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自閉という言葉のインパクト、そして多様な人の多様な環境に想像力を持つ人間になりたいという話。

こんにちは。2歳息子と0歳娘を育てつつ、フィリピンのスタートアップで働く岩瀬霞といいます。マニラに住んでいましたが、3月中旬のロックダウン時に第二子出産間近だったため帰国して4月に出産した後、現在も日本にいます。このnoteは最近考えていたことについて少し前に書いたもので、公開するタイミングを失っていたのですが、32歳の誕生日を迎えた日にふと思い立ち、公開してみました。

何かおかしいと言われた息子

帰国してから、上の子(2歳息子)が同じ日本人の子と関わり、同年齢の他の子に比べる機会が増えました。周囲からはやんちゃすぎる、普通ではないと言われたりしました。あと言葉が遅い。言われるたびにポジティブに捉えていましたが、あまりにアクティブでコントロールが効かない2歳児と新生児を在宅保育していた時は精神的にも肉体的にも非常にハードでした。二人同時に奇声で泣き叫ばれて自分も涙することもしばしば。一緒に戦った夫のお陰でなんとか乗り切っていました。

息子氏は瞬間移動が特技。外ではハーネスかベビーカー必須

ASD、自閉スペクトラム症の疑い

そんな中、周囲の指摘や市の健診などで息子は発達障害、特にASD(Autism Spectrum Disorder:自閉症スペクトラム障害または自閉スペクトラム症)の疑いが強いとわかってきました。医師の正式な診断は受けていませんが、臨床心理士さんによる発達検査の結果、早急に療育を受ける必要性がはっきりと指摘され、予想よりは重い可能性もあると分かってきています。

疑い始めてから健診や発達検査を受けるまで、何をどう考えたかの過程と葛藤は全然書ききれないのですが、何にも身が入らない状態でした。

親としては最愛の子どもたちにはできるだけ否定されることなく自己肯定感高く育ってほしいと考えていました。発達検査で、あらゆる行動に点数をつけられ、~ができないと否定されるたった2歳の最愛の息子、それはもう大きな衝撃でした。(*心理士さんには最大限の配慮をしていただき、何も否定していないのですが、やはり親としては衝撃だったという話)

「自閉症スペクトラム障害の可能性もあります。」

自分でも調べる中で実は事前にほぼ確信していましたが、発達検査で伝えられると大きな衝撃でした。まさか。まさか。まさか。自分の大好きな大好きな子が「障害者」「自閉症」(の可能性がある)とは。

この先どうやって前向きに生きていけるのかと、あまりの想像できなさに戸惑う日々。自分は青年海外協力隊でキャリアをスタートし、ずっと外国でマイノリティとして暮らしていたため、少しは理解や想像力がある方だと勝手に思ってましたがとんでもない。息子自身は何も変わらないのに、この名称をつけられた途端、これまでポジティブに捉えていた息子のこだわりや行動、特性をネガティブに感じ、「可哀そう」「欠陥」「得体知れない」と無意識に感じてしまう、捉えてしまう、偏見まみれな自分に気づき、ひたすらどん底。親なのに息子をありのままに見れないなんてなんと愚かなのだと。

あえてカテゴリー分けするなら「健常者」「定型発達」の世界からは、「福祉」「障害」「自閉」のカテゴリーに落とされた瞬間にその中の色々なものを見ないように(少なくとも自分は)してきたのだろう、自分とは関係ない特別な、時には可哀そうなものとしてしまっていたのではないかと考えています。

「障害」「自閉」という言葉のインパクト

ちなみに自分の息子はスーパーワイルド(=やんちゃ)でストイックで、とっても明るくfunnyです!常に歌を熱唱している。とにかく面白い。よく笑うし、いつも笑わされています。

ドヤ顔で机の上に乗る息子氏

しかし、行政や療育の手続きを進める中で都度突きつけられる「障害*」「自閉」という言葉のインパクトはもの凄い。ずっと気持ちが落ち着きませんでした。とにかく暗いイメージ。

*地方自治体では「障がい」表記のところが多く、議論があるところですが、ここでは「障害」と書いています。

前向きになったきっかけ

ある日から、この言葉のバカヤロー!と思って、意識的に日本語を遮断し、情報収集を英語に切り替えたことが思った以上に有効でした。

自閉は"autism"の訳ですが、この言葉がネガティブなイメージに貢献しているの部分も多少はあると考えています。私は専門性が全くないので語りませんが、この訳の是非についての議論もある模様です。

そこで、情報収集をほぼ英語に切り替えてみました。また、ASDのお子さんがいるフィリピン人の知り合いと話したり、イギリスや香港の団体に連絡してセラピストと話したりすると、なんというか全然暗いイメージを感じず、息子がchild with special needs (特別なニーズがある子ども)ということが早めに分かってよかったという考えになっていきました。「障害」「自閉」などのカテゴリー分けは、必要な支援や配慮のために重要だと理解していますが、自分には「自閉」という言葉のインパクトが当時はものすごく強かったので、それを排除してインプットし考えられたのがよかったのかもしれません。(※ちなみに日本の状況が悪くて外国が良いと言っているわけではなく、個人の印象の話に過ぎません。どちらの事情もまだよく知らない時点で書いています。)

まだまだ勉強し始めたばかりで、日々息子からも学んでいますが、ASDの、もっとポジティブな側面にフォーカスを当てたり、偏見をなくすことに私も何かアクションを起こしたいと考えています。ライフワークが一つ増えました!ちなみにこの領域で最先端をいっておられる、ヘラルボニーさんには大いに刺激をいただきました。(名古屋のサステイナブルミュージアム、素敵でした!)

そもそも発達障害・ASDといってもその特性は多様すぎるのですが、日本人が外国で療育受けるってどんな感じ!?とか、なかなか不明な部分も含めて、息子の成長を明るく語っていきたいなあと思っています。今はABA(Applied Behavior Analysis:応用行動分析学という、発達障害の療育に使われている手法)を勉強したりして実践中。幸いにも私の住むフィリピンは、英語圏ということもあり最新の研究に基づいた療育を利用できそうでむしろワクワクしているくらい。

ASDについて諸々勉強を進めたりするうちに、息子から見える世界はこんなにも違うのだと、自分の世界をとらえる視点が一つ加わり、日々世界がアップデートされ広がる感覚を味わっています。全部息子のお陰です。息子よ、生まれてきてくれて本当にありがとう。

息子に背中を押されたMBA受験

話はいきなり変わりますが、最近IE Business School(スペイン)のMBAに合格しました!

全然違う話題なんですが、私の中でつながっていて。MBAは、前職でケニアにいた頃からずっと考えていたことなのですが、子育てスーパー忙しいし!勉強するよりスタートアップの現場で働いているほうが楽しいし!とかいってなあなあにしてきました。

前述のどん底の期間、私は息子のサポートのため仕事面で妥協が必要だろうとずっと悩んでいました。突然「障害児の母」となり、自己犠牲してでも息子のサポートに徹するべきと勝手に思ってしまったためです。

しかし息子をサポートするにはまず自分が元気でハッピーでいなければ続かないと思いました。そして自分がハッピーなのは、やりたいことや目標に向かって前進している時であるということ。前進してないとアンハッピー。

そして、家族・子どもたちが世界のどの国でも、生きたい国で生き、稼げる選択肢を持ちたいという現実を考える中で、MBAがプラスになることはあっても邪魔になることはないなと考えをめぐらし、受験に踏み切りました。全て応援してくれた夫には感謝してもしきれません。IE Business SchoolのバリューであるDiversity(多様性)とEntrepreneuship (起業家精神)は自分にとてもフィット感があり、決めてからは迷うことなく突き進んでいった感覚があります。息子がASDではないかと悩み続けつつも、産休から復職すると同時にMBA受験対策に全力で振り切ることで、自分も精神的に楽になっていきました。受験の過程はコンフォートゾーンを超えまくって前進している感覚があり、楽しかったです。

今までセネガル、ケニア、フィリピンとずっと海外で働いてきて、行動力と異文化適応力で生きてきたような人間ですが、何も結果を残せておらず、とにかくインパクトを出したい。女性だからとか日本人だからとかではなく、今後はどれだけ人々や社会をポジティブな変化をもたらせたかに集中して動き続けること。私は自分で何かを始めたりするよりは、現地のアントレプレナー、現地のチームと一緒に物事を押し進めることに興味があるのだと、現在フィリピン人オンリーなスタートアップ組織で働いていて強く実感しています。

今後どうなりたいのか

そして、一人の人間としてはどうなりたいのかも悶々と考えていました。

息子がASDの疑いと言われてから、自分の無知、偏見と視野の狭さに反省してしまいました。また、実際にその領域に足を踏み入れてみると、そんなに珍しいものではないということ(CDCによると、54人に1人の子どもがASD)、前向きに発信していらっしゃる人が多くいることも知りました。

しかしいくら存在は知っていても、こんな風に当事者(に限りなく近い存在)にならないとわからないことが、まだまだまだまだ山ほどあるのだと確信しています。私は特に色んな人や環境に恵まれてきたと思っていて、欠けている視点が多い自覚があります。

色んな国籍の人も、老若男女も、性的マイノリティの人も、都会住む人も田舎に住む人も、パートナーがいるひともいない人も、子どもがいる人もいない人も、現在闘病中の人も心身健康な人も、フルタイムで働く人もパートタイムで働く人も専業主ふも、パンデミックの影響で海外から帰国した人も現地に残り続ける人も、障害のある人もない人も、、と書ききれませんが、想像力の限界を知ったうえで、できる限り多様な人々の多様な環境・状況にできる限り細かく想像力を働かせ、決して知っているつもりにならずに常に努力し続ける人間でありたいと思います。そして自分は、関わる限られた範囲の人々が少しでも前向きになれるようなアクションを起こし続け、そのためのリーダーシップを発揮できる人間であること。仕事仲間でもお客さんにも家族にも友人にも1人の店員さんに対しても。まだまだまだまだ未熟ですが、頑張ります。

おわりに

最後に、私には素晴らしすぎる夫がおり、彼の存在でなんとか息子のことも一緒に向き合いやってこれました。息子が自閉症かもしれない、と初めて話したとき、「じゃあうちに生まれてきてくれてよかったよ」と言った夫です。さらっと書いていますが、本当に凄いことで人間の器に尊敬しています。

日本では、ナニーさんを雇っていたマニラの時と比べ、明らかに家事育児負担は増えて自分の時間は取れないのですが、家族4人で濃密に暮らす時間もなかなか充実しています。(早くマニラには戻りたいですが....)引き続き家族が仲良く過ごしていることに感謝し、生きていきたいと思います。読んでいただき、ありがとうございました!

夫、5か月の娘、2歳2か月の息子と。

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