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思考回路の多様さ(*過激な内容です)

さすがに本日の記事は<人によっては>過激と言えます。
読む方は、心積もりだけしてください。
本質は、思想とは本当に多岐にわたるという話です。

僕は研究者という職業柄、勤務先経験には<刑務所・社会復帰施設・大学・専門学校・病院・サ高住>とまあ多ジャンルがあります。
その中で関わる民族も多岐にわたります。
警察・検察・教授・生徒・受刑者・暴力団・発達障害者・精神疾患患者・高齢者・身体障碍者と様々です。
何が言いたいかというと、
それだけ多様な民族と関わり、環境を経験していくと、この世の深淵に気づくのです。
そして僕が毎度言うように、「自分が無知」である事を常に知れるのです。

さて、
多様性やら、マイノリティを認めていこうとか、ダイバーシティとか。
まあ時代が豊かになり、現在のような<絢爛>を尽くした世になるとそういう概念がでてくるのは自然な事です。
衣食住が間に合っていない世の中では至りにくい思想です。
そんな中、みなさんは<ネクロフィリア>はご存知でしょうか?

ネクロフィリアとは死を愛好することである。
広義では、死という概念そのものを欲し愛するという広いニュアンスの意味
死体に欲情する性的嗜好を指し、 屍姦 、死体性愛、死体愛好とも呼ばれる

死体愛好家の事

有名な<阿部定>が該当するでしょう。
彼女は愛する男性の性器を刃物で切りとり、持ち去った人物で有名です。
そんな彼女は「フェティシズム」と表現される事も多いです。

フェティシズムとは、リヒャルト・フォン・クラフト=エビングが、1886年に自身の著書『性的精神病理』(Psychopathia Sexualis)において初めて使った言葉である。 現代では通常よりも強く性的興奮を引き起こす特定のものや状態を表す言葉として用いられる

俗語なら「フェチ」ですね。
首フェチとか、鎖骨フェチとか、足首フェチとかって言いますが、
広義にはそういった概念も包含しますが、
狭義で言えば、<呪物崇拝。物神崇拝。>の事です。
つまり、極論は「人間の手首」とか「髪の毛」とか
実際によくいるのは「パンティ」とか「靴下」とか。
その人間の1部に興奮を覚える民族の事ですね。
そう、そして阿部定のような「性器」フェチも該当します。

惨劇のあった布団には
「定吉と2人きり」と血で認めてありました。
さらに彼女はこうも表現します。
「やっとこれで2人の愛が永遠となった」と。

という事で、どちらかと言えば彼女は「フェチ」というよりも
「ネクロフィリア」に見られる「死体への愛」の方が強いでしょう。
もっと言えば、「愛する者が、モノ言わぬ死体になった事で永遠の愛が確認できた」という思想でしょう。


もうその者は<浮気>をする事は 絶対に ありませんから。
もう<嘘>をつく事も絶対にありません。
他の女に目移りも絶対にしません。
そう、


彼女は愛す者を、殺害して性器を盗む事によって
永遠に不安を解消し、永遠の愛を手にしたのです。

彼女の思想には「一縷も他者目線」が存在していません。
全て自分の希望・欲望から成立する利己的思考の極みと言えます。
相手の人生・想い・考え・時間。そんな概念は関係ないのです。

さて、阿部定という人だけではありません。
昨日も今日も明日も、世の中には<ネクロフィリア>は存在しています。
そして、<フェチ>もです。
もちろん度数は様々です。
みんなで「変わってる~!」と笑いになるようなレベルの者もいるが、
即効で「報道ステーション」や「ヤフーニュース」に放送されるレベルの者もいるのです。

僕の人生では、そういった方にも数人出会う事がありました。
刑務所の方も「他者の立場に立てない」という方が多いものです。
TPJと呼ばれる脳の部位に委縮や欠如が見られた場合等は、「どうやっても他人の立場にたてない」事等も分かってきてます。
つまり、相手が生きていようが、死んでいようが、<わからない>のです。
その意味が。です。
「自分がされたら嫌な事を、他人にするのはやめましょう」なんて言葉は危険すぎます。
彼・彼女らは殺される事も期待してたりするので、他者もきっと殺されても平気だと考える事もあるからです。
「自分がされたら嫌な事を、他人にするのはやめましょう」なんてのはあまりにも視野狭窄な視点でしょう。
世の中にどのような民族がいるのかが見えていません。

世の中にはそういうネクロフィリアや常軌を逸したフェチの気質を持って生まれる民族がいます。
その中では「司法解剖」や「医者」になったりして昇華(防衛機制)する人もいます。
死体を解剖する職業なんかは、彼・彼女らの欲望を満たす職業です。
そうやって社会になんとか適合しようとしている方も見てきました。

多様性とか、マイノリティを認めていこうとか、ダイバーシティとか。
分かりますよ、綺麗な視点で進めたい気持ち。

でもね、
そういった表面だけの綺麗な言葉が流行になればなるほど
傷つけている事も多いのですよ。人を。

なぜなら、どうやっても<社会からは承認されない>からですよ。

世の中には一体どのように考える民族がたくさんいるのか?
を、最低でも知識としては知っていて、
できればそういった方と関わる経験もしてから、
「多様性」なんていう言葉は使用した方がいいと思います。

多様性という言葉が、知らずに人を傷つけている事もあるのです

やからこそ

1つの発言。
1つの行動。
には、覚悟をもって生きましょう。
1度発言した事は、二度と取り返せませんから。




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