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球と「間」

昨日は水曜太極拳の最終稽古会。みんな夜の十一時近くまで楽しく練り練り。

一年また一年と、よく頑張りますね。
皆さんの上達を感じています。

最近は、二十年以上の長い付き合いで、縁が深いなあと感じる生徒さんには「あんたの技は上手いけど詰まらん」とか「ヘタクソだけどその調子で」とか「腰が引けてるから、そんなふうに幾ら稽古しても駄目」とか、感じるままを言わせて貰うようにしています。

受け入れる素地がある方なら、二十年未満の方でも言う時もありますが、基本的に「客気」「礼節」は大事だと思う方なので、少なくとも十年くらいは、相手が撃ちやすい球しか抛らないようにしたいと思っています。
つまり一個のありのままの人としてでなく、教育者として対した方が師弟共に良いと考えています。

しかしそれ以上、私を通して斯道を学ぶのならば、私の性格や見ている方向、癖や雰囲気等等、等身大の人として向かい合った上ででないと良い稽古になりません。
師に気を遣わせ口ごもらせてしまうなら、その人の境涯は深まることも高まることも無いでしょう。

目を合わせる、息をあわせる、気を合わせる、この稽古が必要になります。

私の師は真っ直ぐ正直な方でしたので、なかなか気を許すことは有りませんでしたが、一度気を許すと、途端に剛速球や変化球が飛んできます。近くに居る人はなかなか続かず去っていく方も少なくありませんでした。
私も一時期は一番近くでお仕えしながら学んでいたので、傷つくことも多く、大の男がしくしく泣くことすらありました。
でも、私はこの技に理屈でない不思議な魅力を感じていましたし、師にもなにか深い御縁を感じていたので、(換えのきかない御方)として、師の伝えたいことを理解しよう、師と「合」して行こうと向かい合う努力を怠りませんでした。
結果四十歳の時、この技の全伝を授かることが出来ました。

この技を得た「和合」への経験はこの技だけに終わらず、それ以前に学んだものも、それ以降に身に就けた技も、結果的に全てを活かす「基」となったのは、思いも寄らない事でした。今になると一切無駄は無かったなあ……と思えますが、当時は将来の不安に怯えながらも、ひたすら脇目も振らずに頑張るだけでした。

今私は五十になって、今だ自ら良師に学びつつ、人様に技術を教えています。
技を教えることも、十九から始まってお陰様で三十一年めになりました。稽古に来てくれる方の中には三十年以上通って来られる方もいてくれて、本当に有り難いなあと感謝しております。

そんな中、私も成長して、ずいぶん球の投げ分けが出来るようになって来ました。考える以前に、皮膚感覚で「この人にはこんな球が良いかな」「この球はきつすぎて嫌になっちゃうな」「今はこんな球くらい平気にならないと、後が苦労するだろうな」などと、思うより早く球が抛られます。

中には酷い悪送球をしたり、間が悪くデッドボールになることも。しかし、総じて言えるのは私が色々な師匠達に学ぶことで見えてきた「合わせ」「間」をお伝えしたいと願う一心からの事ですので、決してイジワルで言ってるわけではありませんから、悪しからずお付き合い下さいね、頑張ってね、と言うこてでした😁

写真は口直しに甘〜いもの🍡にしときました。私は修業の旅に出ています。車窓は真っ白になってきました❄

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