたが、まず無理なので、自分の手に抱えられるくらいのコスモスを摘んでみた。それでも、目の前のコスモスの数は減ったようには見えない。

「おにいさん、顔が見えないね。」と笑われた。


困ったなと思ったのは、コスモスと家に帰ってきた時だ。
コスモスをいける花瓶が、家にはなかった。
仕方がないので、唯一あったバケツに水を張り、そこにコスモスを入れる。
情緒も何もあったものじゃない。

間違って蹴ってしまうことのないよう、ベランダに面した窓際に、そのバケツを置いた。バケツに盛られ、窓から入る風にユラユラと揺れるコスモスを見ていると、急速に眠くなってきて、目を閉じる。

室内に鳴り響いたチャイムの音で、目が覚めた。辺りはすっかり暗くなっている。いくら何でも寝すぎだ。
慌てて電気をつけ、インターフォンに出ることなく、玄関に向かう。自分を訪ねてくる人など限られた人しかいない。

「もしかして、もう寝てた?」
彼女は、玄関で自分の姿を見るなり、そう告げた。
「寝てたけど、起こしてくれて助かった。」
「そう?それはよかった。」
「でも、今日は来る予定じゃなかったよね?」
「急に顔が見たくなっただけ。」

玄関ドアを開けて、彼女を通す。彼女は、レジ袋を持ったまま、リビングに向かって、窓際でしゃがみ込んだ。

「どうしたの?これ」
「・・摘んでいいと言われたから。」

彼女に今日あった出来事を話すと、彼女は「心理テストみたいだね。」と言って笑った。

「心理テスト?」
「一面の花畑から、好きなだけ花を摘んで持って帰っていいと言われました。貴方はどのくらい持ち帰りますか?っていう奴。」
「まさしく、今日の俺だな。」
「で、こんなに抱えるほど持ち帰ってきたんだ?」
「家まで近かったし、コスモス好きって聞いてたから、喜ぶかなと思って。」

彼女は、背後にいた自分に飛びつくと、背中に回した腕に力を込めた。

「喜んでくれた?」
「・・うん、とっても嬉しい。」
「もしよかったら、今度一緒に見に行こう。そんなに広くはないし、他に見るべき物もないけど。それに・・コスモスを持って帰れるかどうかも分からないけど。」

彼女は自分の言葉にコクコクと頷いた。

「さすがに夜になると冷えるな。窓、閉めるよ。」
「あ、ごめんね。気が付かなくて。」
「いいよ。今日も仕事、大変だったんだろ?」
「・・そんなことないよ。」
「俺に会いたがる時は、仕事で嫌なことがあった時だと思ったけど。」

そう言うと、彼女は口を噤んで、自分から離れた。

「で、さっきの話だけど。」
「なあに?」
「心理テストの答えを聞きたい。」
「ああ、あれは。」
「ちょっと、待って。その前に。涼香すずかなら、どう答える?」
「私は、答えを知ってるんだけど?」

彼女が怪訝な顔をして、俺のことを見上げる。

「答えを知った上で、何て答えるのか聞きたい。」
「・・ゆずると同じように、抱えきれないくらいたくさん。」
「俺と同じくらい?」
「そう。」
「・・じゃあ、答えは?」

彼女は、「先に夕飯にしようか。」と話を逸らしたので、夜寝る前に聞き出そうと心に決める。

彼女が夕飯の準備をするのを手伝いながら、いつもながらの手際の良さに感心していると、視線の合った彼女がフワッと微笑む。

弱い自分の側にいてくれる彼女は、多分思っている以上に強い。その彼女の拠り所に少しでもなれればと思う。

見た目、風に揺られ、不安定そうに見えるコスモスも、実際、やせた土地でも日当たりと水はけが良ければ、力強く生長していくのだから。

コスモス(秋桜)
花言葉:調和、謙虚、乙女の純真
9月27日誕生花

心理テストの答えは「思い人への愛情の深さ度合い」です。

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