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長寿村は本当に長寿の村なのか?

『大鏡』では大宅世継と夏山繁樹が語り合って話が展開されてゆく。
彼らは200歳近い老人だが、いうまでもなく実在した人物ではない。
 
高校の古文の授業でも、架空の人物であること、年齢は誇張されていることについては、当たり前として、教師も必要以上に説明しなかったように記憶している。

普通人間は100年も生きられない――これが当時の私の感覚だった。

ところが、である。
 
今から15年ほど前になるが、多発する年金詐欺の調査で、戸籍上200歳の老人が生在していることがわかったのだ!
 
事実とすれば、生まれたのは、あのピアノの詩人、フレデリック・フランソワ・ショパンと同じ年ということになる。もちろん、本人はとうの昔に亡くなっていて、あくまでも書類上の年齢だ。
 
昭和から平成初期までは、役所をはじめ公的な記録はそれほど正確ではなかった。今では想像できないだろうが、郵便局の口座は名義貸しができたし、さらには名義にペットの名前までも使えたのだ。ペットの名前が使えたなら実在しない不審人物の名前でも可能だったかもしれない。何ていったって、当時の口座の数は3億以上あったのだ!
 
今年の大河ドラマで話題の紫式部は、本名が不詳でさらに生没年も不詳だから、現代の視点で言えばかなりの不審人物だ。
 
遺跡や史跡の場合、年代を測定する技術が確立されている。遺骨が見つかれば測定機器によってその人物が生きていた時代がわかる。一方、遺骨がなくても、歴史的な書物によって、紫式部が生きていた時代はわかる。

しかし、である。
 
遺骨は大人か子どもか、そして性別はわかっても、生後年数の実年齢はアバウトなものしかわからない。ましてや、生没年不詳の紫式部はアバウトすらわからない。
 
この事情は現存する人間も同じで、実年齢を測定する術はない。見た目はまったくアテにはならないし、内臓や神経の状態も実年齢の判断材料としては使えない。100歳超えだった双子姉妹のきんさんぎんさんの血管年齢が、実年齢よりも20歳は若かったことは記憶に新しい。
 
だから、年齢は公的記録か、それがなければ自己申告、周囲の証言を基にするしかないのだが、実はそこには大きな落とし穴がある。
 
 
世界には「ブルーゾーン」と呼ばれる「長寿地域」がある。一般には100歳人(センテナリアン)が多く暮らすところとして知られている。
 
しかし、そのセンテナリアンは本当に100歳以上なのだろうか。そして、なぜ「長寿地域」とされるところに局在しているのだろうか? 
私でなくても、同じような疑問を持つ人は多いのではないかと思う。
 
「ブルーゾーン」が初めて定義された時の対象センテナリアンは20世紀初頭に生まれたわけだが、この時代、はたして世界でどれだけ日本のような戸籍制度や出生届制度が整備されていたのだろうか。
 
とある研究によれば、出生届の普及でアメリカのセンテナリアンは70~80%も減ったとされている。つまり、実際には報告数の20~30%しかセンテナリアンがいなかったのだ。公的記録の有無による誤差はとてつもなく大きい。
 
ただ、明治時代から本格的に戸籍制度のある日本ですら、世界最高年齢の認定が取り消されたセンテナリアンがいるくらいなので、当時の公的記録は、どこの国もあったところで、信憑性に堪えないものだったのかもしれない。
 
一方で、アメリカより出生届の普及が進んでいたイタリアでは、低所得と平均余命の短さが多数のセンテナリアンを生み出していた。つまり、書類の上でのみ生きていることになっている年金詐欺のようなケースが多発していたのだ。イタリアに限らず、「ブルーゾーン」はその国の平均に比べて所得が低く、平均寿命が短い地域が多い傾向がある。それもセンテナリアンを生み出す源泉だったといえるようだ。
 
おそらく「ブルーゾーン」は「記録の確度」が高くなることで、その実態はかなり変わったものになるだろうと思う。
 
 
ただ、「ブルーゾーン」の驚異的な長寿の原因が、実際には根拠の薄い自称年齢がベースだったとしても、健康管理・アンチエイジングの観点で、「ブルーゾーン」における食事や生活習慣から私たちが学べるものは多い。それは医学的にも証明されている。彼らの健康体を支えてきた長年の食事や生活習慣は決してまやかしではない。
 
その基本は植物ベースの食事、全粒穀物・豆類・野菜と果物・ナッツと種子・魚介類・ω3ω9系オイルの適量摂取ということ。そしてストレスフルで精神的に満たされた生活習慣。つまりは現代人の対極の環境にあるといってよい。そこにどれだけ近づけられるかが健康体達成度を上げるのだ。
 
 
長寿村は本当に長寿の村なのか――それは些細なことではないだろうか?
肝心なのはセンテナリアンになれるかなれないかではなく、自分がやりたいことをやれる人生を送ること、そのための健康であり、アンチエイジングなのだ。この結果としてのセンテナリアンは、おまけのようなものだ。
 
たとえセンテナリアンになれなくても、自分が満足できる人生を送れれば、これ以上の幸せはない。ほとんどの人は満足できずに一生を終えるのだから。

(終)

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