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読書の記録 多和田葉子『献灯使』

 最近知り合った年配の男性に「好きな作家は多和田葉子さんです」と話したら「多和田葉子なんて日本で千人も読んでないんとちゃいますか」とおっしゃいまして、「そんなことは無いと思いますけど」と言いつつ、それはそれで「なんかええやん」と思ってしまった僕。

 三年ほど前に同じ職場で働く女性が「多和田葉子さんってちょっと難しいから私、わからなくって」と言われたときは「ああ、わかります」と言ってしまうと「まあ、俺はわかるけどな」と見下した感じになってしまわないかと不安になり、愛想笑いして終わった記憶が蘇る。

 実際、僕だってどのくらい「わかっている」のかわかりません。わからなくても面白いものは面白い。多和田葉子さんの小説は、よくわからなくてもなんか「わかるぞ」と思わせてくれる。それは「多和田葉子がわかる俺」に酔っちゃいたい自分がそうさせるのかもしれない。同じような感覚で大江健三郎を好きな人、村上春樹が好きな人、きっといるんじゃないかと思う。それを否定するのは実はカッコ悪い気がする。僕は違う!と思う自分もいるし否定しきれない自分もいる。なんにせよ、背伸びしないと背は伸びない。近頃みんな背伸びをしなくなった気がする。

 震災から数年、今よりも少し未来が舞台で、この世界ではおじいおばあが百歳を越えてもますます元気でなかなか死なず、反対に子供たちは常に微熱がある状態だから熱を計ることが禁じられていたりする、ずっと不健康なので、百歳を越えている義郎爺さんは孫の無名を常に気遣いながら暮らしています。こういう世界が当然のこととして話が展開していきます。おかしな設定でも、それが当たり前の世界、というのは、実は僕たちの生きる現実世界だってそうなのかもしれないという気もします。

 拾い上げればキリがないくらいに物語の中に核心を突く言葉が散りばめられ、そうかと思えば「御婦裸淫」(オフライン)なんていう絶妙な言葉遊びも出てきます。多和田葉子さんの小説を読むと言葉にとても敏感になるし、世の中の不条理について「やっぱりおかしいよな」となる。自分には多和田葉子という心強い味方がいると思える。日本で千人も読者がいないらしいけど。

 『献灯使』は表題作を含め、東日本大震災後の未来を描いた「震災後文学」全5編が収録されていて、こういうのをディストピアというのかはわかりませんが仮にこれらがディストピアだというのなら、今僕らの生きている世界も相当なディストピアではないかと考え込んでしまう作品ばかりです。それでいて、変に説教くさくなく、巧みに言葉遊びをしながら物語を紡いでいくので、言葉好きな僕としては、妙な爽快感があって、読後、実に気持ちいいのです。結局、何が書いてあるんかよくわからなかったりするのも、読者を信頼して、解釈を委ねているということのような気もする。なんにせよ、僕は多和田葉子さんが好きです。

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