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私の読書遍歴(6)The Rise and Decline of Nations

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日本経済は「失われた30年」に苦しんでいます。なぜ日本が30年を失ってしまったのか? その答えが、この本にあります。私は1989年に初めてこの本を読んだとき、「日本も、もしかしたら、危なくなりだしていないか?」と不安に思ったのですが、本当に、その通りになってしまいました。私たち日本人にとって悲しい展開だったわけですが、この本のロジックの妥当性と予言力を物語っているとも言えます。ともかく、凄い本です。

1.利益集団が一国の経済を左右する


 この本の著者、Mancur Olson(マンサー・オルソン)は、アメリカの経済学者で、人間集団の社会行動を経済学のアプローチで分析した人です。
 したがって、彼の研究は経済学と政治学にまたがり、さらに社会学の領域にも及んでいます。単に経済学者というより政治経済学者と呼ぶ方がふさわしい人です。

 いかにも政治経済学者らしく、彼は、国内に「利益集団」がどのくらい存在してどのような行動を取るかが、その国の経済の盛衰を左右すると考えました。彼がいう「利益集団」は、その性格としては、日本で「圧力団体」と呼ばれてきた組織に近いものです。

 つまり、特定の利益や特定の関心を満たすために組織され、政治過程に何らかの影響を与える力を持った集団(労働組合・業界団体など)が、オルソンがいう利益集団です。オルソンは特定の利益と特定の関心をあわせてspecial interest と表現し、利益集団は special-interest organization としています。

 政治を動かす力の源泉は、➀集団の構成員数(=選挙での投票数)➁その国の経済に占める比重の大きさ③その集団の専門性の高さ です。
 ➀は主に労働組合の全国連合組織、➁は主に業界団体、③は主に専門職の団体が行使するものと考えてよいでしょう。

 
 利益集団が一国の経済を左右するというのは、ちょっと突飛に聞こえるかもしれません。
 しかし、具体例に即して考えていくと、彼のこの結論が実に妥当性の高いものであることが分かります。
 そこで、ここでの論考を、まず二つの具体例から始めることにします。

2.具体例A:いち中小企業の社長と政治

 私がごく平凡ないち中小企業の社長だと仮定します。従業員のリスキリングを進めるうえで、今のレベルの政府助成金では不十分と考え、助成金を拡充するよう政府に訴える運動を始めたとします。

 いち中小企業のオヤジが言うことになんか政府は耳を貸してくれませんから、私は仲間づくりから始めないといけません。あちらの社長さん、こちらの社長さんを訪ねて賛同と協力をお願いする。
 若い従業員に教えてもらいながら、慣れないSNSで意見を発信する……などと頑張っているうちに社業がおろそかになり経営が傾き、従業員のリスキリングどころかリストラをする羽目になりかける。

 そこをなんとか切り抜け、仲間も集まり、最後は「正義が勝っ」ではないですが、助成金の拡充を実現できたとします。では、その恩恵に浴するのは誰でしょう? 私と私の仲間だけではないのです。

 私に賛同してくれなかった社長さんたちも恩恵を受けます。私が社業をおろそかにしている間に私の会社からお客様を奪った、にっくきX社長も、また恩恵を受けるのです。
 こういう社長さんたちは、私の努力に「ただ乗り」するわけです。そのつもりはなかったとしても、結果的に、そうなる。

 なんだか、割が合わない気がしませんか?

 「お前は志と信念で始めたんじゃないのか? 割が合わないなどとケチ臭いことを言うな」と言われてしまえば、「う~ん」と唸るしかないのですが、人間の出来が悪い私は、どうしても損得勘定をしてしまう。「骨折り損のくたびれ儲け」ではないが、「骨折ったほどの儲けなし」と思ってしまうのです。

 「骨折ったほどの儲けなし」と思う理由はもう一つあって、それは、拡充された助成金のうち、私の会社だけの取り分を言えば、そんなに大きくないことです。
 日本は中小企業がものすごく多いので、一社あたりの分け前は、どうしても小さくなってしまうのですね。

3.具体例B:有力大企業の社長と政治

 今度は、私が、業界の有力大企業の社長だと仮定します。私は、自社が所属する業界団体の会長も務めています。会員企業は私の会社を含めて20社です。

 私たちの業界は、30年前にアメリカから導入したαという技術をベースに発展してきました。業界各社が、それぞれの仕方で技術αに改良を加え続けた結果、私の会社を含む有力企業3社は、技術αで作る製品では、世界をリードしています。

 ただ、気がかりが一つあって、それはアメリカのベンチャー企業T社が、技術αとは別の原理でαと同等以上のパフォーマンスを出せると称する技術βを送り出してきたことです。

 私はうちの会社の中央研究所長を呼んで意見を聞きます。すると、彼は、「βは、まだ海の物とも山の物ともつかない代物で、我々の技術αの方がはるかに優れています」と、言うのです。
 そう言われても、私はどうも引っかかるところがあって、業界団体の会長の立場で経済産業省の意見を聞きに行きます。
 
 私の業界は世界をリードする企業3社を含んでいるので、経産省からは日本の基幹産業のひとつと見られていて、業界団体と経産省の間には、太いパイプがあるのです。
 私が中央研究所長から聞いた話をすると、経産省の担当課長は首を横に振ります。彼は、技術βは侮れない、技術αにとってかわるポテンシャルを持っていると言うのです。
 しかし、せっかく日本は技術αで優位にあるのだから、技術αと同じ原理を用いて技術βを上回る技術を開発すべきだ、というのが経産省の見解だと課長は教えてくれました。
 
 この見解は、私にもうなずけます。そこで、私は、経産省と業界の間を取り持って、新技術開発のためのコンソーシアムの立ち上げに漕ぎつけます。 
 経産省が資金面・技術面で全面支援してくれので参加企業は資金の心配をする必要なしに、新技術の開発に専念できます。業界団体の加盟企業20社が資金援助を受けられますが、コンソーシアムへの参画度合いによって額の違いはあります。
 コンソーシアムの中心は、私の企業を含めて、技術αで作る製品で世界をリードしている3社です。

 ところが、いざ立ち上げてみると、このコンソーシアムの運営が非常に難しいことに私は気づきます。各社が技術を持ち寄って共同で新技術を開発するはずなのですが、どの会社も自社の競争力の決め手になっている技術は持ってきません。しかも、私の会社から送り込んだコンソーシアムの社長と、別の会社から来た副社長が主導権争いを始める始末。
 そうこうしているうちに、日本に進出している外資系企業の中で、私の会社の製品からT社の製品への乗り換えが始まってしまいました。


4.具体例AとBの比較


 同じ社長といっても、自分が求める政治的便益を受ける仕方も、受けられる便益も、いち中小企業社長の時と、有力大企業社長の時では、大違いです。
 4-1.政治との近さ4-2.得られる利得4-3.その後の展開  の3点に分けて、二つの例を比べてみます。
 

4-1.政治との近さ


 私が、いち中小企業の社長である時は、政治は、とても遠い所にあります。政治を動かすためには、仲間集めから始めないといけない。仲間を集めて、つまり数を揃えて、政治家の所に陳情に行く。政治家は「数」が好きです。より正確に言うと、「確実に票につながる数」が大好きです。

 一方、大企業社長で業界団体の会長である私は、政治と非常に近いところにいます。日常的に経産省と話ができ、経産省から知恵とお金を引き出せる立場にある。
 
 ですから、私は政治家に直接働きかける必要はありません。というよりも、下手に近づきすぎない方がいい。写真週刊誌に取り上げられでもしたら、後ろぐらいことは何もしてなくても、大騒ぎになることは避けられないからです。

4-2.得られる利得

 
 いち中小企業の社長である私は、せっかく頑張って助成金の増額を勝ち取ったのに、自分の会社の取り分が少ないことにため息をついています。ただ乗り組も含めて、分け前にあずかる企業が多すぎるのです。

 有力大企業の社長である私が経産省から引き出した資金は、業界団体の所属企業20社に配分されますが、その数は膨大な中小企業の数に比べたら、海岸の砂粒ひとつのようなものです。しかも、実際にはコンソーシアムの主力となる3企業が大部分を手に入れることになるはずです。

4-3.その後の展開


 いち中小企業の社長である私は、今回の経験で数の力が政治を動かすことを学びました。しかし、同時に、そのコスパが悪いことにも気づいてしまった。
 今後、私が業界団体の結成に向けて動くかというと、微妙なところです。ともかく企業数が多いから、合意を取り付けてまとめていくのが大変だし、それに見合った便益が得られるわけでもないことも、分かっている。
 業界の存亡にかかわるような危機的状況が出現すれば別ですが、そうでない限りは、自社の経営に専念するだろうと思います。

 では、経産省の肝いりで研究開発コンソーシアムを立ち上げた、有力大企業社長の私の方は、どうでしょう? 目論見どおり、技術Βを圧倒するような革新的な技術を開発出来るでしょうか?
 どうも見通しは暗そうです。業界団体として結束しているようでも、メンバー企業同士は、製品市場では競争相手です。肝心の技術はブラックボックス化したり、主導権争いを始めたりする。
 
 それに対して、技術βを開発したT社はベンチャー企業ですから、この技術に社運を賭け、失うものは何もない。だから、ものすごい集中力とスピードで技術Βに磨きをかけていくはずです。

 おそらく、コンソーシアムはスピードでT社に負けます。そして、技術の主流は技術βに変わっていくでしょう。

 

5.具体例Bのような事例が増えると経済は停滞する


 オルソンが出した結論をザックリ言ってしまうと、「国内で具体例Bのような事例が増えると、その国の経済は停滞する」ということです。

 なぜなら、具体例Bでは、わずか20社(実質的には3社)の企業が政府資金を《分不相応》に獲得し、しかも、それを有効活用できていないからです。

 経産省が基幹産業と位置付けた業界が公金の投入に見合った成果を出し輸出で外貨を稼ぎ国民所得に貢献しているなら、そのような官庁と業界団体の結びつきも、フェアではないが、国民に貢献するものとして許容されるでしょう。
 
 日本の高度成長時代が、まさしくそうだったのです。当時の通産省の産業政策は面白いようにヒットし、通産省の行政指導に忠実な企業は利益を拡大し、成長していったのです。通産省に逆らって独自路線を歩んで成功した川崎製鉄とホンダのような企業もありましたが、それは例外でした。

 「フェアではないが」と書きましたが、それは、自由競争に反するという意味です。通産省は業界の弱小企業も、また、相対的に弱い業界も脱落することがないように政策を運用していました。「護送船団方式」と言われるものが、それです。

 しかし、具体例Bのように、公金投入に見合った成果が出せないとなると、話は別です。オルソンは、安定した社会が長く続くと、具体例Bのような事例が増えると指摘しています。

 社会が安定していると、企業同士、企業と官公庁が関係を築きやすくなるのは、想像がつきやすいと思います。しかし、それだけなら、具体例Bのようにはならない。

 具体例Bのような事態に陥ってしまうのは、過去の成功の延長上でものを考えてしまう慣性が強く働いているからです。安定した社会は、成功している社会です。成功しているから安定していられる。
 
 具体例Bで、経産省と私が属する業界は、技術αと同じ原理に従った技術で技術βに対抗しようとします。つまり、技術αで成功してきた延長上で次の技術を開発しようとしているわけです。

 それでも、コンソーシアムに参加する企業が手持ちの技術を全て公開し、つまらないプライドを捨ててオープン・イノベーションを追求するなら、まだ成功の可能性があるのですが、肝心の技術をブラックボックスにしたり、主導権争いをしていたら、見通しは暗いのです。
 
 では、なぜ、ブラックボックス化と主導権争いが起こるかというと、参加各社が、本音では、技術αで、まだまだ行けると思っているからです。技術αでこれからも勝負するのだから、下手に技術公開しない方がいい。主導権争いをするのは主導権を握っていれば、自社の技術は隠したまま他社の技術だけ引き出せるかもしれないからです。

 オープン・イノベーションの成功例と成功の条件について、東レとユニクロを例に、以前、論じたことがあります。


 当時は、安価な中国製品の流入で、日本の繊維産業が消滅するのではないかと言われた時期です。繊維のNo.1企業の東レといえども、生き残りを賭けて、後のない戦いを戦っていたのです。そして、パートナーのユニクロはベンチャー企業でした。

 東レがしたことは、具体例Bの私が、技術αには先がないと見切って、T社と組んで製品開発をしたのと同じだと思います。

 「具体例Bのような事例が増えると経済は停滞する」という表現では、抽象度が低すぎますね。概念としてもっと整理した形をお見せしたいと思います。


6.過去の成功体験を引きずる利益集団が多数存在し経済への影響が大きいと、経済は停滞する


 最終の整理形を見出しに書いてしまいました。「失われた30年」の日本は、80年代までの成功体験を引きずっています。危機だ、危機だ、と言いながら、心のどこかで、80年代までの日本の延長で、まだまだ行けると思っている。

 その実態は、私の世代の人間よりも、失われた30年の間に物心ついて社会に出た人たちの方が、ハッキリ見ているかもしれないですね。

 この状況をどう打開したらいいのか、私にはまだ考えが浮かびません。批判だけする批評家的立ち位置になっていることを悲しく思います。

 では、オルソンは打開策について、どんなことを言っていたのか?

 実は、オルソンは、この本の冒頭で、ぞっとするような事例を挙げています。それは第二次大戦の敗戦国、日本、ドイツ、イタリアの戦後の経済成長率が戦勝国のそれを上回り、戦勝国が予想したよりはるかに速く戦前の水準にもどり、ドイツ、イタリアは60年代に、日本は70年代に先進国の仲間入りをしたという事実です。

 では、なぜ、戦争に負けた国が勝った国よりも経済成長が大きかったか?
敗戦によって社会が「ガラガラポン」されたから、というのが、オルソンの答えです。

 敗戦の結果、過去の成功体験を引きずる利益集団がほぼ一掃されて、まったくの更地に近い状態から経済を再建したから、経済成長が速かったのです。

 日本もドイツも戦前の指導層が戦争犯罪者として裁かれました。日本では戦犯ではなくても、戦争中に社会の中核にいた大勢の人たちが「公職追放」されました。

   戦前の日本経済で寡占的な地位にあった三井、三菱、住友などの財閥が解体され、新興企業が活躍できる場所が生まれます。ソニー、ホンダが創業したのは、この時代です。
 財閥企業では、上級管理職のほとんどが「公職追放」されたので、経営陣が一気に若返りました。この新世代の経営陣の指導の下で、財閥企業は日本経済の主要プレイヤーに返り咲いていきます。

 みなさんは『シン・ゴジラ』をご覧になりましたか? あの中で、竹野内豊さんが演じる赤坂官房長官代理が、こんなことを言います。

「せっかく崩壊した首都と政府だ。まともに機能する形につくり替える。スクラップ・アンド・ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる」

これを希望のセリフだ、日本人はすごいぞなんて喜んで聞いてはいけません。だって、アメリカにコテンパンにやられるかゴジラに蹂躙されるかしないと、日本は変われないと言っているのと同じですから。

 「ガラガラポン」は、社会で幅を利かせていた守旧派を追い出すだけではありません。最も打撃を受けるのは、社会の中でいちばん不利な立ち場にある人たちです。「360万人いる都の避難民」です。

 「ガラガラポン」なしに、新しい成長軌道に乗れるのが一番なのです。

 もちろん、オルソンも、そう考えたのです。しかし、残念ながら彼が希望を語る声は小さく、湿っています。この本の末尾から彼の言葉を引用してこの記事をしめくくりたいと思います。訳は、楠瀬による思い切った意訳です。

   May we not then reasonably expect, if special intrests are (as I have claimed) harmuful to econmic growth, full employment, coherent government, equal opportunity, and social mobility, that students of the matter will become increasingly aware of this as time goes on?  And that the awareness eventually will spread to larger and larger propotions of the population?  And that this wider awareness will greatly limit the losses from the special interests?  That is what I expect, at least when I am searching for a happy ending.

それでは、合理的に考えた時に、次のような展開を期待できないものだろうか? 特殊利益が、経済成長、完全雇用、一体感のある政府、機会均等及び社会の流動性にとって有害であるのなら――私はそう信じているが――今後、特殊利益の研究者の間でこの害悪が明瞭に認識されるようになり、その認識が国民のより広い層に共有され、そうして認識が広がることで、特殊利益が社会に与える害を大幅に減らすことができる。私は、なんとかこの本をハッピーエンドにしようと苦心していた時に、実は、そのような展開を願っていたのである。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


『私の読書遍歴(6)The Rise and Decline of Nations』 おわり

 




 

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