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家族の中の多様性をアドバンテージにする


以前息子が自閉スペクトラム症(ASD)と診断されたお話をnoteに投稿しました。当時多くの方が連絡くれたり、新聞のコラムに書いてもらったり、と励まされました。
あれから約1年がたち、この投稿を読むととても恥ずかしいです。多数派合わせた社会において、少数派を劣っている人と決めつけている自分の価値観が表れているためです。価値観は常にアップデートしていくもので、今の考えも変わっていく可能性が高いが、その時の考えを記録しておくのは意義があると思いこれを書いています。

家族の中のダイバーシティは人生を豊かにしてくれる

息子は3歳になり、いわゆる多数派の子どもとは振る舞いや発語という面で大きく違います。全然目が合いません、人間の声にはあまり反応しません。自分の興味を持つものをとことん極めています。目が離せないため保育園では加配(障害の診断を受けた子どもをサポートするために配置された保育士さん)つけてもらってます。自閉スペクトラム症(ASD)、知的障害(中度)、感覚過敏、というカテゴリーにはいるらしい、と医師や心理士から言われています。

家庭を回すための圧倒的マンパワー不足、世間の目、行動の制限という点では、日々書ききれないくらい大変です。しかし今は家族の中にこんなにスペシャルで異文化な存在がいてくれることは、間違いなく自分の視野を広げ人生を豊かにしてくれていると思っています。

息子がASDだと思ったとき、なぜショックを受けてしまったのか?

私だけではなく、多くの人が、自分の子やパートナー、家族が「発達障害」だったりグレーゾーンなどと言われた時、ショックを受けてしまうかもしれません。それは個々の意識が問題なのではなく、多数派仕様の社会で、多数派と少数派を分断し、このような(差別とも言える)意識を生み出し続けている構造に因るものだと考えています。

1. 私自身は、当事者やそれに類似する特性を持つ人と関わりが極端に少ない(正確には、気づいていなかった)人生を歩んできて、一次情報を何も得ることがないままネガティブなイメージを持ってしまっていた。

2. Google検索やSNS検索で見つける情報のなかに、ポジティブな情報は極端に少ない。ネガティブな文脈が多く、どれも(意図されていなくても)定型発達と比べて劣っているという前提で書かれている。

3. 自閉という言葉自体がネガティブな印象生み出してしまっている。うちの息子しか見ていませんが、特性を表すには自開症・自由症と言った方がしっくりきます。(※個々人によってケースバイケースです。大人、こども、特性の程度でも大きく事情が異なりひとくくりにするのはとても乱暴でありその実態は多様だということは一応記しておきます。)


ニューロダイバーシティという概念

ニューロダイバーシティの教科書という村中直人先生の本が去年出版されました。本当に素晴らしすぎるのでぜひ読んでください。ニューロダイバーシティの概念が日本語で教科書という形でまとめられたのは、非常に意義があると思います。

村中先生は、神経学的多数派(いわゆる定型発達)を「にんげんに先に出会う人たち」「ものごとの視点が圧倒的に欠落している」 、自閉スペクトラムを持つ人などの少数派を「ものごとと先に出会う人たち」と表現されています。コミュニケーションや社会性の摩擦は、障害の問題というより脳神経由来の異文化の問題と捉える方がしっくりくる、というのは非常に納得しました。

私も日々息子を見ていて、自分は何故こんなに人間を特別視しているのか、自分のほうが実は異常なのでは?という疑問が強くなってきました。そんなとき、こちらの記事で見たこのいわゆる「非定型発達」の人たちから見た「ニューロティピカル(定型発達)症候群」という考えがとても示唆に飛んでいて面白い。

・ニューロティピカルは全面的な発達をし、おそらく出生した頃から存在する。
・非常に奇妙な方法で世界を見ます。時として自分の都合によって真実をゆがめて嘘をつきます。
・社会的地位と認知のために生涯争ったり、自分の欲のために他者を罠にかけたりします。
・テレビやコマーシャルなどを称賛し、流行を模倣します。
・特徴的なコミュニケーションスタイルを持ち、はっきり伝え合うより暗黙の了解でモノを言う傾向がある。しかし、それはしばしば伝達不良に終わります。
・ニューロティピカル症候群は社会的懸念へののめり込み、妄想や強迫観念に特徴付けられる、神経性生物学上の障害です。
・自閉症スペクトラムを持つ人と比較して、非常に高い発生率を持ち、悲劇的にも1万人に対して9624人と言われます。

「異常」の認識は変わりえて、たまたま自分は多数派の方に生まれて、社会にフリーライドできている特権を、絶対忘れてはいけないと思います。

例えば、我が家の子どもたちが絵本を読んでほしいとき、
(定型発達と思われる)1歳娘:絵本を私のところにもってきて言葉で要求する
3歳息子:私の指を引っ張って絵本にもっていって強く押し付ける(界隈ではクレーン現象と呼ばれる行為)
人間ファースト、物事ファーストな二人の振る舞いの違いがとても異文化で面白いです。

そして怒ったとき、娘の怒りはあからさまに人間に向けられているのに対し、息子の怒りは、いつも必ず「コト」に向いている。いろんなことを論理的に捉えられるのだな、と感心します。そして、好きなことに対する集中力や没頭もずば抜けていて、これは卓越した強みだなと考えています。

少数派の強みを生かす取り組み

このように障害という枠組みではなく、それぞれが持つ強みに着目して、各人がそれを生かせる環境を整えていく動きは、企業レベルでも出てきています。デンマークのSpecialisterneは、Autism (自閉症)を持つ人の強みを生かせるIT企業などへ就職する仕組みを作っている、有名な先進事例です。

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Specialisterne Foundation

ビジネスシーンでは”ダイバーシティ”がBuzz Wordになっていると感じます。今私が所属しているスペインのMBAのコースでも繰り返し扱っているテーマです。欧米や中東のクラスメイトと議論していると、こんなにも日本と違うのか...と驚くこともありますが、今は過渡期だと信じて自分もビジネスパーソンの一員としてダイバーシティの価値を証明するときだと考えています。

ニューロダイバーシティに関しても、徐々にビジネスシーンで認識し始められています。先進して少数派(ここでは発達障害、Neurodivergentを指す)な人材を採用する取り組みを始めている企業も見かけるようになってきました。

家族の中の多様性をアドバンテージと考えられる人が増える社会に

そして、家族の中でも、このような多様性を持っていることは人生を豊かにするための大きなアドバンテージではないかと考えています。より正確には、そう考えられる人が増える社会に変えていくのが自分のゴールです。

ここまで理想論しか書いていませんが、現実はとてもとても、厳しい。自分は地方の公的福祉施設に通う日々で、当事者と親の生きづらさ、と当事者や周囲の負担の大きさに問題意識があります。変わるべきは多数派の受容性だと強く信じています。

日本においては、このニューロダイバーシティという概念の理解が進むのは数十年後かなあという印象ですが、変化の速度を早めるために、自分は次世代のために何をすべきなのか、考えています。

ここに書いた考えもまた変わっていき、また自分の視野の狭さを反省することになると思います。今後も自分の価値観をunlearnしていくのが楽しみです。

Twitterにも書いてますが、私自身は東京に引っ越してきました。おそらく暫くは日本で、社会を良くするために頑張る所存です!

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