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助け合って生きてきた

グローバル化って言葉に振り回されてる人を未だに見かける

グローバル化は
ローカルが盤石であってはじめて成立する
ローカルを無視してグローバル化したら
まさに形だけという状態になる

例えば
英語が話せるだけで何もできない
って状態

日本で日本語話せますよー!と自信満々に言われても
へー(゜゜)
で?

ってのと同じ

むしろ英語なんて話せなかったとしても
能登国で輪島塗なんかの漆器を手で創る事ができる職人さんを見るため聞くため
外国人が訪れてきてる

大事な事は
表面的な要素よりも
その人がどんな価値を創造できるか?
という視点やと考える

しかも現在は
Google翻訳がすごすぎる
今後益々拡大していくと予想される中で

とりあえず英語話せるようになる!!

ってのは
少しだけ気になる思考ではある

もちろんここに明確な自分の意思があれば
なんの問題もない

ただただかっこいい!使用したい!
通訳の仕事がしたい
英語を話せるようになり英語の教師をしたい

と、
まあ自分がどうしても英語を話せるようになりたい!
という誰が抑制してもとめれないエネルギーがあれば問題はない

まあそういう者は
もうとっくに英語を習得してるやろうと思う

が、
なんの為に英語を勉強するの?
と聞かれただけで
そのエネルギーを無くす程度の者や
明確な意思がない者や
特に理由がない者や
それこそグローバル化やからというワケワカメな状態になってる者なんかは
やはりもう1度

自分の発言と行動の意味を
自分が深堀りする必要があると考える

言語ってのはあくまで
コミュニケーションツールであり
アイテムというだけという本質が抜けてる

思い出してほしい

国に小学校なんてなく
識字率が大半の者がなかった時代の方が
長いってこと

人間ってのは
言語じゃなくとも
職人はモノを創る
農家は作物を創る
武家は技術で戦う
という中身で勝負ができる

コミュニケーションだけならば
非言語で充分可能

あくまで
問われてるのは
その人間が何ができるのか?
という中身

それをすっ飛ばして
ただ英語を話せるようになる事が
グローバル化なんていう風潮は
危険すぎる

もちろん
自分の子供のメインの使用言語として
日本語を使わせたくなくて
最初から英語を使わせて育てる
なんてのはありやと思う

が、もう初等教育を経て
日本語を習得している人間に関しては
言語を見直すよりも
自分の能力を磨いた方がいい

そういうローカルがしっかりしてから
改めてグローバルという言葉が見えてくる

さっさと英語使えて
外人と喋れる事が
グローバル化ではない

という事で
欧米とかグローバル化とか
そういうワケワカメな言葉とかは
自分の中だけでもいいから
徹底的に疑ってみて
自分の中で再定義してみる事が大事かなと

グローバル化ってどういう意味で使ってるんやろ?
ってのが大事

そうやって深堀りしてみれば
グローバル化=英語
とかではない事に気づける

けど
深堀りせずに
グローバル化っていう曖昧なまま
すすめてしまうと
ただただ表面的な事に時間を割いてしまう

という事

言語もお金も
ただのツールでありアイテムというだけ

どちらも崇拝してはいけない

言語もお金もなかった時代に
我々は共に助け合い生きてこれた民なのを
絶対に忘れちゃいけない

大事なのは
言葉やお金ではなく
その人にしかできない能力






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