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【連作短編】まだ気持ちを残している。翔琉2

彼と別れて、足を運ぶことが少なくなった駅ビルのギャラリーから、珍しく連絡があった。
駅ビルからそのギャラリーが撤退してしまうらしい。
私は、ギャラリーで同じ画家の絵を3枚購入している。その内1枚は自宅の部屋に飾って、毎日のように眺めているが、2枚はそれよりも大きく、自宅に飾るスペースはないので、ギャラリーの倉庫に預かってもらっていた。

ギャラリーを運営していた会社自体も、規模を縮小するとかで、預けていた2枚の絵も引き取ってほしいと言われた。飾るスペースはないので、保管しておくしかないのだが、倉庫自体がなくなってしまうと言われれば仕方がない。
私は、その絵の引き取りについて話すために、数か月ぶりにギャラリーを訪れた。

「ヒトミちゃん。久しぶりだね?」
「はい。お久しぶりです。ナオコさん。」
ギャラリーの絵の前に置かれた椅子に座っていると、私を担当してくれている店員のナオコさんが、お茶と書類をテーブルに置きながら、私に話しかけた。
「急に呼び出しちゃってごめんね。」
「いえ、大丈夫です。・・ここ、なくなってしまうんですね。」

「ちょうどテナント契約の更新が切れる時期だったんだよね。あわせて会社も規模縮小するから、ここはお終いにしようとなったみたい。」
「駅ビルは・・テナント料とかも高そうですしね?」
「そうなんだよね。借りていた倉庫も引き払うから、絵も預かれなくなるし。お客さん皆に連絡を取らないといけないから、今大変なんだよ。」
ナオコさんはそう言うが、彼女の様子からは全く大変そうな様子は見受けられない。

彼女は私の前に伝票を2枚置いた。
「配送料はこちらでもちろん持つから。この伝票に送り先の住所と連絡先を書いてほしいの。」
「わかりました。」
私は、伝票に自宅の住所を記載する。その様子を見ながら、ナオコさんが口を開く。

「実は、ギャラリーがなくなるから、お別れ会をしようって話が出てるの。うちの社員とお客さんを集めて。ヒトミちゃんも参加しない?場所はこの駅近くになると思う。」
「・・ちょっと、考えさせてください。」
私は伝票を書く手を止めた。
お客さんを集めてということは、彼が参加するかもしれないということだ。

「ナオコさん。ここ最近、松島さんは来ていますか?」
「カケル君?来てるよ。このところは仕事が忙しいらしいから、頻度は減ってるけど。」
「そうですか。」
私と付き合う前、彼は、このギャラリーに頻繁に足を運んでいたと聞いている。お金を使わなくていいし、好きな絵だけを見ている時間は、とても贅沢ぜいたくだとも言っていたっけ。

私は逆にこのギャラリーには、用がある時か、物凄く気分が落ち込んでいる時しか来なかった。そして、彼と別れてからは、ますます足が遠のいた。彼と顔を合わせたくなかったからだ。
もう数か月たっているのに、まだ彼に気持ちを残している私は、どんな顔をして彼に会えばいいか分からない。

「松島さんは・・そのお別れ会には参加しますか?」
「仕事が忙しくて無理みたい。やっぱり顔見知りの人がいた方が、ヒトミちゃんも参加しやすいよね。」
ナオコさんが困ったような表情を浮かべる。
このギャラリーは、一度絵を購入したお客さんには、担当の人がつく。担当の人が休みの時は、他の店員さんとも話をするのだが、お客さん同士での交流会などは今まで開かれたことはなかった。だから、私は彼以外のお客さんは知らない。

「いえ、参加します。」
私がそう答えると、ナオコさんは驚いたように口を開けたまま、私の顔を見つめた。


彼、松島翔琉かけるは、このギャラリーで同じ絵を購入したということで、ナオコさんに紹介された人だ。同じ絵を好きだと思い、購入したというだけで、きっと私は彼に惹かれてしまったのだと思う。

その絵を彼が自宅でどのように飾っているのかが気になった。彼の自宅に行きたいと言い出したのは私だ。私が考えなしだった。
いくら何でも、男性の一人暮らしの自宅に、女性が一人で行ってはいけなかった。それもお互いに、同じ絵を持っているという共通点を見出していた状態で。

私達はそのまま関係を持ち、恋人として付き合い始めた。
休みの日は、大抵会っていたし、お互いに好きだと感じるものが同じことも多くて、一緒にいるのはとても楽しく、安心できた。
そして、彼も私と同じように感じてくれていると、信じていた。
彼から別れを切り出される、あの日までは。

「好きな人ができたんだ。」
目の前で、苦しそうに告白する彼の言葉を、私は黙って聞いていた。
「だから、もう史美ひとみとは付き合えない。」
そういう彼は、私には今にも泣き出しそうに見えた。私は、彼を困らせたくはなかった。だから、私は笑って、彼と別れなくちゃいけない。
「そっか。今までありがとう。」

彼がハッとしたように、目を見開く。私は、彼の眼にはちゃんと笑っているように見えるだろうか。

私は、彼の2歳上だ。2歳差なんて大した違いはないと思うかもしれないけど、私はことあるごとにその年齢差を強く感じていた。会話の中に感じる違和感。彼が学生時代の話をすると、その話に出てくる女友達に小さく嫉妬しっとし、その時側にいなかった私に寂しさを覚える。
自分でもおろかだと思う。そんな違和感や不安、嫉妬しっと、寂しさを、彼にちゃんと伝えていればよかったのだ。でも、結局伝えられないまま。表面上問題の無いようにつくろっても、彼には分かってしまったんだろう。

それとも、最初から付き合っていなかったら、私達は今でも友達としては共にあれただろうか?
「友達でいることはできないか?」
私の考えを読んだかのように、彼から問われた。はい。と応えてしまいたい。そうすれば、彼の側にはいられるのだから。
でも、彼を異性として好きになってしまい、今別れを告げられた私に、その問いは残酷ざんこくだった。

「そんな残酷ざんこくなことは言わないで。」
私は思った通りのことを彼に告げた。泣くのはえられたし、笑みもなんとか保てた。私は頑張った。
そんな私の様子を見て、彼もそれ以上私に友達でいることを求めようとはしなかった。
あれから数か月。私は彼と連絡は取っていない。もちろん、彼からも連絡は来なかった。


お別れ会は、駅近くの居酒屋というかスナックで行われた。スナックのママと、ギャラリー運営会社の責任者が知り合いで、今日は貸し切りにしてもらったと話していた。
食事もお酒も食べ放題、飲み放題で、カラオケも使い放題らしい。
と言っても、ナオコさん以外に知り合いのいない私は、周りの人の話相手、もっぱら聞く立場に落ち着いて、食事やお酒を口にしていた。

絵を買う人には、若い人は少ないのかもしれない。特にお客さんの中に自分と同年代と思われる女性は誰もいない。そもそも女性自体いない。店員の人の方が女性は多いと思われた。お客さんも合コン代わりにこの会に来ているわけではないので、話しかけてはくれるが、口説かれはしない。
お別れ会が終わるまでは、居座るつもりだった。お酒はあまり飲めないが、お酒を人が飲むのを見るのは好きだった。

「すみません。遅くなりました。」
お別れ会も、もうお開きになるのではないかという時刻に、スナックの入口の扉を開けて、店内に入ってくる人物がいた。
聞き覚えのある声に、顔を向けた私は、そのまま動きを止める。
「松島くん。遅いよ。」
「もう、お別れ会終わる時間になるし。」
彼と顔見知りのギャラリーの店員の人が、声をかける。

私は向かいに座っていたナオコさんの方を見ると、ナオコさんも彼を見て、わずかに目を見開いた。彼女にとっても想定外だったようだ。
「仕事終わらせて真っすぐ来たんですけど、この時間になってしまって。」
「何か飲む?」
「じゃあ、モスコミュールください。」
彼はそう答えると、そのまま私のところまで歩いてきて、隣に腰を下ろした。

「久しぶり。」
「・・来ないって聞いてたんだけど。」
「来ないって言っておかないと、君が参加しないと思ったから。」
私が彼の方を振り向くと、彼は目に真剣な色をたたえながら、笑みを浮かべるという器用なことをやってのけた。
「俺は君に会いたかった。」
私が何も答えられないでいると、彼は自分の手元に来たモスコミュールのグラスを持ち上げる。

「まずは、乾杯じゃない?」
彼は手に持ったグラスを私の方に差し出した。私は軽く辺りを見回したが、他の人は、それぞれの会話やお酒に夢中になっていて、遅れてやってきた彼にはもう注意を払っていない。ナオコさんも、彼が私のところに来たのを見届けて、隣の人たちとの会話に戻ってしまっている。
私は軽く息を吐くと、自分のグラスを持ち上げた。
「数ヵ月ぶりの再会に。」
「乾杯。」
合わせたグラスが、澄んだ音をたてた。

続きに当たる関連短編を書いています。

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