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「患者が治らないのは自分のせい」というのは傲慢っていう話

こんにちは。理学療法士のこうやうです。

今回は

自責思考

について書いていきたいと思います。

何かトラブルがあった際に

自分に何か問題がなかったかを内省できるのは

非常に重要です。

特に臨床家は患者の痛みが治らない際に  

自分の技術不足

というように捉えます。

これについて私見ではありますが

非常に傲慢だと思うのです。

なぜそう思うのか

私なりに書かせていただきますので

よろしくお願いいたします。

それでは始めます。


「患者の痛みが治らない」を自分のせいと捉えるのが

なぜ傲慢なのかというと

痛みは複雑だから

です。

もう見飽きたぐらいに散々言っていますが

言っても理解しようとしない人は理解しないので

何度でも言います。

痛みは複雑です。

なぜこれが傲慢といえるのか

簡単に2つ挙げると

①セラピストのやっていることはその患者にとってのほんの少しの要素にすぎないから

②複雑だからこそさまざまなアプローチがあるから

です。


①についてですが

私の働いている自費リハでは90分で、

保険内リハだと20分が

施術時間になってきます。

だいたいこれを週1回の頻度でやっていくわけですが

90分だとしても10080分(1週間)のうちなわけですから

そこで与える影響というのはたかが知れています。

この時間で強烈な刺激、情報量を送り

疼痛なく動けるという神経ネットワークを構築し

改善させていくという流れにはなるのですが

ただ時間配分で見ても

私たちのやっていることって本当にちっぽけなんですよね。

仮に症状が良くなったとしても

施術からの相互関係による波及によって

よくなってる可能性もありますが

人は1週間でさまざまな経験をするので

人間関係や社会的評価など

さまざまな環境の変化があるわけです。

と考えると

自分の施術だけで患者をよくするのは

不可能なんですよね。

勝手にいろいろな因子が絡まってくるわけなので

何が影響したかは全く予測がつかないんですよ。

だからこそ

自分が患者を治した

って本当の意味で言えることはないんじゃないかと思います。



②に関しては

文字通りで

痛みは複雑であるが故に
さまざまな方法があるのだから
落ち込む前に実践と提案をし続けろ

ってことです。

徒手療法だけが選択肢ではなく

疼痛の教育、栄養、運動療法、視覚など

選択肢は無数にあります。

日常生活に指導を入れるだけで変わる場合もあるのです。

ですからその可能性というのを

少しでも汲み取るのが重要だと思うのです。

自分のせいと言って臨床技術に依存してしまうのは

この可能性を潰すことと同義だと思うのです。

ですから

自分のせいとかというより

患者さんに対して助言してあげたほうがいいんじゃないか

というように感じます。

そもそもその自責思考が患者に伝わると

患者自身で努力しようとしません。

ですが痛みはその患者さんに関わるすべての環境から

創発されて作り出されるので

患者さん自身が変わった方が早いのです。

ですからあらゆる可能性を提案し続けるためにも

「自分のせい」

という発言は控えた方がメリットがあるのではないかと思います。



ストレングスコーチの河森直紀さんが

言っていましたが

私の責任だ!というのは無責任 

というのは的を射ている部分もあると思います。

そう思う前に痛みにつながる要因というのを

模索し続けるのはいかがでしょうか?


本日はこれで以上です。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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