移動する事、集まる事について

はじめに

移動する事や集まる事の規制や自粛により、生活するのに困っている人やこれからの将来に不安を感じている人はとても多いと思う。

自分は幸いにも減収等もなく(むしろ仕事は今忙しくなるような職種)、私生活でも1人で楽しんでいることが多いので個人的にダメージはない。

ダメージのない人間だからこそ困っている人を助けたいと思うが、自分に人を助けられる程の力はなく、無力さを感じる日々が過ぎ去っている。

その中で、自分にできる数少ないことの1つ(できてると言えるほどのものじゃないが)、少し前から始めていた「文章を書く」ことで、1人でも多く誰かの暇つぶしや会話のネタ、これからを考える材料になればと思い、書きます。

では、今回はコロナウイルス感染拡大によって今最も規制、自粛されている2つの行動、移動する事と集まる事について。

リチウムイオン電池と世の中の仕組み

先日(いつだったかは覚えてない)、NHKの『チコちゃんに叱られる』でスマホ等に使われているリチウムイオン電池の仕組みについてやっていたのをたまたま観た。その時紹介されていた内容がうろ覚えだが簡単に説明するとこんな感じだった。

充電されると正極にたくさんあるリチウムが負極に移動し、充電が解除されると負極から正極へと移動を始める。この時の移動が電力(エネルギー)を生み出し、外でスマホなどをコードにつながなくても使えるというわけだ。そして、正極に全て移動しきってしまった状態が電池切れ。

これを観た時「うわぁ、リチウムイオン電池の仕組って世の中と一緒じゃん」と思った。

ちょっとズレるが簡単に例えると、正極を家、負極を職場だとする。多くの人は基本的に家(正極)から職場(負極)に行ったときに仕事をして、その時に社会的なエネルギーとなる。実際には、職場(負極)でエネルギーを発揮するので移動中にエネルギーが発生するリチウムイオン電池とは全く同じではないが、移動がないと生まれないエネルギーという点で共通している。

移動する事が生み出すエネルギー

移動がないと生まれないものはそれだけではない。よくよく思い返してみると、地球の歴史は全て移動が関わっている。

大きなところで例えるとプレートや水分の移動(雲になって別の場所で雨が降る、川が山を削る等)がなければ今の地形はできていなかったわけだし、植物も種子を風(空気の移動)や鳥や虫の動物による移動で繁殖してきた。このように思い返すと移動の例えは無限のように出てくる。

今暮らしている社会も移動の歴史の積み重ねだ。人や物、情報の移動が多様な文化を生み出し、それがまた移動して新たな文化に発展する。そうすることで人は文化や文明を発展させてきた。

しかし、その移動が今回コロナウイルスの感染拡大に大きく助力してしまった。そして、今現在もなおコロナウイルスは人類に猛威を振るい続けている。移動する事で生まれるエネルギーは人類にとって良いことばかりではないことを思い知らされた。
だからこそ移動する事で生まれるエネルギー、とりわけ今はウイルスの感染力の大きさを自覚するようになり、そのエネルギーを抑えるべく移動の制限や自粛している。

集まる事が生み出すエネルギー

今回、移動だけだはなく集まるという行為も同じくらい制限、自粛されている。なぜなら、集まるという事も大きなエネルギーを生み出すからだ。誰もがご存知のようにコロナに関して言えば、集まる人の数が多ければ多いほど感染拡大力は増す。人間社会においても集まるという行為は数が大きければ大きいほどエネルギーを増す。

投票だって、デモだってそうだし、ヒーローだって集まる(最近マーベルシリーズ観始めた)。それは普段から大きな力を持って大きな顔をしている権力者達が恐れるほどのエネルギーである。

例えば、昨年の3月から続いている香港でのデモで権力者たちが昨年10月に覆面禁止法を議会を通さずに施行した。あの法律の適用にはデモ行進はもちろん、認可、非認可に関わらず集会全般がある。更に、今年3月29日にはコロナ感染拡大防止という名目で5人以上公の場で集まる事を禁止した集会禁止措置をとった。ただ、こういったことは香港だけでなくいつの時代もどの場所でも起こっていた事である。

ボリビアのコチャバンバ水紛争の時も3人以上集まる事を禁止し、市民に門限をつけた。(そういえば、コロナ騒動の裏で日本では水道の水に対して今より低い水質基準を適用しようとしているし、種子法改悪により国民の食生活を悪質なものにしようとしている。本当に怖い国だよね。)

日本国内でも昔占領したばかりの地域で反乱を恐れた大名等のお偉いさんたちがその地域の武士が2人以上で会話する事を禁止したりした。

これは常に状況把握したい、把握できていれば恐くないからである。だから、大抵のお城は高いところにあって町を見下ろせるし、そうでなくても建物自体が高くてより遠くまでの状況を把握できるようになっている。知らない、分からないことは恐怖。まさにコロナもよく分かっていないから恐怖なのである。

制限による変化、コロナと5Gの時代

ここ最近は体を移動して直接集まらなくても、簡単に情報や意見を集めることが可能で、それを可能にしたのは言うまでもなくSNSである。移動する事や集まる事を制限された今だからこそ、SNSの使い方が生活に大きく関わってきているし、大きな力として働いている。

デモをやらなくたって、SNSに多くの意見(批判の声)が集まることで牛肉券(怒&笑)だって10万円に変わった。Web飲みや動画の生配信等の新たな楽しみ方だって広がっている。そんな風にSNSの持つ力がだんだん増えてきているし、これからも増えていくだろう。
このような変化は植物がその場を動けないから、自分自身の体質、性質を変えて生きていくような変化と似ているかもしれない。

SNSによる情報の移動はこれまでもあったが、今までよりテレワークやWeb飲み、動画の生配信が増えた事で、映像や音声としての情報が格段に増えた。それは文章や画像だけよりもはるかに情報量が大きい。だからこそコロナ以降、5Gがより注目されだすだろう。

きっと多くの人が今テレワークや動画の生配信などで映像や音声の乱れ、遅延等にイライラしている。
そんなお悩みを解決するべく、ちょうどいいタイミングで、自分の時代がやってくると言わんばかりに誇らしげに、ヒーローのようにやってきた5G(妄想)。

一部期待外れという声もある5Gだが、おそらく今後需要は高まり(もう高まっているのか?)、5Gになることで今よりも映像や音声の情報を時間差なく、よりスムーズに交わせるようになっていくだろう。とても便利な技術。

でもそれは、大名が高いお城から人々の行動を把握したように、皆がどこにいて、何をしているのか等の情報もすぐにわかっちゃう技術って事。

5Gが普及して便利になると都合がいいのは自分達だけではないって事をいつも頭に入れておきたい。

コロナ以降の変化

今後、社会では今起こっているような効率化や便利なものがより速い速度で生活に入り込んでくるだろう。

その時、得るものばかりではなく失われるものについてもしっかりと考えながら行動していかないと、取り返しのつかない事になってしまうのではないだろうかと余計な心配をしたり。

より良い方向に向かって発展していくのだろうかと赤子の小指の爪の垢ほどのほんのわずかな希望を持ったり。

いずれにせよ、移動する事と集まる事で発展してきた文化や文明がコロナ収束後どうなっていくのかソワソワ、ワクワクしている。

繰り返しになるが、今後どうなりたいかを考えることも大事だが、今だからこそ1人でも多くの人が今後何を失いたくないかを真剣に考えてほしい。

そうしなければ、きっとコロナによって失ってしまった以上のものを失う事になるから。

あなたが失いたくないものはなんでしょうか。

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